第296話 違和感の正体

あたしは簡尤かんゆう及隶きゅうたいと街を歩いていました。及隶が「あれ食べたいっす」と屋台で売っている串を指さしたので、それを買い与えてやっていると、簡尤が暇そうに肩の力を抜いて、あたしたちを見下ろしているのに気付きました。


「ああ、そうだ‥」


最近、戦争に関する子履しりの言動を見ていると、特に根拠はありませんがもやもやしたものを感じます。「おいしいっす」と頬張る及隶を地面に残して、あたしは立ち上がります。


「簡尤さま、ひとつ質問がございます」

「何でしょうか?」

「最近の履様、戦争をしたくないとよくおっしゃっていますが、その主張がなんだか現実味に欠けるというか。確かに戦争をしないという選択肢は正しいかもしれませんけど、それを主張する履様が必死を通り越して、その、なんていうか‥‥履様の言葉が嘘っぽく感じられるのです。変でしょうか?」


簡尤はしばらく腕を組んで考えますが、「そうですね‥」とぼやくように間を置きます。


伊摯いし様は、戦争についてどのようにお考えですか?」

「え、もちろん、よくないので絶対にやってはいけないことだと思いますけど‥」

「それでは、がこの商丘しょうきゅうを支配して悪辣百般あくらつひゃっぱんの限りを尽くすとします。それと戦争を比べると、どちらが悪いですか?」

「どちらも悪いと思います」

「どちらか1つを選んで下さい」

「えっ‥」


あたしが言葉を止めると、簡尤は周りの様子をちらりと見ます。


任仲虺じんちゅうきや他の家臣が何度も話していたとおり、このしょうの國は夏と戦争するにはあまりに力がなさすぎます。諸侯から援軍を送ってもらう以前の問題で、援軍を待つための体力すらありません。それはひとえに、土地が狭いからです。なのに夏は、陛下を夏台から出してからも何度か陛下の出頭を求める使者をよこしています。夏台のほとぼりが冷めれば必ずここへ攻め込んでくるというのが多くの人々の見解です。なので、商はみずから戦争を起こすか、それとも滅ぼされるかの二択になります。奇跡でも起きない限りね」


それはあたしも承知しています。子履も夏に手紙を書こうとしていましたが、その奇跡を期待してのことでしょう。


「どちらも陛下は望まれないでしょう。しかし、陛下の言葉に現実味が感じられないのは、それが自滅を招くものだと伊摯様ご自身が分かっているからです。あくまで望まないものからどちらかを選ばなければならないのです。それなら、陛下の『本当に望まないもの』は何かを明らかにするのがいいと思います」

「本当に望まないもの、ですか‥‥?」


あたしは何度か質問を挟みながら、そのまま簡尤の説明を聞いていました。


◆ ◆ ◆


「戦争は民に苦役を課します。そのようなこと、民が望んでいるはずがありません」


今日も子履は平常運転でした。朝廷で戦争の話を出すことはついに禁じられてしまったので、朝廷が終わって子履が宮殿の外へ出たタイミングで、近くにいた2人の家臣が、こっちにも聞こえるようわざと大きい声を出して会話していたのです。あの家臣も家臣で、やり方がちょっとアレですけどね。その会話に割り込んだ子履はこう一蹴したあと、ぷいっと顔を背けて階段を下ります。後ろの方から「やっぱりこの商に身は置けないわ」「次はどこへ行こうか」などという小声の会話が聞こえますが、子履は聞こえているのでしょうか。

‥‥うん。あたしの言うことなら聞いてくれるというおごりはありません。あたしはあくまで、たとえ死ぬことになっても、子履にどこまでもついていく覚悟です。だからこそ、子履がどっちを選択することになったとしても、納得できる答えを聞きたいのです。納得できなくてもあたしの行動は変わりませんが、死ぬ前にひとつはっきりしておいたほうがいいですよね。


「履様」

「どうしましたか?」

「ちょっと街へ行きましょう。おすすめの店があるんです」

「わかりました、それでは着替えて‥‥」

「いいえ、そろそろ朝食が終わる時間になってしまうので、このまま急いで行きましょう。衛兵さん、一緒に来てくれますか?」


そうやってあたしは強引に、子履を適当に見つけた店へ連れ込みました。子履は道中、慌てて外した冕冠べんかんを衛兵に預けていましたが、衛兵も入れ物や包むものを用意していなかったので、衛兵の持っている冕冠は周りから丸見えです。


「摯が急に誘ってくるのは珍しいですね」

「はい、それだけここの食事はおいしいんです」


この時間はピークを過ぎており、ところどころに空席はありますが、客はしっかりいて、世間話をしています。店に入ろうとすると、店長とおぼしき人が冷や汗をたらたらかいて走ってきました。

宮中の礼儀を知らない庶民には稽首けいしゅの文化は浸透していないのか、ただひたすら立ったまま深く頭を下げていました。


「ああ、陛下、事前に教えていただければわれわれも準備しておりましたのに!みすぼらしいものしかお出しできません」

「いいえ、こちらも急に来たものですから。それに陛下もあたしも、わけあって庶民向けの食事には慣れています。肩の力を抜いて、いつも通りのものをお出しくだされば」

「で、ですが、今日の品は味に自信がございません」

「陛下は、食事がまずいから人を罰するようなお方に見えますか?」

「そ、そうおっしゃるのであれば‥‥」


店長はすっかり恐縮して、そのまま厨房に直行します。がちんこちんに固まった店員から窓側の席を案内されると、周りの客たちがあたしたちに視線を集めます。


「陛下!」

「いつも助けてくださってありがとうございます!」

「お世話になっています!」


それは好意に満ちたものでした。子履は子主癸ししゅきの遺した大量の食料を使って、冷害に苦しんでいる九州の中でほとんど唯一、国民を飢えさせていません。夏から亡命してきた家臣たちの助力で、経済も発展しています。お金や物資の循環があって、みんな生き生き働いています。その感謝の目が一気に子履に向いているのです。

子履は頬を染めて小さくうつむきますが、あたしが「手を振ってください」と言ってやると、子履はひらひらと控えめに手を振ります。うん、照れている顔もかわいいです。


子履は一通り手を振ってから、テーブルに肘をかけて、ため息をつきます。


「摯、私のような身分の人がいきなりこのようなところに来ると、かえって迷惑がかかります」

「申し訳ありません、でもこうして庶民の生の声を聞くのも、陛下の仕事の1つですよ」

「生の声‥‥そういえば、羊玄ようげんもそのようなことをおっしゃっていましたね」

「はい。民の目線で考えるのも大切です。履様、しんにあるあたしの実家の近くで、子どもと遊んでましたね。どうです、どなたかに声をおかけしてみては。きっと喜びますよ」

「は、はい、そうであれば‥」


子履は近くのテーブルにいる子供に話しかけています。最初は緊張していましたが、そこまで極度な人見知りというわけでもなく、子供と楽しそうに話しています。すると他からも子供が集まってきて、子履の手が引っ張られます。近くにいた大人が恐縮しますが子履は笑顔でひらひら手を振って、椅子から立ち上がります。子供と興味深そうに話しています。うん、子履はあたしより歳上なのに身長も低く顔も可愛らしいので、子供も親しみやすいのでしょうね。


にまにま満足した顔で席に戻ってきた子履に、あたしはそっと話しかけます。


「陛下、近頃朝廷で戦争の話がよく上がってますね」

「‥はい」

「どうです、この機会に戦争への思いを語ってみては」

「そうですね」


そう言われて、子履はそっと息を吸います。


「いま、この商の國全体は活気に満ち溢れています。国民を飢えさせることなく、いっときの不正も許さず、困っているものには手を差し伸べています。諸国からも人材が集まり、せつ(※商の始祖)の時以来最もよく栄えています。しかし戦争はこれらを全て破壊します。罪のない民を苦しめて殺し、何の得ももたらしません。私はそのようなものを許さず、子どもたちが笑って暮らせる國を作っていきます」


すぐに周りから拍手が送られます。子どもたちもわいわい跳ねながら喜んでいます。


「そうですよ、戦争はやっちゃいけない」

「子どもたちを死なせるわけにはいかない」


大人たちも口々に、嬉しそうにそう言っていました。周りを見回して、子履は照れながら何度も手を振っていました。

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