第293話 里帰りしました(1)
あたしは今、頭を抱えています。
「履様」
「どうしましたか?」
「公務はどうなさるのでしょうか?」
「外遊も伯の立派なお仕事ですが?」
「行き先からするに、どう考えても外遊ではないでしょう」
「外国の見聞を広げるのです。外遊のうちに入りますよ」
少し経ってから、あたしはまたしゃべります。
「聞いたことありませんよ、わざわざ外国まで行って庶民の家におじゃまする伯なんて」
「結婚相手の親に挨拶するのは当たり前でしょう?」
「‥‥そういうことにしておきましょう」
あたしはため息をつきながら、馬を進めます。子履もまた、あたしに合わせて馬を進めます。
本来なら外国への用事は馬車で行くのですが、そうもいかない事情があります。目的地が、あたしの義理の親である
「前世では美樹と一緒に親へ挨拶する機会なんてなかったので、新鮮です」
「‥‥そうですね」
前世であたしがあの時に事故死しなければ、いつか子履の両親と顔合わせする未来もあったのでしょうか。前世は残念でしたが、こうして現世でそれが実現できるのは嬉しいです。子履のほうから押しかけてきましたけどね。
本来はあたしと及隶の2人だけで、義理の親に会うために
「履様、後であたしは個人的に莘伯に挨拶しに行きたいのですが、そのあいだ家で1人で待ってもらえますか?」
「行かなければいけないんですか?」
「そういうわけでもないけど‥‥ただ、莘伯にはお世話になっていましたので、近くへ寄った時にご挨拶へ伺うのが礼儀だと思います」
「そうですね‥それは仕方ないですね」
ついでに厨房から姿を消した姒臾の様子も聞こうと思っているのですが、それは子履には言わないでおきます。
◆ ◆ ◆
田園の広がる道を、馬に乗って進んでいます。
「親の家まであとどれくらいですか?」
「もうすぐです、ほら、あそこの2階建てです」
その家を眺めて、子履はほほえみました。
「久しぶりです。このような庶民の民家に入る機会はめったにないのですから」
「そうでしたね。履様はいつも豪華な屋敷に住んでいますから」
「前世以来かもしれません。あの家には行ったことありませんが、とてもなつかしいです」
「分かります」
あたしも最近は庶民向けの部屋で過ごしてないなーと思っていると、家の前に到着しました。2頭の馬を勝手に家のわきに繋げて、ドアをトントンと叩きます。すぐにドアが開いて、蔡洎が出てきました。
「
「母上、久しぶりです」
すぐに親子で抱き合います。よーし、よしよしよしよし。蔡洎の胸をくんくんかきます。うわあ、なつかしい。この古っぽい布も、ぼさぼさの髪の毛も、何もかも変わりません。帰ってきたって感じです。
「‥あら、あの子はどなた?」
「あたしの婚約相手です。母上も以前、ちょっとだけ会いましたよね」
「あらあらまあまあ、手紙に書いていた婚約相手?ちょっと、こんなところに連れてきたの?伯でしょ、たいしたおもてなしなんてできないわよ」
「大丈夫です、履様も慣れていますので」
「慣れている‥‥?うーん‥‥?まあ、おあがりよ」
「おじゃまします」
とかなんとかで家の中に入ったあたしと子履は、向こうにある居間へ入ります。蔡洎はすぐに「あんた、摯が帰ってきたわよ」と、テーブルの椅子で居眠りしている張沢を揺すります。
「ふぁあ‥‥おっ、摯か、久しぶりだな!」
張沢は目を覚ますとすぐにテーブルを叩いて立ち上がって、あたしに抱きつきます。うわ、おやじ臭い。離れて下さい。
それにしても懐かしいです。‥‥懐かしい?あれ?
あたしはちょっとした違和感に襲われます。
「ん、摯、どうした?」
「‥いえ、何でもありません、大丈夫ですよ」
「そうか?あと、連れの子は‥‥確か、商伯の子だったかな?」
「いえ、今は商伯です」
あたしがそう紹介したところで、子履は「お邪魔します、お義父さま」と頭を下げました。ああ、外戚といって、結婚相手の親は王様よりも立場が上になるんだったのでした。でも張沢はそれを知らないのか、知ってて遠慮してるのか、すぐに「大したおもてなしはできませんが‥」と頭を下げます。
◆ ◆ ◆
「へえ‥これが、お義母さまの味付けですか」
暗くなってきましたので、子履もちゃっかりテーブルを囲んで夕食をいただいています。履様は前世でただの一般人だったとはいえ、この世界では公族として育てられてきましたので、庶民の食事に馴染むか心配でしたが‥‥子履は不平ひとつ言わず、おいしそうに食べています。
「摯はこれを食べて育ったのですね!」
「いや、ちょっとの間だけよ」
蔡洎はそう言って笑いました。
「4歳のときにはもう宮殿へ行ってしまって」
「そうだったのですか?」
「そうよ、あのころにはもう料理がうまかったのよ。私が教えたわけでもないのに、まるで生まれる前から知っていたかのように。それを、たまたまここを訪れた
「でも小さい子供をいきなり仕事に出すのは不安もあったのでしょう?」
それを聞いて、今度は張沢がスプーンを皿の上に置きます。
「摯はまだ信じてないようだがな、法芘のやつはあらかじめ占いをしていたんだ」
「占い‥ですか?」
「ああ。『このあたりに、桑の木から生まれた子がいる。そいつを莘の料理人にしろ。そいつはいずれ、天下をとる』と言っていた。俺は信じるが、まあ、占い嫌いの摯は信じないだろうな、はっはっは。まあ、俺もあの、
下品に笑う張沢に、あたしは「う~っ‥‥そんな具体的過ぎる占いがあってたまるものですか」とうなります。張沢は「まあ、信じるやつは信じるし、信じないやつは信じない。当たるも外れるも八卦ってやつだ」と、平然と蔡洎の作ったサラダをつまみます。
「そうだ、そういえば摯、今日は料理しないんだな」
「えっ‥?」
「私もよ。今日は疲れてたのかしら?ここに来ると聞いた時、摯の料理を楽しみにしてたのよ。明日作ってちょうだいな」
「あの‥」
親からいきなりこういうことを言われましたが‥‥あたし、料理はしたくないです。料理すると、またあの女のことを思い出してしまいそうで‥‥。あの日、厨房から追い出したあの女のことが。もう二度と思い出したくない。
そこにとびこんできたのは、子履の声でした。
「摯は病気のようなもので、料理ができないのです。料理ができなくて苛立っていますので、この話題は控えてもらえないでしょうか」
「‥‥分かった、そうか、そういうことなら仕方ないな」
張沢は椅子にどんともたれて、ため息をつきます。そして、あたしを眺めます。
「大きくなったな、摯」
「ふふっ‥」
あたしはかすかに笑いました。
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