第282話 広萌真人と会いました(3)

そんな子履しりの様子を見て、あたしはさらに質問を投げます。


「戦争を避ける方法はないのですか?」

「商伯や商人しょうじんの半数以上の死と引き換えに避けることはできる」


真人はさらりとそう返します。


この面会、最初は初めての真人ということで子履もうきうきしている様子でしたが、今はもう空気が重くなっています。子履はもうこの話を蒸し返さないでほしいと言っていましたが、あたしたちはどうあってもこの問題に向かい合わなければいけないのでしょうか。


「‥‥用件はそれだけですか」


頭の冕冠べんかんを直して、子履は顔を上げました。「あとひとつ」と、真人は返します。


伊摯いしよ、及隶きゅうたいはいるか?」

「‥‥はい?あたしの後輩でございますか?」


‥‥ああ、そういえば及隶は泰皇たいこうなのでした。真人もおそらくそれを知っているのでしょう。まあ真人と泰皇の組み合わせならそれほど違和感はありません。


「お呼びしましょうか?」

「早めに頼む」


と言われたので、あたしは走って‥‥「私がお呼びします」と使用人に止められたので、走って行かせることにしました。

果たして少ししてから現れた及隶は、真人を見てどこか不満げでした。


「こら隶、お客様を見てそんな顔をしないの」

「そやつと2人になりたい」


真人がこう言い出しましたので、あたしは子履と顔を見合わせます。


「それでは部屋を用意いたしますので・・」

「人のよらぬ離れがいい」


ああ、真人と神様の組み合わせですから、きっと使用人やあたしには見せられない何かがあるんでしょうか。あたしが適当な使用人に「よさそうなところはありますか?」と尋ねて、「では、あちらなど・・」と返答をもらいましたので、2人を連れていきます。


この屋敷の庭園にある六角形のような形をした円い小屋に2人を入れてやりました。ドアを閉めて、あたしたちは待つだけです。そのとき、ふと子履が小さい声を出しました。


「‥‥真人はこの世のことわりを知っているものと期待していましたが、戦争をしても民が苦しむだけということがわからないのでしょうか。戦争はただ敵の兵士を殺すだけではありません。持久戦になったときに敵を富ませないよう、畑、道路などを破壊するものです。もちろんそのようなことをすると、賊が跋扈し治安が下がります。戦争に兵士としても参加しない女子供の生活にも影響が深刻です。夏帝の暴虐はよく聞きますし私も恨みがないと言ったら嘘になるのですが‥‥それを差し置いてでも戦争をするメリットが全く分かりません」


これに任仲虺じんちゅうきが即答します。


「陛下は小事を見て大事を見ていません。戦争で都市を落としても、陛下なら熱心で復興なさるでしょう。主要な地域は数年もあれば元に戻るはずです。むしろ戦争も何もせず放置して、夏后氏にここを攻め取られたときのほうがはるかに深刻です。夏のきみは苛政をしいており、この商丘しょうきゅうもいずれ陽城ようじょうのような場所になるでしょう。これは少なくとも十数年以上続きます。今の夏帝がほうじても、夏后淳維かこうじゅんいじゅうに帰順し、他に子もなく、有望な後継ぎがいません。下手すればこの苦しみがさらに数十年続き、戦争をしない場合よりもさらに多くの犠牲がうまれます。夏がここへ攻め込まないという確信が取れない限り、たった数年の復興や犠牲を惜しんで数十年以上の地獄を甘んじて受け入れるのなら、それこそ戦争を起こさない目的を満たさず、全くの無意味というものです。陛下こそ、戦争を起こさないということが目的化して、本来の目的を忘れてませんか?」

「でも‥戦争は数年で終わるとは限らないものです。下手すれば数十年も、数百年も‥‥」

「いまの夏は腐敗しきっており、諸侯たちと手を組んで入念に準備すればそのようなことは起こりえません」


さすが任仲虺、もともと戦争に積極的なだけあって、こういう回答もあらかじめ用意しているのでしょう。子履がうつむいてぶらりと歩き回り始めたので、この話の続きはやめることにしました。

あたしも戦争は好きではありません。歴史上の戦争は娯楽であり、前世の子履も八王の乱や崖山がいさんの戦いなどを嬉々として語っていましたが、今まさにあたしと子履は現実の戦争に直面しようとしているのです。しかも、その戦争を開始する権限が自分にあるのですから、その決断は相当に重いものです。自分の軽口ひとつで、何万人もの人が死ぬことになるのですから。


前世の中国では、春秋時代にしん穆公ぼくこうしんを援助したのに、その晋の恵公けいこうが逆に秦を攻めたという話も残っていますが、昔の人達は戦争をすることにさほど抵抗はなかったのでしょう。

あたしと子履の前世では戦争に対して強いアレルギーがあります。いまの國のトップがこうですから、きっと商が戦争することはないと思うのですが‥‥それでもあたしは、子履の言葉にわずかに違和感ができたようです。

何か言葉にできないもの。でも間違いなく、何かが違うという気持ち。‥‥気のせいです。気のせいということにしましょう。


「‥‥あっ」


あたしは振り返ります。確か、‥‥いました。岐倜きてきです。先ほど広萌真人こうぼうしんじんに連れられてきた岐倜です。あたしは小さめの声で謝ります。


「申し訳ありません、真人のお言葉を否定するような話をしてしまって‥‥」

「いいえ、商伯と側近の考えはあらかじめ理解していましたよ。僕は、戦争の議論に積極的に参加するなと言われています。僕はただ将軍として、その時が来るのをゆっくり待つだけです」


そして、「500年待った人もいるのですから」と付け加えました。あたしにはその意味が分かりませんでしたが、岐倜の個人的なことでしょうか。


◆ ◆ ◆


しばらくすると、ドアが開きます。ゆっくり丁寧ではなく、ばんという乱暴な開け方です。そしてそこから、及隶が飛び出してきます。泣いています。あたしはしゃかんで抱きます。


「どうしたの、隶?」

「怖い、怖いっす!」

「一体どうしたの?何かされたの?」

「隶のこと、えり?えりぜ?って連呼してくるっす!隶が逃げても捕まえてくるっす!怖いっす!」


‥‥あれ?真人はてっきり及隶が泰皇であることを知っていると思っていましたが、逃げても追ってくるって‥‥。及隶は見た目は幼女です。もしかして真人って泰皇のことも知らないただのロリコンなんじゃないでしょうか?

あたしは及隶を抱いて立ち上がると、続いて小屋から出てきた真人を睨みます。


「まったく、わからないやつめ」

「いくらあなたが真人といえと、分別しなければいけないことがあります。あたしの隶を傷つけた人は出ていってください!」


子履は止めてきませんでした。任仲虺はちらりと岐倜の様子をうかがっていますが、岐倜も任仲虺も動きません。あたしはひたすら真人を睨んで、じりじりと後ずさりをします。


「‥‥そうか。どうしても知らないというのなら仕方ない。立ち去らせてもらおう」


真人はそう言って、使用人に案内されてあっさり消えてしまいます。あたしはその消えた方向を指さして、「二度と来ないでください、ロリコン」とつぶやくのでした。塩が欲しいです。

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