第284話 姬媺が商に来ました(2)
ということで、あたしと
「ここが
「はい」
子履が答えます。姬媺はさくさくと歩いていって、いきなり蹴ります。レンガで固めた小屋の木のドアを蹴ります。遠慮していなかったようで、ぐざっとドアが割れます。あたしも子履もあっけにとられていると、
「陛下、ここは外国です!」
「関係ないわ!あのくそじじい、あちこちで好き勝手しやがってわたしには正体をあらわさないんだわ!このクソボケ!オタンコナス!」
小屋の中にある机とか棚とか椅子とか、小道具を次々と蹴り上げます。あれ絶対壊れてますよね。姜莭と
「陛下、落ち着いてください。ここは外国です!」
「いくら仲が良いとはいえ今は
などと言って必死で止めています。「あの真人気取りクソジジイの鼻を明かすのよ!」などとわめいています。ここに
にしてもあの2人、顔が苦しそうです。体力がないのでしょうか。仕方ないです。あたしも加勢します。2段の階段を登って小屋に入ると、姜莭と一緒に姬媺を壁に押し付けます。背後からは趙旻の「
「離して!あの
「ひとまず落ち着いて話を聞いて下さい!」
「痕跡が目の前にあるのに止められないわ!離して!」
などとわめいているうちに、後ろからそっと足音がします。この音、趙旻ではないです。ちらーっと振り返ってみると‥‥「
その顔はまじめというよりは、どこかいらいらしているように見えました。
「ここは私1人におまかせください」
「え、でも‥‥」
「お互いの國のトップにいる者が怪我をなさってはいけません。荒仕事は私にお任せください」
「でも今でも2人かかりですよ、1人でできるんでしょうか‥‥」
あたしはそのときの嬀穣の目を見た瞬間、「あー‥‥」と思い出します。子履が
「‥‥任せましょうか」
「大丈夫ですか?」
「きっと大丈夫です」
まだおろおろしている姜莭を見てあたしがそっと手を離すと、姬媺がまた暴れ出し‥‥一瞬で静かになります。あまりの豹変ぶりに姜莭が手を離すと、姬媺は真っ青になって声も出さずへたへたと座り込みます。
あたしはおそるおそる振り返ります‥‥が、嬀穣はにこにこ笑っているだけでした。
「えっと‥嬀穣さま?」
「‥‥っ!?」
あたしが声を掛けるなり、嬀穣はすぐさま後ろへ逃げて、身を丸めて壊れた机の裏に隠れます。
「あっあっ、
あ‥‥うん、いつも通りの嬀穣ですね。振り返ると姬媺は‥‥まだ震えて声も出していません。もう一度後ろを見ます。‥‥ん?
あたしはそこにあった机の破片をどかしてみますが、何もありません。あ、破片のもう半分がそこに。どかしてみます。空っぽです。え?嬀穣が一瞬で消えた?
「姜莭さま、嬀穣さまを見ていませんでしたか?」
「いいえ、私は陛下を見ていたので‥‥」
となると、ずっと嬀穣の方向を向いていた姬媺が何か知っているかもしれません。‥‥が、あの様子だと聞き出せそうにないですね。
◆ ◆ ◆
あたしと姜莭は2人かかりで姬媺を小屋から連れ出します。すぐに趙旻が駆けつけて、「商の者にご迷惑をおかけするのは忍びないです」と言い出してあたしから姬媺の肩を奪います。
「迷惑だなんて、そんな‥」
「いいえ、お気持ちは陛下にしっかりお伝えしておきます」
2人はこう言っていますが、まだ時間は残っています。あたしはこっそり声をかけてみます。
「あの、
「いいえ、陛下がまた無礼を働くようなことがあれば申し訳ないので、このまま帰ります」
あ、うん、そうですね‥‥保護者かよ。
「体調がすぐれないようなので、もう少しお休みになったほうがよろしいのではありませんか」
子履が助け舟を出してきます。姜莭が少し首をひねったところで、あたしが「ほら、あちらの部屋があいてますから‥‥」と声をかけてやります。すると‥姬媺の首がかすかに動きます。横に首を振っています。
「‥‥今すぐ帰りたい」
「ええ‥」
か弱い声でしたが、確実に帰る意思を見せています。伯がこう言ったらもう仕方ないです。‥‥が、声があまりに異常なほど静かです。
「曹伯さま、大丈夫ですか?」
「帰りたい‥早く‥」
「ここでお休みになりましょう」
さっきまで何を言っていたのか、趙旻が真逆のことを言ってきます。声を聞いてさすがに心配になったのでしょうか。
◆ ◆ ◆
ここから亭まではちょっと距離があるので、宮殿にある客室を案内しました。姬媺はベッドの上で静かに眠っています。
護衛代わりの姜莭も一緒に入ったその部屋のドアをそっと閉めて、趙旻はため息をつきます。
「‥‥陛下、いつもは演技で死にそうなふりをしているのですが、今回ばかりは本当のようですね‥」
子供かよ。やってること完全に子供と保護者ですよ。ですが、げんなりとしている趙旻の顔を見ると、あたしは口をつくんでしまいます。
「姜莭から聞きました、あの嬀穣という方は一体どのような人でしょうか?」
「それが、あたしにも分かりません。なんとなく限界オタクみたいな雰囲気はありましたが‥‥」
あれ、限界オタクって言葉この世界で通じるんでしたっけ。趙旻は言葉を続けることなく、うつむいてじっとドアを見つめています。
「ご心配なら趙旻さまも中に入っては」
「‥‥はい。では、失礼いたします」
趙旻も部屋の中に入ってしまいました。まるっきり、我が子を心配する保護者のムーブですね。誰も見てないのをちらっと確認すると、あたしはふふっと笑います。
「さて‥」
あたしも姬媺のためになにかできることないかな‥‥できること‥できること‥‥。
「あ‥‥」
あたしの表情は一気に暗くなります。何も触っていない手を、ぎゅっと握りしめます。料理‥‥料理は、もうやめましょう。あたしに料理は合わないですから。
◆ ◆ ◆
翌朝、姬媺は馬車に乗り込む前に、出迎えに来たあたしを振り向きます。
「曹伯さま、どうなさいましたか」
あたしが首を傾げると、姬媺はすぐさま馬車の階段を降りてあたしに迫ります。
「ねえ‥あのやばい奴、商の家臣なの?」
「は、はい‥」
嬀穣のことでしょうか。とにかく姬媺、元気になっていてよかったです。
「あんた気をつけなさいよ、あの女、きっとやばい奴よ」
「あっ‥陛下の戯言は気になさらぬよう‥」
姜莭はそう言ってきますが、語気はいつもより弱めですし、姬媺の手を軽く引っ張るしかしていません。「‥‥そうね」と、姬媺はこのときばかりは素直に応じて、馬車に乗り込みます。
北へ向かう馬車を見送って、あたしは嬀穣のことを考えていました。
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