第285話 広萌真人からの手紙を読みました

さて、姬媺きびもいなくなったことですし‥‥あたしと子履は顔を見合わせます。


「‥読みますか?」

「はい」


広萌真人こうぼうしんじんが幼女を小屋に連れ込んで何かやったらしい事件と、姬媺がその小屋のドアを破壊して中身をめちゃくちゃにした事件が重なってすっかり忘れそうになっていましたが、ロリコン‥‥ではなく真人から手紙を預かっていたのでした。

一連の出来事の後だとあまり読みたいという気持ちにはなりませんが、それでも竹簡に日本語が書かれていることを子履しりははっきり覚えていたらしく、お昼にこうしてあたしたちの部屋の下にある図書室兼書斎で、机の上に竹簡を広げます。念のため及隶きゅうたいもそばにつれてきています。


そう伯の母が書いたものらしいですね」

「らしいですね。履様はお会いになったことがありますか?」

「公族の付き合いで一度だけ顔を見たことがありますが、昔のことですのでよく覚えていません」


お互い、竹簡を持ち上げて読みます。日本語で書かれているので、この世界の言葉よりも読みやすいです。あたしたちはこの世界に生まれて過ごしてきたはずなのに、どうしても日本語が母国語のようにすら思えてきます。前世の記憶を完全に取り戻す前のあたしなら、どういう反応をしていたのでしょうか。


あたしが今読んでいるものは、前世の子履の母があたし向けに書いたものということでしたが、全くその通りとしか思えない書き方でした。


『前世は雪子に付き添ってくださり、ありがとうございます。あなたと出会ってから雪子は本当に生き生きしていて‥‥』


みたいなことが長々と書かれています。うん、親心ですね。あたしまでしんみりしてしまいます。


『現世で愛し合うときの参考にしてくださいね。前世で雪子が好きだったものは桃です。それから‥‥』


‥‥あたしと子履がこの世界でも付き合うの、前提なんですね。曹伯の母が死んだのは、子履が夏台かだいに幽閉された事件以前に、あたしがげんに逃げた事件よりももっと前で、当時のあたしはまだ子履への恋心を自覚すらしておらずむしろ避けていたはずだったのですが。母はどこまで予想していたのでしょうか。

ちらりと見てみると、向かいの子履は竹簡を読みながらぼろぼろ涙を流しています。気持ちは分かります。あたし向けの文章にも、雪子への愛がひしひしと伝わってきます。


『雪子は小学校に入ってからもしばらくおねしょが治らなくて‥‥』


大きなお世話だよ。おい恋人宛ての手紙に何書いてんだよ。でも読む限り、前世の雪子は家族に愛されていて、家の中では居場所があったようです。よく不登校にならなかったと思うくらい、家族も雪子のことをよく見ていました。あたしの家族とは大違いです。あたしの父は海外で働いていて、母も少し遠くの高級料理店でシェフをやっているので帰りが遅くなることも多く、家の中ではずっと1人でした。つくつく、雪子は恵まれていると思います。もし雪子があたしの家に生まれていたら、間違いなく自殺していたのでしょう。羨ましいです。


‥‥と、その直後に書いてある文を見て、あたしは目を疑います。ぱちくり開けて、同じところを何度も読みます。そして、顔を上げます。子履はもう読み終わったらしく竹簡を丁寧に畳んでいるところでしたが、そこに割り込んで聞きます。


「履様」

「どうなさいましたか」

「‥‥‥‥」


その瞬間、あたしは聞こうか迷いました。デリケートな話ですよね、これって‥‥。いえ、でも聞かずにはいられないです。


「前世、自殺したのは本当ですか?」

「‥‥っ」


子履は言葉を失って、そしてうつむきます。


「あたしが死んだ1年後に‥‥」

「はい」


あたしがあの時命を落としたのは、雪子を助けたかったからです。そんな雪子が1年後に自殺してしまうなんて。


「‥ごめんなさい」

「‥‥‥‥いいですよ。こうして会えましたから。そのかわり、1つ約束してほしいです。現世では自殺しないでください」


子履は畳んでいた竹簡をぎゅっと胸に抱きます。それから、小さく「‥分かりました」と答えます。


「‥その代わり、摯にも1つ約束してもらえますか」

「何ですか?」

「私より先に死なないでください」


あたしは思わず声を漏らします。このお願い、今までにも何度かされました。それだけに、あたしが死んだ後の雪子はとてもつらかったのでしょう。想像を絶するくらいに。


「分かりました。あたしはどこまでも履様についていきます」


あたしははっきり返事します。


◆ ◆ ◆


お互いの竹簡を交換して読みます。子履宛ての竹簡には、ご飯をちゃんと食べてくださいねみたいな感じのことが書かれていました。今あたしの手元にあるほうは落ち着いた内容です。いっぽうの子履は、読みながら「こんなことまで書くなんて!」と顔を真っ赤にしていました。

あたしは竹簡を畳んで、ふと口にしました。


「曹伯に母のことを聞けばよかったですね」

「そうですね、広萌真人もそれを見越して、曹伯がいらっしゃる直前に渡したのでしょうし。曹伯が来られる前に読まなかったのは落ち度でしたね」


姬媺の母はもともと広萌真人と仲が良かったということですし、真人がこの手紙を持っていても不思議ではありません。真人も、あたしたちにこの手紙を渡す未来をあらかじめ見ていたのでしょう。

その時に手紙を読み終わった子履が竹簡を閉じて、頬を赤らめてささやくような小声でぼつりとつぶやきます。


「‥‥摯、もう1つ約束していいでしょうか?」

「何ですか?」

「これから毎日おねしょしてもらえますか?」

「ええ‥‥」


そんなお願いされたことないよ。前世でもないよ。ていうかどうしてそんな発想になるんだよ。ダメだと答えておきました。


◆ ◆ ◆


そんな子履は、たまに任仲虺じんちゅうきと2人だけで食事をすることがあります。こういう場、普通はあたしも混ぜてもらうものですが、2人は幼馴染ですし同士でないと話せないこともあるでしょう。


「‥‥ですから私も摯に約束を取り付けたのですが」

「なるほど」

「ひとつ、不安なことがあります。私が摯より先に死んでしまうことはないでしょうか?」

「人はみな、いつか死ぬものですが。摯さんに死なれたくない、でも履さんも先に死にたくないといいますと、摯さんと同時に死にたいのでしょうか?」

「いいえ、そこまで先の未来は考えてないです」

「なるほど」


そこまで話が進んだところで、任仲虺がぼろりとこぼします。


「大丈夫ですよ。夏台のときも摯さんは履さんの肉を食べてでも、体を張って助けてくれましたから。履さんの約束ならきっと守ってくれるでしょう」

「‥‥えっ?仲虺、何て言いましたか?」

「‥‥あっ」


任仲虺はしまったと、口を手で塞ぎます。


「摯が、私の肉を食べたのですか?」

「それは‥‥その、初めて聞きましたか?てっきり他の人から聞いてしまったものと思い‥」

「そんなことより、その話を詳しく聞かせてください!」

「ええと‥‥」


食いつく子履に、任仲虺は一連の出来事をなるべく控えめにしゃべります。


「‥‥そんな」

「気を悪くしてしまい、申し訳ありません」

「いいえ、私は怒ってなどないです‥泣いてもないです‥‥」


そうやってうつむいて固まっている子履の様子を任仲虺は固唾をのんで見守っていましたが、次の瞬間、子履は顔を上げます。


「摯はずるいです!」

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