第298話 戦争のない領地と平和な領地

「‥その2つは、どう違うのですか?」

「同じようで実は結構違います。『戦争のない領地』とは、単に戦争がないだけでそれ以外の苦しみはなくならないことをさします。もしこのまましょうが戦争をせず国力をつけないままが攻めてきた時、この商丘しょうきゅうは確実に夏の手にわたります。夏はきっと、多くの家臣が懸念しているように、民から徹底的に搾取し苦しませることになるでしょう。それが戦争以外の苦しみです。『平和な領地』も同様に、戦争はもちろん望みません。しかし民が笑って暮らせない、平和を阻害する要素があれば、それを排除します。このときの手段に戦争があるだけです」

「民の安寧を守るための侵略戦争などありえません」

「字面だけ見るとそうですね。でも履様だって本当は分かっているのでしょう。領土を広げない限り、この商丘は援軍を待つ暇もなく一瞬で夏に潰されます。それが分かっているから、夏帝に何度も手紙を送ろうとしました。夏帝の改心が無理なら、商は滅ぶか侵略者の汚名をこうむるかの二択です。いいえ、商は滅ぶしかありません。なぜなら履様が今守っているのは、商人しょうじんでもなく、あたしやご自身の保身でもなく、戦争をしないという決意だけだからです。履様はこれまで民のためを思いつつ政治をしてきましたが、それが今になって民を夏という地獄へ突き落とす選択を取ることが、多くの家臣は理解できないのです」


子履がすっかり静かになったのを見下ろして‥いえ、あたしも膝を曲げて、子履と目線を同じにします。


「履様はこれまで、民を見て政治をしてきました。しかし履様の望むものが『戦争のない領地』であれば、人心は離れていきます。履様が本当に守りたいものは何ですか?履様がこれまで内政において大切にしてきたものと矛盾しないか考えて、答えを出して下さい」


子履はうつむいて、しばらく目を閉じます。それから顔を上げて、はっきりあたしを見つめます。


、私から2つ質問をさせてください」

「はい」

「1つ。摯は何があっても私についていくと言いました。でも今こうして、私の決断が変わるかもしれないことを言いました。私が摯にとって間違った選択をしたら、摯も私から離れるのですか?」

「もちろん履様がどんな軽薄な決め方をしても、あたしはどこまでもついていきますよ。もし商が滅ぶなら、あたしは履様と一緒に死ぬ覚悟です。でもどうせなら、履様にはきちんと悩んで結論を出してもらったほうが、あたしも安心して死ねます」

「‥‥もう1つ。摯はこれまで、この問題にほとんど口出ししてきませんでした。戦争をしない立場で仲虺ちゅうきと言い争ったのを見ましたが、それだけで、朝廷では聞いたことがありません。でもこうして、摯は真剣に話してきました。摯自身は、戦争をすべきだと考えているのですか?」


あたしは「難しい質問ですね‥」と頭を抱えます。


「なぜ難しいのですか?もう結論が出ているのではありませんか?」

「‥‥もちろん、あたしの中では結論は出ています。でも履様は、これまで道行くたびに家臣や民から戦争すべきだという声ばかりもらっています。信念を全方向から批判されているのに、あたしまで批判する方に回ったら履様はきっと耐えられません。あたしは履様にとって安息の地でありたいです。なので意見を言うのが難しいのです」


子履は少し珍しいものを見る目で、目を動かします。


「‥‥でも言いたいことは言えましたので、あたしはもう絶対に口出ししません」

「‥‥いいえ、口出しして下さい。摯は私の妻であると同時に、商の一番の家臣ですから。ああ言ってくれた摯は心の底から信頼できます」

「え‥‥いえ、今の3番目の話は簡尤かんゆうさまの受け売りでして‥」


あたしが言い終わらないうちに、子履は「ですから摯の考えを聞かせて下さい」と、ぽふっとあたしの胸に顔を埋めます。え、そういえば抱きあうって今までありましたっけ?ああ、ありましたね、確か三年の喪のときと夏台のとき。めったにないことです。ちょっぴり恥ずかしいけど‥あたしは子履の頭を撫でます。よしよし、よく頑張りましたね。しばらく間をおいて「そこまでおっしゃるなら、あたしの考えを言いますね。あたしは‥‥」と言いかけたところで、子履はばっと顔を離します。顔が真っ赤になってます。


「ど、どうしましたか、熱でもありますか?」

「摯‥‥今、何歳ですか?」

「え、12歳ですけど」

「ということは前世基準だと小学6年生ですよね。な‥何ですか、それは」

「それって、どれですか?」

「近頃の小学生はずるいです!そんなに大きいものをぶらさげて!私は2歳上なのに全然ないですし!」

「あの、何の話‥」

「もう摯なんて知りません!」


と、子履は「うわーん」と言いながら走っていきます。一体何の話をしているんでしょう。あのような真面目な話をした直後ですから、きっとこれも真面目な話ですね。


話は変わりますが後日、子履からばかでかいブラを渡されて「今日からこれをつけて下さい。サイズは合ってるはずです」と言われました。


◆ ◆ ◆


食事を終えて、及隶きゅうたいも一緒に寝室へ戻ります。及隶はあたしと子履が部屋の中でも一緒にいられるようにするための道具であることに何度か不満を漏らしていましたが、なんだかんだでついてきてくれます。


「その‥摯」

「どうしましたか?」

「明日は朝廷ですね」

「はい」


それから子履は少し止まってしまいます。


「‥‥もし私がどんなに最低な選択をしても、摯は私を受け入れてくれますか?」

「もちろんです」

「‥‥私はいつ汚れるか分からないです。今日が、きれいな私を見る最後のチャンスかもしれないですよ」

「政治はただのきれい好きには務まりませんから。あたしは気にしていませんよ」

「そうじゃなくて‥」

「え?」


子履は頬を赤らめて、そっぽを向きます。少し固まって、ちらちらとあたしを見ます。


「摯は焦りませんか?」

「えっ?」

「人は成長しますし、考え方も変わります。10年たったら別人のようになっているかもしれません。人には変わるきっかけがあります。明日の朝廷で何があるかわかりませんが、もしかしたら明日の私は摯にとって別人にうつるかもしれません。そのときに、昨日までの私ともっと仲良くしたかったと後悔するかもしれません」

「別に、何がどうなっても履様は履様ですから」

「だから!そ、その‥わ、私もこの機会にけじめをつけたいんです!摯と今までできなかったことをしっかりやって、今までの私にさよならをしたいんです。なので今夜は及隶を抜いて、2人だけで‥‥」

「2人だけになると履様は眠れないんじゃないですか?」

「な‥何で、摯は寝るの前提ですか?」

「え、寝ちゃいけないんですか?」


さっきから何の話をしているかわかりませんが、子履はあたしから目をそらして体を震わせています。あたしはちらりと左下を見ます。


「隶、履様が今夜は2人だけで寝たいと言ってるから‥」

「摯のばか!安本丹あんぽんたん!今夜は別室で1人で寝ます!」


返事をしたのは及隶ではなく子履でした。ぺーっと舌を出して、掛けていきます。「待って下さい、履様!」と叫ぶあたしのすそを及隶が引っ張ってきます。


「‥‥追わないほうがいいっすよ」

「ええ‥‥」

「センパイも朴念仁っすね」

「ええ、隶までそう言うの?一体どういうことなの?」

「まあ、回りくどすぎる陛下も悪いっすけどね」

「だから何の話なの?」


子履も及隶も分かっていてあたしだけ分かっていないのは気味悪いです。そこあとも答えてくれなかったので、いつも通りほっぺたを引っ張ってやりました。今日は伸びが少し悪いですね。

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