第302話 大喜名分(3)

かつしょうのすぐ隣りにある國で、用事もすぐ済みます。次回の朝廷で徐範じょはんから報告を受けた子履しりは「それでは支援を始めて下さい」と言います。

かくして、葛の東側にあるむらへの支援隊が組織されます。といっても、あらかじめ人選は済ませているのですぐ済みます。若干名の兵士を伴って、食料を引っ張って、葛の邑に送り届けます。


「支援隊が帰った直後に葛の兵が邑から徴税と称して支援物資を奪っていったようです」

「そうですか‥」


次回の朝廷でそのことを聞いた子履は頭を抱えます。すぐに近くの家臣が「ほら、私が言った通り葛伯は賊そのものです。どれだけ支援してもすぐに奪われるのでは意味がありません」と握りこぶしを作りますが、子履はあっさりと次の方針を打ち出します。


徐範じょはん

「はい」

「もしかしたら、あれを支援物資ではなく邑の人がもともと持っていた資産だと勘違いした可能性があります。葛伯の誤解を解いてもらえませんか?そして、もう一度支援物資を送り届けます」

「承知しました」


そこまで素早く決まっていくのですが、すぐに他の家臣が慌てたように聞きます。


「お待ちください、二度三度送っても横取りされるのは目に見えています。商の食料をいたずらに減らすだけです。ただでさえこの商も飢餓の危機に直面しているというのに、陛下は正気なのでしょうか?」

「飢餓は起こらないと確信しています。食料を送り届ける目的はただひとつ、商の國を攻撃してこないようにするためです。そのために支援対象も、商の国境近くにある邑に限定しています。いいですか、これは葛ではなく商のためにやっていることです。それに食料問題については、少ないですがあてはあります。現在秘密裏にことを進めていますが、近いうちに公開します。今は下がって下さい」


最近の子履は、戦争を反対しまくっていたときよりも堂々としているように見えます。確固たる根拠を持って発言するのはやっぱり違います。


◆ ◆ ◆


後宮、子履の図書室というかもう面倒なので書斎と呼ぶことにします。子履の書斎にあたし、任仲虺じんちゅうき簡尤かんゆう、徐範が集まります。


「今日の朝廷ではああ言いましたが、本当に食料のあてがあるのでしょうか?」


さっきとは裏腹に弱々しそうな表情で尋ねる子履に、任仲虺はうなずきます。


「はい、あります」

「もしかして葛から徴発するのでしょうか?確かに葛は農業に優れていましたがそれも以前の話で、今は食料の備蓄もないでしょう。葛から奪うのは現実的ではないですよね」

「葛に食料はありません。ですから、自分で作るのです」

「た、確かに商には余るほど人がいて、人員は問題ありませんがここ数年の天候不順ですと‥‥しかも今は冬ですから、たとえ冷害がなくても作物は育ちません」

「いいえ、育ちます」


そう言って任仲虺は、懐から一冊の本を取り出します。『五究伝』と表紙に書かれています。


「これは魔法の研究本ですが、この中にこうの魔法についての記述が散見されます。その中で、少康しょうこう(※の過去の帝。寒浞かんさくから夏を取り戻した)もまた光の魔法の使い手であり、寒浞と戦う兵のための兵糧に悩んでいたおり、光の魔法を使って冬に作物を実らせたという伝説が書かれています」

「まさか‥」

「葛の広大な土地を使って作物を育てるのです。これが成功するかは、陛下にかかっています」


子履はつばを飲み込んでしばらく固まっていました。


「‥‥できるのでしょうか?光の魔法については分かっていないことも多いですし、私もめったに使いませんから自分自身でもわからないです」


あたしをストーキングするときに思いっきり使ってませんでしたか?ほぼ毎日使ってるじゃないですか、とあたしは突っ込もうと思いましたが、さすがに徐範と簡尤の前で吹っ飛んだ話はしづらいのでやめておきます。


「同じ伝説は、顓頊せんぎょく(※五帝の1人)、けい(※夏の2代目帝)にもみられます。共通点はの魔法を使ったということです」

「ま、待って下さい。作物が実るのに最低3ヶ月は必要でしょう。私も人間ですから、3ヶ月間寝ずに魔法を使い続けるのは無理です」

「陛下の言葉、2箇所ほど訂正させて下さい。まず、あわであれば3ヶ月かかるかもしれませんが、1ヶ月で収穫できる野菜も存在します。小松菜などです」

「だ、だからといって1ヶ月も魔法を使い続けるのは‥‥」

「もう一箇所訂正させて下さい。これらの資料をわたくしなりに研究してみましたが、どうやら水の魔法で空中に巨大で薄い膜を張っているらしいのです。それを使って、膜の中にある熱を外に逃さないようにしているようです。わたくしも属性は水ですからその魔法を使ったことはありますが、翌日になっても効果は持続していました。これらの記載を総合すると、まず空中に目に見えないほど薄い膜を張ってから、中で熱を発生させるのです」


前世でいう温室ハウスのようなものですね。それが、今回は1つの國を丸ごと温室ハウスに入れるようなものです。

子履はあたしの顔をにらみます。睨むというか、何言ってんのこの人とか、助けて下さいという意味合いが入っているように見えました。


「‥‥履様が納得されていないようなので、一度、狭い畑でも借りて実験してみるのはどうでしょうか?」

「‥‥仕方ないですね。ただ、どこの畑にしましょうか。この手の話は国民に希望を抱かせるものなので、後で落胆されないよう慎重に準備をしませんと‥‥」

法芘ほうひ様に協力を仰ぐのはどうでしょうか?法芘様の家にも畑があります」

「なるほど、いいですね」


法芘の家にも、狭いながら畑があります。それを借りることになりました。


「ところで」


と、子履が顔を上げます。


「ここから先は徐範に尋ねたいのですが、徐範が葛から戻ってきてすぐに2回目の支援隊を送り、それでも横取りされてから攻め込むつもりです。この作戦で問題ないでしょうか?」

「大筋はいいのですが、私から1つ提言があります。2回目の支援は趣を変えましょう。まず、支援隊は葛兵から勘違いされないようにと称して、支援物資を送り届けた後しばらくそこに留まって、炊事などをやってもらいます」

「それは、確実に葛人かつじんに食事をさせるためですか?」

「いいえ、葛兵に襲わせるためです」


それを聞いて、子履は背筋を凍らせます。


「な、何を考えているのですか!?それでは無辜むこの民が死ぬことに‥‥」

「陛下、これは単に大義名分を作ればいいという問題ではありません。夏に攻め込まれないよう、葛がどうやっても言い訳できない状況を作らなければいけません。そのためには、葛が極悪人であることを示し、できるだけ多くの諸侯を味方につけます。さもないと、今回失うよりもますます多くの民が死ぬことになります」


子履は徐範から目をそらします。


「で‥でも、それでも屁理屈を言う人はいるんじゃないですか?こっちが勝手に食料を送っただけだとか言って‥‥」

「反対意見は、反対する理由が賛成する理由を上回るから出てくるものです。よって、賛成する理由が強くなれば問題はありません。それには、時に強い衝撃が必要になります。特に商は小国、少しでも立ちふるまいを間違えればすぐ夏に食われます。まして今回、確かに葛の民はこちらの領土へ立ち入りましたが、葛の兵がこちらへ攻め込んできたわけでもありません。今はただの民衆同士の争いでしかなく、それを國同士の戦争に結びつける、相当の理由が必要になります。そのためには、支援隊を葛に襲わせるだけでは足りません」

「ま、また何があるのですか?」

「支援隊に子供を含めるのです」


子履は絶句して、そのままへなへなと地面に座り込みます。倒れないようあたしがしゃかんで支えます。ていうかあたしも徐範の言っていることに引いています。


「じ、徐範、自分が何を言っているか分かってるのですか?」

「もちろん、分かっています。だからこそ、この支援策が謀略であることは徹底的に伏せる必要があります。でないと陛下の子孫がこれを口実に滅ぼされる可能性もありますから。記録にも残さないほうがいいでしょう」

「わ、私が聞きたいのは、そういうことでは、ありません!未来ある子供を生贄にしてまで商の國を存続させよと、そう言っているのですか?」

「この商の國には大量の子供がいます。そのうちのたった1人、2人の犠牲をおしむようでは、政治はできません。それ以外の子どもの生活が豊かになるのなら、安いものです。それに陛下はこれまで頑なに戦争を拒否なさいましたから、このような衝撃もなくいきなり戦争を始めるのも不自然でしょう」


子履は黙って首を振って、言葉も出さずにうつむきます。それからちらりと顔を上げます。


「ち‥仲虺はどう思うのですか?」

「徐範に賛成です」

「簡尤は?」

「賛成です」

は?」

「‥‥反対‥ですが、多数決にするなら無理ですね」


子履は「せめて罪を犯した子供にできませんか?」と言いますが、徐範は「1人だけ罪人を混ぜるのは不自然でしょう」と答えます。「それでは奉仕活動をしたら罪をすべて許すと称しては?」「それでも不自然です。陛下があらかじめこうなると分かっていたという痕跡を何一つ残してはいけません」「そこをなんとか‥」と、子履と徐範の話はそのあとしばらく続きます。


徐範の考えにはあたしも度肝を抜かれました。冷酷にも程があると思います。もしそれが自分の子供だったらどうするんですか。

ですがここは一歩間違えたら商が滅ぶかもしれない瀬戸際、徐範が出立してから戻るまでの間に子履・任仲虺と3人で何度も対案を練りますが、いいものが出てくるわけもなくひたすら時間だけが過ぎていきます。

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