第307話 葛伯暗殺
「飯!飯はまだか?」
「は、はい」
そこにいた使用人が走って、食事室から消えます。すぐに料理を持った何人かの使用人が入ってきました。姒鞴の前にそれを置くと、姒鞴はまた怒鳴ります。
「おい、女は?」
「は、はい」
今日の姒鞴は食事がいつもより早いです。そのせいで周りの人も用意ができなかったのでしょう。姒鞴はいつもよりいらいらしているようで、何度もテーブルを叩いています。
すぐに1人の女が遣わされました。彼女の名前は
このとき入ってきた謹姞は、にっこりほほえみました。笑顔でいないと親を殺すと言われたからです。
謹姞は優雅に、楽しそうに歩いていました。こうでもしないと親を殺すと言われたからです。
謹姞は身重でしたが姒鞴の隣まで来て、物欲しげに肩をこすらせました。こうでもしないと親を殺すと言われたからです。
謹姞を連れてきた使用人も、とりあえず謹姞を出せば大丈夫かと思ったのでしょうか。しかし姒鞴の返事は予想だにしないものでした。
「おい、この女じゃないぞ。
「えっ、燿嬴さまで合っていますか?」
「そうだ。早く呼べ。今日の食事に付き合ってくれると、わざわざ使いをやってくれたのだ」
使用人は一度はためらいましたが、すぐさま「は、はい」と駆け出します。燿嬴とは姒鞴の妻そのものであり、これまで姒鞴は何度も食事に呼び出していたもののことごとく断られたため、ここ数年は呼び出しすらしていなかったのです。
そのあいだ姒鞴は、用はないと言ったのに隣りの謹姞の肩を掴みます。
「お前、俺が別の女を呼ぶのに嫉妬したか?」
「いいえ、問題ありません。私は常にあなたの一番の女を目指します。負けません」
「ふふ、それでこそ俺の女だ」
そうやってキスを何分も続けていたところで、燿嬴が部屋に入ってきました。それを見つけた姒鞴はあっさり謹姞を蹴飛ばして、椅子から立ち上がります。部屋の入り口から謹姞が見えないようにする念の入れようです。謹姞も姒鞴の意図には気付いています。逆らうと親が殺されるので、テーブルの下に潜ってじっと固まります。
「おお、燿嬴、久しいじゃないか。俺に姿を見せたのは。燿嬴の美貌を拝むのは何年ぶりだろうか。何年も部屋にこもっていたのに連絡をもらった時は嬉しかったぞ。何がお前を心変わりさせたのだ?」
「おそれながら、私はあなたを試していました。あなたの愛が真剣なものであるかを知りたかったのです。あなたは数年前まで毎日のように私のところへ使いをやり、時には私のところへ直接赴いて食事に誘われました。しかしある日突然、あなたから求めることはなくなりました。私の代わりに10人の女を連れてきたと聞いた時は、寂しいと思いました。10人の話を聞くたび、私は毎日のように焼きもちをやいておりました。私はあなたを試すつもりが、逆に私が試されていたようです。私は器の小さい女でございます。お赦しをもらいたかったのです」
「なんだ、そんなことか。俺は心が広い。安心しろ。加齢したお前の顔は謹姞には劣るが、俺の大事な妻だ。お前の産んだ子が俺の大切な跡継ぎになる。大切にしないわけがないだろう。ほれ、ここに座れ」
と言って、燿嬴を隣に座らせます。すると燿嬴はふところからひとつの袋を取り出します。
「実はあなたに食べていただきたく、この日のために使用人たちと一緒に何度も試行錯誤して、おいしい菓子を作ってまいりました。ぜひご賞味ください」
「おお、そんなものがあったか」
と、そこへ後ろから護衛の大男が「もし、それを毒見させていただきたく」と横槍を入れてきます。姒鞴はいきってテーブルを叩きます。
「久々の夫婦の再会だ。水入らずのこのときを邪魔するな!」
「で、ですが‥」
「俺の妻が怪しいと言うのか?今すぐここから出ていけ」
「は、はい」
護衛がゆっくり歩いて部屋を出て、ドアを閉めると姒鞴は「役立たずめ」と言い、そして燿嬴の持ってきた袋から1個の団子を取り出して口に運びます。
「これは‥うまいじゃないか、もっとくれ」
「はい」
燿嬴にとって想定外が1つありました。姒鞴があっさり護衛を追い出したため、袋の上の方にある毒のない団子の出番がなくなったのです。しかし、袋の下半分にある団子を食べさせたいと悟らせてはいけません。
「私もおなかがすいています。ぜひ1個、私にもいただけないでしょうか」
「おう、くれてやる」
姒鞴は1個取り出して、それを口に入れます。姒鞴はそれもいとわず、次から次へと、1個、1個、1個、口に入れます。
「よっぽとお気に入りのようですね、全部召し上がりますか?」
「ああ、全部食ってやる」
姒鞴は袋の中にあったものをすべて口に流し込みます。そして‥‥「うっ」と声にならない声を出します。首を押さえて立ち上がったかと思うと‥「あっ、あっ」と血を吐いてその場に倒れます。
その最期を見た燿嬴は、はげしく冷静でした。テーブルの下に人がいることなんて、燿嬴には最初から分かりきっていることでした。のぞいてみると、案の定、1人の女性がいました。
「もう大丈夫です。葛伯は死にました」
「‥っ」
謹姞の目は潤んで、ぼろぼろ涙を流します‥が、その表情を見た燿嬴は、「まずい」とつぶやきます。
「出てきなさい」
「はい」
何の疑いもなく出てきた謹姞‥‥の頭を掴んで、テーブルに打ち付けます。「ああ‥」とまた声にならない声を出して、謹姞はもう一度テーブルの下に崩れ落ちました。
さすがにテーブルに打ち付ける音は大きかったようで、すぐに護衛や衛兵が入ってきました。「おい、どうした」と護衛が燿嬴の胸ぐらをつかみます。すぐに衛兵の話し声が聞こえます。
「へ、陛下!」
「死んでる‥」
「もう1人倒れてるぞ、そっちはどうだ?」
「気を失ってるだけです」
「‥お前がやったのか?」
「さあね。そこの女は私を見られたから殺しておいたよ」
護衛はすぐに燿嬴を地面に打ち付け、その胸を一刺しします。
◆ ◆ ◆
葛伯の宮殿のある貴族街をさらに包む城壁を、
「しばらく攻撃しないことは分かりました。しかしこちらが交渉の結果を待っていることを見越したうえで、敵が罠を仕掛けてくる可能性があります。警戒を怠ることはできません。この包囲から抜け出す人がいれば、容赦なく捕らえます」
そう言って、2人ともすぐ前線に戻りました。あたしと
「陛下、落ち着きがありませんな」
そう言ってきたのは
「葛伯を生け捕りにできればいいのですが‥‥私の命令一つで、悪人とはいえ人が死ぬのは忍びなく‥‥」
「生け捕りできても、どっちみち殺すことになりますよ。葛伯は悪名が高く、これを倒して葛を救うという筋書きを用意することで、諸侯の支援を得る時に説得力がつくでしょう」
徐範がそこまですらすら言ったところで、子履は無言であたしのそばへすごすごと歩み寄ります。
「えっと‥どうなさいましたか?」
「
子履とは思えないくらい語気が荒いですね‥‥。ステレオタイプであって、全員がそうというわけでは‥‥。
「中国の歴史書読んだことありますか?亡国の最後の王、
「履様、
そりゃ戦争ですからこうなるのは仕方ないですよ。でもこんな姿、他の人に見せてはいけません。兵士たちのやる気を削いでしまいます。特にあたしが他の人から言われたわけではありませんが、こういうことはさすがに分かります。子履の頭を自分の膝の上に乗せて撫でようと手を伸ばした矢先、突然「陛下にお会いしたいという方が‥」と、外から兵士の声が聞こえます。
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