第297話 子履の本当に望むもの

その翌日、あたしと子履しりはまた街を歩いていました。ただし、今度は庶民と見間違うような質素な服で。髪飾りも質素なものに変えています。冕冠べんかんもなく、護衛にも変装してさりげなくついてきてもらっています。

昨日と違って通行人は特にあたしたちを避けることもなくすいすい歩いています。まあ、これくらいは分かりきっていたことです。


「やはり、庶民目線ならこうして服の質を落として溶け込むほうがいいですね」

「はい、昨日はあたしもあせってしまいごめんなさい」

「いえいえ。でも同じ店に2日続けて行こうなんて、どうしたのでしょうか。確かにあの店の食事はたいへんおいしかったのですが」

「まだ頼んでないメニューを思い出したんです、どうせならと履様も誘ってしまいました。朝廷もありませんし」

「私は摯と一緒ならどこへでも行きます」


そうやって歩きながら話しているうちに、昨日と同じ店に着きました。入り口で店主が走ってくることもなく、店員も緊張することなく、スムーズにあたしと子履を店の真ん中に近いテーブルに案内します。


さてどのメニューにしましょうかと子履と話し合っていたところで、ふと背後から声が聞こえます。


「なあなあ、昨日ここに陛下が来られたらしいけど知ってる?」

「ああ、知ってる。俺もその噂を聞いてここに来たんだ」

「お前もか」


昨日の話をしていますね。子履もここではすっかり人気者です。ちらりと見ると、子履もメニューはそこそこに、2人の会話に聞き耳を立てています。


「なんか、戦争はしないと言ってたらしいな」

「ああ、またか。噂通り頑固な奴だな」


それを聞いた時、背後の子履の手がぴくっと動くのに気付きます。


「お前もそう思うか?なあ、しょうは戦争しないとどうなると思うか?」

に攻め込まれて終わりだ。援軍を待っている間にやられる」


その隣のテーブルに座っている女性3人のグループはじっと男2人の会話を聞いている様子でしたが、ついに話し出します。


「陛下はかわいそうに、夏台かだいでおかしくなったのかしら」

「普通、一週間も閉じ込められたら怒るよね」

「待って、それは陛下の器が大きいってことにならないかな?」

「器が大きいことと愚かなことは違うよ」

「確かに戦争は嫌だけど、それで國が滅んだら意味がないよ」


するとまた後ろ側のテーブルからも男の声が聞こえてきます。


「俺はいざとなったら商のために戦う」

「あんた、何言ってるんだい。どうせ陛下は戦わずに逃げるさ」

「陛下はそうだろうな。だが俺は最後の一人になっても戦ってみせる」

「やめておくれよ、あたしはどうなるんだよ」


子供を抱えている女性も、「これからこの國はどうなるのかなあ‥‥」と、子供の頭をなでながらうつむいていました。「ママ、大丈夫かなあ?」「あっ、子供は気にしなくていいのよ」


「今の陛下は確かにいい人だけどさ、それで國は守れないんだよ」

「僕たちがなんとかしないと」

「あー、俺はパス、妻がいるから隣の國に引っ越すわ」


あたしが片腕を乗せているテーブルが、微妙に揺れているのを感じ取ります。子履が胸を抱えながら、今にも泣きたそうにしています。そんなとき、店員がやってきて「ご注文はどうなさいますか」と声をかけてきます。

子履は喋られなさそうだったので、あたしが代わりに伝えます。


「帰ります。連れのものが体調を崩したようなので」

「あら、そうでしたか、お大事に。またいらしてくださいね」

「はい、ありがとうございます」


子履の手を引っ張って「行きますよ」と言うと、子履は無言でうなずきます。


◆ ◆ ◆


街中の人混みを抜けます。

宮殿のある区域が近づいてきて、人通りが少しずつ減っていったところで、子履がかすれかすれの声で尋ねます。


「私を騙したのですね」

「はい、申し訳ありません、履様」


家臣が開戦を論じるのと同じように、民もそのことを考えているということを、今でも庶民の住む場所へ行き来しているあたしは知っていました。なので1日目と2日目で服を変えてあの店に行きました。まあ、今日はそんなに都合よくあの話題が始まるとは思わなかったので、最初に話しだした男2人に事前に協力を依頼したりはしましたけど。歩誾ほぎんと仲良くしているといろいろなつでができるものです。

子履にとっては耐え難いことかもしれませんが、あれが現実です。何度でも言いますけど、たまたまあの店に意見の近い人が集まったわけではなく、あの店が政治的な議論をする場として利用されているわけでもなく、街の人達のほとんどが同じようなことを考えているのです。


「どうして、こんなことを‥」

「履様の言動に違和感を持ち、それを簡尤かんゆうさまに相談しました。それで分かりました。履様の問題点は3つあります。1つ目は、履様、戦争をしないのは民が苦しむから、民が望んでいないからとおっしゃっていましたね。でもそれは、自分の主張のために民を都合よく利用しているだけです」


言った直後に、さすがに言い過ぎたかな‥と思って振り返りますが、子履は半泣きでじっとあたしの言葉を聞いていました。あたしは一度目をそらしてから、再び振り向きます。


「為政者は民のために政治をおこなうべきだと言われています。それは正しいですが、一方で、いくら民が望んだことでも、最終的にそれを決定するのは領主である履様自身です。履様が民の声を愚鈍に聞いて選択を間違ったとしても、民は責任を取ってくれません。全て履様の責任になるのです。それを決して履き違えてはいけません。政治はあくまで履様の意思において、履様の言葉によっておこなわれるべきです」


子履はあたしから視線を外して、少しうつむきます。「‥残りの2つは何ですか?」と聞いてきます。


「2つ目ですが、あたしは昨日は履様を領主として、今日は市井しせいの人としてあの店に連れていきました。どのような変化がありましたか?」

「‥‥昨日はみな、私のことを敬愛してくれましたが、今日は私に気づかずみんな肩の力を抜いているようでした」

「本当にそれだけですか?」

「えっ?」

「昨日、戦争をしないという履様に反論してくれる人はいましたか?」

「それは‥‥」


固まる子履を見ながら少し間を置いて、あたしは話を続けます。


「民には政治の難しいことは分かりません。小手先の反論はしても無駄だと分かっているのでしょう。それでも勇気を持って諫言かんげんしてくれる人がたくさんいました。夏やせつからきた人も混じっていますが、みなあなたの家臣です。履様はそれに向き合おうとせず、自分の考えを押し付けて、議論を禁止して逃げようとしました。家臣の諫言を聞けない人に、民の本音は刺さりましょうか」


子履は少し涙を流して震えていました。言葉を紡ぐ余裕もなさそうです。あたしは話を続けていいか悩みました。少しでも声を掛けると「もういい」と怒って駆け出しそうな雰囲気でした。


「‥‥3つ目は場所を変えましょうか」

「今ここで話して下さい」


子履はあたしをしかめた顔で見ていました。真面目に聞いているのか、あたしを憎んでいるのか、面倒な話をさっさと終わらせたいのか、それとも覚悟を決めているのか。あたしはため息をつくと、話を続けます。


「3つ目は、履様が本当に望むものは『戦争のない領地』と『平和な領地』のどちらであるか明らかになっていないことです」

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