第301話 大喜名分(2)

さてその日の夜に来客があったようです。客間に通してみると、簡尤かんゆう徐範じょはんでした。子履しりとあたしが応対します。2人ともにこにこ笑ってますが、目が笑ってないです。あれ、あたしたちなんかまずいことやりました?

身分としてはあたしたちのほうが上ですが、この2人は今はなき子主癸ししゅきから教育役としてつけられたものです。


「陛下、単刀直入にお聞きします。かつへの侵略をお考えになっているのでしょうか?」


徐範のほうから尋ねてきました。うわ、ものすごく直球です。そういえば戦争のこと、あたしと子履と任仲虺じんちゅうき以外には口外していないのでしたね。

子履が何事もなかったかのように対応します。


「どうして、そう思うのでしょうか?」

「これまで陛下はどのような境遇にある國も一貫して支援してきませんでした。それが本日、いきなり葛へ支援したいと言い出したのです。これがひとつ。葛伯は夏帝と同様に酒と女にまみれ、民から徴発を繰り返し、國力に見合わない贅沢をしていると聞きます。支援するうえで、その葛伯にわざわざ報告すると仰せになったのです。これがふたつ。朝廷の様子をはたから拝見しておりましたが、陛下は支援物資が葛伯に奪われるのを最初から想定されているように見えます」

「はい。奪われるでしょうね」

「何のためにわざわざ奪われたがるのか考えましたが、戦争をする口実作りにしか思えませんでした」

「はい。認めます」


子履は平気でそう答え、紅茶を少し口に含めます。徐範はわずかな事実から推理してここまで考えついたというのに、それに応対する子履も冷静すぎます。


「私からも質問していいですか。本日、ほとんどの家臣たちはすぐに賛成するか反対するか決めていたのに、あなたたち2人は最後まで立場を表明していませんでした。どの時点で気付いていたのですか?」

「最初に聞いた瞬間から疑問に思っておりました。ですが確信に変わったのは、私が最後に2つの提案をしたところからです。あのような性格をした葛伯にわざわざ通知するということは、横取りしてくださいと言っているようなものです。民間人を巻き込むのも、諸侯からの同情を得るには十分です」


子履、やけに堂々としています。と思ってあたしが子履の手元に視線を落とすと‥‥あ、手が震えてます。

といってもここでは、立派な椅子に座っている子履の前にテーブルなど視線を遮るようなものはなく、椅子の隣で立っているあたしが手を握ってやると床に座っている2人に見えてしまいます。ごめんね、我慢してくださいね。堂々とした態度をとれるのは朝廷で慣れたからでしょうか、成長を感じると同時に少しだけ淋しくもなります。


「‥それで、用件は何ですか。私の意図をこんな夜遅くにわざわざ確認しに来ただけではないでしょう」

「はい。戦争のことは、他にどなたかにお話されましたか?」

「私と仲虺ちゅうきの3人で決めました」

「戦争の準備を機密で進めるのはいいにしても、私たちにも話を通してほしかったと思う次第でございます。率直に申し上げますと、まだ成人しておらず経験も少ない人たちの間で國の将来を左右する重大ごとを共有するのは、危険であるかと存じます。もちろん家臣全員に話せとは言いませんが、先君から陛下の教育を仰せつかった私たちをご信頼いただけないようなことがあれば、先君が泣きます」


子履は「ん‥」と声に出して、しばらく口ごもります。「‥そうですね、申し訳ありません」とすぐに頭を下げます。


「分かればよいのです。では私たちはこれで」

「‥あっ、待って下さい」


立ちかけていた2人は、すぐに地面に膝を落とします。


「徐範、葛への出立は明日でしたね。その前に聞きたいのですが、戦争には賛成ですか?反対ですか?」

「これまでにも戦争の議論があるたびに私は賛成してまいりましたし、もし反対なら今日の朝廷で私は止めております」

「簡尤はどうですか?」

「はっ‥私も賛成です。恐れ入りながらひとつお聞きしたいのですが、陛下がこれまで一貫して戦争に反対なさっていたのは、今日の奇策のためですか?」

「いいえ、先日、摯に説得されました」

「伊様が‥」


あたしも「自分なりの考えを少し付け加えましたが、基本は簡尤様の受け売りです」と付け足しておきました。

そのあと、ついでに作戦についても助言してくれてから2人は帰っていきました。今後は任仲虺も交えて、5人でちゃんと話しておきたいですね。


◆ ◆ ◆


部屋に戻ったあと、子履がベッドに座りましたので、あたしも隣りに座ってやります。


「お疲れ様です、履様」

「怖かったです。あんな少ないヒントから簡単に私の真意を推測してしまうなんて」

「それだけ優秀な家臣だということですよ」


あたしは子履の背中をそっと撫でます。子履は「‥そうですね、そうでしょうか」と、長いため息をつきます。


「ですが、優秀だからこそ怖いこともあります。前世の中国では、裏切りもおかしな話ではありませんでした。もし私の作戦に気付いたのがあの2人ではなく、本当に葛やと通じているスパイだったら‥‥と思うと怖いのです」

「あの2人のことは信頼するんですね」

「‥はい。信じなければ、さすがに人間不信だと思いますから。でも前世中国のことを知っていると、誰を信じていいのかわからなくなります。私は歴史を熟知していますが、政治そのものは素人ですから」


あたしもその気持ちはなんとなく分かります。前世日本では、友達に裏切られたら悲しいとか縁を切ろう程度で済みます。この世界で裏切られると、最悪死んだり國が滅んだりします。いつも親しげに話している相手が、実は自分を殺そうとしていると考えるだけでぞっとします。

これは歴史の本に書かれていることではなく、現実です。前世の日本の戦国時代とか、中国を生き抜いてきた人たちは改めてすごいと思います。確か実際に、人の言うことを信じられずに次々と殺してしまった王様もいましたっけ、劉邦りゅうほうとか。


「それにしても、履様があっさり考えを変えるとは思いませんでした」

「えっ?」


うつむいていた子履が、ゆっくりと顔を上げました。


「戦争のことです。履様はあれだけ頑なに戦争をしないと言っていましたし、正直、あたしが3つの間違いの話をしても、履様は戦争をしない理由を固めるだけかと思っていました」

「そういう摯は戦争をしたかったのですか?」

「いえ、反対です」


この世界の人たちの考えにはついていけないところもありますが、少なくとも子履には、戦争に反対するのなら自分の言葉で説明してほしかった‥これに尽きます。

子履なら絶対に戦争をしないはず、という確信や思い込みや期待があったかは今のあたしには分かりませんが、子履が戦争をすると言い出しても、正直、あたしはそこまで驚きもしませんでした。あたしがあの話をした目的は戦争をしないことではなく、最後まで子履のそばにいる理由を手に入れることでしたから。


「私も同感です」


と、子履は戦争への反対を表明します。


「戦争に反対なら、なぜこのようなことを‥‥?」

「摯。もともと私が戦争に反対していたのは、いくつか理由はありますが、もしここでしょうが夏を滅ぼすと、それがこの世界で最初の革命戦争になるからです。戦争によって王朝が替わる前例を作ってしまうのです。のちの時代の人々は、きっと私の選択を模倣して、次々と戦争を仕掛けるでしょう。ですがあの時、本物の民の声を聞いて思ったのです。たしかに未来のことも大切かもしれませんが、今の時代の人たちは今を必死に生きています。今の時代がなければ、未来は存在しません。今を未来へ繋げていくためにも、今にとって最善の選択をすべきではないかと思い至りました」


そんなことを言っている子履の顔が全然笑っていなかったので、あたしは黙ってもう一度背中をなでてあげました。あたしの目をじっと見て話したのはよかったと思います。「履様、よく頑張りましたね」と声をかけてやりました。

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