第309話 10人の少女
「ねえ、やめようよ‥」
「私、その話は聞きたくない」
「知らないままでいたい」
‥‥どうやら、現実逃避しているようです。あたしもその気持ちは分かります。あの10人はずっと、親が生きているかもしれないというわずかな希望1つのみで葛伯のそばにいましたから。きっと、それは耐え難い苦しみだったのでしょう。想像もできません。
その唯一の希望が切れたら、あの人たちは。
子履も口を開けません。伝えるのが怖いのでしょう。さっき、子履と一緒にあの10人の暮らしていた部屋を見ました。その時の子履の表情を思い出します。子履はきっと、あの10人に何かをしてあげたいのでしょう。あたしはそんな子履を支えてあげたいです。
あの10人のためにできること。あたしができること。
「親は残念ですが‥」
「履様」
子履の言葉を遮って、
「あたしから伝えていいでしょうか?」
「‥‥
「はい」
子履にとってつらいことは任されたいです。
◆ ◆ ◆
葛伯は10人の女と一緒に贅沢な食事を食べていただけあって、葛の後宮の厨房には所狭しと食材が置かれていました。肉の量が多めというのはいただけませんが、そこには目をつむります。あたしのそばには、
「
「ううん、いいっすよ。それより‥センパイ、料理できるようになったっすか?」
「うーん‥‥正直、まだ自信はないんだ」
包丁を握るとまたあのときの、前世のことを思い出してしまうから。それで今まで避けていたのですが、さすがに10人の死にはかえられません。
そうです。あたしの目的は、10人においしい料理を食べてもらって気持ちを落ち着けてもらうこと。葛伯と同じものを食べていたと思いますが、それに負けないおいしいものを作ってみせます。
「10人においしいものを食べさせて、死にたいという気持ちをやわらけたいんだ。そのために、協力してくれる人を2人連れてきたよ」
「1人しかいないっすけど‥?」
「いいから、いいから」
あたしたちと一緒に厨房に入れたのは、この葛の後宮で働いていた使用人です。
「できるだけ、葛伯と一緒に食べていた料理は避けたいので、今までどのような食事をしていたか少しでもヒントをもらえればと思って」
「なるほどっす。それで、もう1人は?」
「うん、まあ、正確には連れてきたわけじゃないんだけどね」
そう言ってあたしは歩きます。テーブルの間を抜けます。そして、そのまま目の前の壁に直進します。
「センパイ、そこは壁っすよ‥?隠し扉でもあるっすか?」
「いるんだよね、これが」
あたしは壁に手をあてて、探ります。あ、ありました、かすかな段差。それをつまんで、引っ張って、べりべり剥がします。壁紙に隠れて子履が出てきました。
「うえっ、摯、ど、どうして分かったんですか!?」
「さあ、どうしてでしょうね」
あたしも当てすっぽうですけど、なんとなくいると思ってました。気配がしましたからね。特に根拠はないですが。正直なことを言うと呆れていますけど。
「履様。あたしが料理をしている間、そばにいてくれると嬉しいです」
「分かりました、隠れます」
と言って子履が壁紙を持ち上げたので、あたしはその手を払います。
「どうして隠れるって発想になるんですか!!大体おかしいですよ、あたしと履様は婚約もしてますからもっと堂々とついてきていいのに!」
「だって‥断られるかもしれないです、こんな大切な料理に同席するなんて‥‥」
「婚約してるので遠慮はいらないですよ。はい、あそこの椅子に座って見てください。あと、あたしも隠れて見られるとあまりいい気分にならないです」
「うう‥」
「それに、料理中に履様の姿が見れるとほっとします」
「それは‥私とせっく‥‥子作りしたいということですか?」
「どうしてそうなるんですか!!あと子作りって女同士ですよね!!」
そうやって話し込んでいると、後ろから漢服のすそを引っ張られます。及隶です。
「‥‥センパイ、こんな状況でイチャイチャするのはやめてほしいっす‥‥」
「イチャイチャしてないよ!ほら、隶も寂しがってますし、あちらの椅子に座ってください」
「分かりました、もう‥」
子履はため息をついて、壁紙を持って椅子に‥‥「あと、この壁紙は没収ですから」「ええ!?」「また隠れられたら困りますし」
◆ ◆ ◆
正直、あたしにとってはシリアスな場面でした。料理ができるか、包丁を持てるかすら不安でした。
でも子履の‥‥隠れなくてもいい場面でああいう隠れ方をするのはどうかと思いますしやめてほしいんですが、あれのおかげで緊張がほぐれたのは事実です。包丁を持つと不安な気持ちが再燃しますが、そのたびに横を向きます。椅子に座っている子履が、じっとあたしのことを見てくれます。子履がにっこり微笑んでくると、あたしは自分の表情がこわばっていたことに気付きます。あたしも笑い返して、料理に集中できました。
「これは‥?」
食事室とは別の部屋‥‥客間にテーブルを置いて、10人の少女たちを集めて差し出した料理がこれです。正確にはカルパッチョというイタリア料理ですが、まあ、名前を言ってもわからないでしょうね。
「
少女たちは無言でうなずきます。1人がおそるおそるそれをフォークで刺して口に入れ‥「おいしいです」と返しました。それを合図に、他の子たちも次々と鱠を口に入れます。この世界ではおおよそなかったであろうイタリア風のおしゃれな味付けに食いついているみたいです。
「こんなもの、食べたことない‥」
「鱠がこんなにおいしくなるなんて‥」
「この味付け、一体なんだろう」
みんな、料理を目の前に、何度もまばたきしています。うん、つかみはいいです。
「食べながら聞いて下さい」
食べながらと言ったのに、あたしがそう言うと‥‥少女たちは全員その場で食べるのをやめて、食器をきれいに置いて、じっとあたしに瞳を集めます。その瞳はどれもぴくぴく動いていて、目尻に力が入っていて、今にも泣き出しそうでした。膝に乗せる手にはみんな力が入っています。
「‥みなさん、履様はお金と住む場所をくれると言いましたが、仕事まではもらってませんでしたね。どうですか、あたしと一緒に商の後宮で料理してみませんか?」
「‥えっ、いいのですか?邪魔になりませんか?」
「全然大丈夫です。むしろ、何人か料理人が抜けて困っていたところですから」
実はあたしも定期的に商の厨房のことは小耳に挟んでいましたが、あたしが
「それなら私も」「私も」と、次々と手が上がります。
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