第292話 岐倜にアプローチしました(2)

「あちらの店では、果物が売ってあるんですよ。一緒に食べませんか?」

「はい、いただきましょう」

「はーい。それでは、すももを2つ」


李を岐倜きてきに渡して一緒に食べ歩き‥‥といきたかったのですが、皮をむいてぱくっと口に入れて「甘い!!」とうなるあたしを見ながら、岐倜は自分の李を握ったまま何もしません。


「あれ?岐倜さま、李は苦手でしょうか?」

「いいえ、そういうわけではありませんが‥、食べ歩きは下品ではないでしょうか?」

「‥‥あっ。いや、あたしは平民の出身なので、慣れています。岐倜さまこそ、戦争では少々品に欠けるおこないもなさるのでは?」

「それは本当にやむを得ない場合です。軍人がルールに厳しいのは、みなが一緒に守らないと命に関わるからです」

劉歌りゅうかさまも同じことをおっしゃってましたね。‥‥せめて公園にベンチがありますから、そこで食べませんか?」

「いいですね」


というわけでいつもの公園でベンチに座った岐倜が食べ始めたところで、隣りに座ってるあたしはなにか話題を考えます。家族のことを聞きましょうか?いえ、岐倜は確か岐踵戎きしょうじゅうの子で、その岐踵戎は悪名がこちらへも届いていますし、あまり触れないほうがいいでしょう。となると残りは、趣味、交友関係‥‥。


広萌真人こうぼうしんじんのもとで3年修行されていたとお伺いしましたが」

「はい」

「真人はどのようなお方でしたか?」


広萌真人はこの前の夏台かだいの一件で、及隶きゅうたいとは矛盾した指示をよこしてきたのでそれがどうにも引っかかっています。しかも妺喜ばっき斟鄩しんしんで捕らえられた時に竜が斟鄩を襲っていた件も広萌真人が裏で関わっていたらしいのですが、竜にわざと負けるよう指示を出していたらしいのも気になります。本当ならそれを聞きたいのですが断られてしまいましたし、せめてどんな小さい情報でもいいから集めてみたいものです。


「‥‥そうですね」


と、岐倜は少しの間だけ空を見上げました。


「優しいお方です」

「‥‥えっ?」

「どんなに忙しくても、僕のことを気にかけてくださいます。僕を特別大切にしてくださっているのが伝わってきます」

「ええっ‥‥?」

「僕以外の人には厳しいんですけどね。2人の弟子と毎日のように口喧嘩してて、僕のところにもよく愚痴を言ってきますよ」

「ええ‥‥」

「でも、それも全部かわいらしいものです」

「あ‥‥あの、あの、広萌真人のお話ですよね?」

「あ‥ああ、冗談ですよ。でも真人が優しいのは本当です」


岐倜の目つきが明らかにおかしいです。あたし女だから分かります。いえ、でも、まさかそんな。‥‥でもこんなことにいちいち驚いていたら、あたしと子履しりの女同士の婚約もありえない話になってしまいますし‥‥うん、そうですね。愛の形はいろいろあるはずです。


‥‥でも、そうなるとあたしと子履のめかけの話はどうなるのでしょうか。あたしの気持ちに暗雲が漂います。‥‥いえ、そうですよね、岐倜と広萌真人は少年と老爺ですし、どう見ても80‥‥どんなによく見積もっても50くらいは年齢の離れた関係ですし、岐倜は広萌真人のことを親子みたいに思っている可能性も捨てきれませんし、まだそういう関係だと確定したわけではないですよね。


「そういえば演劇に興味はありますか?ちょうど劇団がこの商丘しょうきゅうに来ているところです」

「興味あります。見に行きましょう」


今更ですが、どういった内容の劇をするか下調べしてませんでした。ま、まあ行けばなんとかなるでしょう。


◆ ◆ ◆


というのはフラグでした。

大きな水槽の前で、金魚に扮した男たちが「キンギョ~」「キンギョ~」「サカナ~」「サカナ~」とぶつぶつ言いながら謎の踊りをしているだけでした。

ここは、前世で例えるならサーカスのテントのようなものでしょうか、運搬に特化した建物って感じです。この商丘には円形競技場などはありますが、歌や踊りに特化したオペラハウスのような施設はありませんからね。あのような不快な踊りさえなければ、この冷害が終わったときにでも子履に頼んで造ってもらいましょうか。あのような不快な踊りさえなければ。(2回目)


「ワタシハサカナ~」「ワタシハサカナ~」「オヨグノタノシ~」「オヨグノタノシ~」なんて言ってますね。あたし、ここに来たことを後悔してます。でも隣の岐倜はというと、真剣に演劇を見ています。え、なに、と思ううちに周りの椅子にも次々と客が入ってきて埋まります。


鐘の音がします。岐倜が「始まりますよ」と言いました。見てみると、変な踊りをしていた人たちが礼をして、ステージから出ていきます。照明が消えます。うわ、今の前座だったんだ。今の必要だった?


立派な服を着た男が2人、ステージに姿を表します。


「俺は黄帝の部下、昌玉しょうぎょく~」

「我は三苗さんびょうの一兵、言庂げんしょく~」

「俺は黄帝に仕え、小戎しょうじゅう(※軍の単位で、50人単位の集団)をすべるリーダーである~引率なら誰にも負けぬ~」

「我はただの一兵卒、下っ端も下っ端~」


この昌玉と言庂の自己紹介が始まります。この2人が主人公らしいです。次々と人が入ってきて、演劇が始まります。


しばらく劇を見ていましたが、これ恋愛物ですね。黄帝と三苗は敵同士でしたが、昌玉、言庂という2人の男が戦場でばったり出会って同性同士で愛し合っています。男同士‥‥あっ。あたしは不意に先程の岐倜の顔を思い出します。


◆ ◆ ◆


「まさか最後に祝融しゅくゆう(※火の神)が出てくるとは思いませんでしたね」

「それそれ、あたしも思いました。背後にある情熱の炎ともマッチして、すごく雰囲気が出てましたね」

共工きょうこう(※洪水の神)が全てを流し尽くしてやると言っていたのに祝融はひるまず、昌玉、言庂の愛を守るために必死で戦っていましたね」

「そうです、あたし、感動してしまいました」


金魚の舞をしたときはどうなるかと思いましたが、終わってみればこのうえなく立派な演劇でした。いい劇のあとは話もはずむものです。いい時間でした。今度、子履と行ってみようかな。えへへ。

空はもうすっかり夕方になっています。


「そういえば‥今更ですが」


岐倜が足を止めます。


「どうなさいましたか?」

「伊摯さん‥確か、陛下と婚約なさっていると真人からお聞きしましたが」

「はい」

「こんな時間まで2人で出歩いて、大丈夫でしょうか?浮気を疑われては‥」

「ああ、そのことですが」


‥‥うん、もう言っちゃっていいですよね。まだ早いですが、あたしが婚約者と認識されてしまうとあちらもあたしのことを友達以上には見ないように我慢するでしょうし、可能性があることはそれとなく伝えたほうがいいですね。

あたしはひととおり事情を説明します。


「先君の遺言で、子供を作らなければいけないことになってるんです。ですから今日のことがばれても履様は何もいいませんよ」


ばれるもなにも、子履と相談してこうして岐倜を誘っているわけですけど。


「ああ、そういう‥‥僕の方はさすがに叱られるかもしれませんね。恋人が気難しい人なので」

「あはは、そうですか‥‥えっ?」


今度はあたしが立ち止まります。


「どうしましたか?」

「岐倜様、恋人がおられたのですか?」

「はい。言ってませんでしたか?」

「えっと、それはどのような方ですか?」

「ふだんは抜けてますけど、りりしくて芯のしっかりしている方です」

「そ、そうですか‥‥」


そのあとの会話は適当に済ませて、お互い恋人がいるのに夜の食事なんて‥‥ってことで、今度はお互いの恋人を連れてダブルデートしましょうと言ってそのまま解散しました。


うわー、岐倜って恋人がいたんですね。まあ、あの年齢ならいてもおかしくないか。相手はどんな人かな‥‥まさかあの高齢で白いヒゲを生やして杖をついているおじいさん‥‥?いやいや、今日の昼にあんな顔をしていたからって考えすぎか。ですよね。ですよね。

ともかく岐倜に恋人がいることは子履にしっかり報告しなければいけません。あたしはため息をつきながら歩いて、そして、帰り道とは反対側に足を動かします。空が暗くなって子供も消えてさみしくなった公園の真ん中までくると、もう一度ため息をつきます。


「もういいですよね、履様」


すると「きゃっ」という声とともに、あたしの足元からぽこっと子履が頭をあらわします。


「‥‥私が摯の足元に隠れていたの、いつから気づいてました?」

「最初からです。魔法で土を軽く振動させることで地中を探索できるのですが、それで気づきました」

「そんな魔法、聞いたことありませんよ」

「あたしがこの前考えたんです。魔法は日々進歩してますから」


土の中をもぐらのように泳いでいたであろう子履は「やれやれ」と言いますが、そのまま全身をあらわにしないのは、2人きりの空間であたしから距離をとりたいからなのでしょうか。まったく、子履もストーキングが板についてますね。そろそろ叱られろ。


「‥岐倜に恋人がいたのは残念でしたが、次は私と摯の2人で劇を見に行きましょう」

「そうですね」


空には三日月が光っていました。


◆ ◆ ◆


同じ三日月のもとで、岐倜は自分に与えられた2階建ての質素な家へ帰ってきたところで、立ち止まります。門にもならない膝下くらいの小さい仕切りを開いて、建物の側面にある小さく狭い庭へ駆け込みます。そこでは、広萌真人が月を眺めていました。


「おう、帰ってきたのか、おかえり。食事は弟子に作らせているよ」


広萌真人は家の中へと促すように指さしますが、岐倜はぴくとも動きません。真剣な顔で、広萌真人と向き合います。


「真人‥いえ、僕の愛するお方」


と言って、よわい90くらいのその老人に抱きつきます。


「僕はあなたのことを真剣に愛しています。どうか‥名目だけでもいいので結婚を‥」

「‥‥わしもお前のことを愛している」

「そ、それでは‥」

「だが、無理だ。何度も説明しただろう。わしとお前は結ばれることができない。‥いや、ひとつだけ方法がある。女神のお許しをもらうのだ。女神のな‥‥」


そう言って、欠けた月を見上げます。岐倜も一緒に、唇を噛み締めながら同じ月を見上げます。

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