第280話 広萌真人と会いました(1)

いいニュースです。そうの國から連絡が来て、姬媺きびしょうへ訪問してくることになりました。

姬媺はただ子履しりの顔を見たいだけかもしれませんが、学園の同級生だろうとなんだろうと今は國を治める人同士ですから、どうしても国賓としての待遇になります。諸侯同士は身分が対等ということになってますから、失礼のないようにおもてなししなければいけません。その準備で具体的に何が必要か、礼作法の確認、役人への指示などであたしの仕事が増えます。まったく、理屈はわかりますけど友達同士でもこんなに気を使わなければいけないのは窮屈さすら覚えます。


「学園を中退した後、はすでにそう伯(※姬媺のこと)と会ってましたね」

「はい、三年の喪のときに」


こうやってあたしに話しかけてくる子履は楽しみそうに、大きい机の椅子に座ってもそわそわして落ち着かない様子でした。


普段あたし、子履、及隶きゅうたいが使っている2階の部屋の下に、竹簡や紙の本を大量に詰められる図書室ができましたが、今はそこが子履の書斎のようになっています。大きい机、採光のための窓がしつらえられ、家臣たちも子履に用事があるときはたまにこの部屋に来ています。子履が「本は光が当たると劣化しますので、日陰を作れるような板や蓋が欲しいですね」と言ったとき、前世の知識も何も無い役人が「劣化するのですか?」と首をひねっていたのも、まだ記憶に新しいです。


「楽しみですか?」

「はい。高校の同級生と同窓会をするみたいでいいですよね」

「‥はい!」


あたしも子履もともに小学校・中学校でいい思い出はありませんでしたが、高校は充実したものでした。


◆ ◆ ◆


さて、ついにその日が来ました。今日の午後です。本当は今夜は商の亭でゆっくりしてもらって明日の早朝の朝廷で会う予定でしたが、それが待ち切れない子履とあたしのほうから挨拶しに行くことになりました。


かくいうあたしたちもあたしたちで、明日も朝廷があるというのに、今日は緊急の件だとかで朝廷が入りました。商の西のほうにあるむら同士が喧嘩したことに関する緊急の会議です。國とはいっても、この世界の國は周りの邑を従えているというだけで、邑の集合体であることに変わりはないので、こういうことも起こります。


その打ち合わせも大綱が決まって議論も落ち着いてきたところで、突然大広間のドアが開きます。通常であれば会議の途中に大きいドアを堂々と開くのは緊急の報告があった時くらいで、家臣たちはみなそこに視線を集めます。

入ってきたのは兵士ではなく、1人の老人でした。白髪を肩まで伸ばしていますが、服装はみすぼらしく、どう見ても場違いです。


「止まれ、ここをどこと心得る」


何人かの家臣が怒鳴りつけますが、老人は無視して赤い絨毯の上を歩きます。大広間が騒然とします。


「止まれ、止まるんだ!」

「お前は誰だ!」


数人が身を張って老人を止めようとしますが、腹を押さえる人たちはことごとく、足が後ろへどんどんこすれていっています。ほとんど止められていません。

あたしも、と思って足を一歩踏み出しますが、そのタイミングで気が付きます。この老人、前に会ったことがあります。横からそっと声をかけてみます。


「‥伏羲ふくぎ様ですか?」

「おう」


家臣たちを押し返しながら歩いていた老人は立ち止まって、くるりとあたしの方を向きます。


「いつかの小娘ではないか」


味方なのか敵なのかわかりません。あたしは表情を変えずにうなずきます。すると老人はまた、子履のほうを振り向きます。


「さっきの会議を聞いていたぞ。西の方に兵を向けるのだな」

「はい、そういう方向で話をまとめている途中です」


異様な状況にかかわらず、子履は堂々と答えました。‥‥ように見えましたが、不安げな表情でちらちらとあたしを見ているのが分かります。あたしは目で合図します。うまく伝わっているか分かりませんが。


「いいか、くれくれも隣国と戦うことは許さぬ。隣国に一歩でも踏み入れれば、破滅が待っている。分かったか」

「商の邑同士の争いですから、隣国に入る余地はありません」

「何が起きても、一歩も足を踏み入れることのないように」


高圧的です。この人が伏羲という確信を持てない人にとっては、とても無礼に見えてしまうでしょう。家臣たちが集まって、せーので体を押し戻そうとしますが、老人はぴくともしません。子履も、問答には答えつつもあたしの様子を何度も窺っています。


そのとき、もう一度大広間のドアが開きます。誰かと思えば、これまた伏羲と同様の老人でした。違うのは、耳の周りに白髪を生やすのみであったことです。こつーんこつーんと杖をついて、歩いてきます。その後ろに、若い男が3人歩いています。

なにこれ、伏羲は夢の中で会ったことがありますが、この老人までは知らないです。


「この人は知ってますか?」

「いえ、知りません」


数段ほどの階段の上の椅子に座っている子履がそっと尋ねてきたので、あたしは首を振るのと同時に、子履の手前まで駆け寄ります。すでに他の家臣も何人か子履の周りに集まっていました。


「おい、お前は先走りすぎだ」


はげている老人が、伏羲に怒鳴りつけます。うわ、伏羲に対して「お前」と言えるなんて、相当に身分の高い人に違いありません。実際、伏羲も逆上などせず、「どういうことだ」と平静な声で聞き返します。あたしが夢の中で伏羲を知らない素振りを見せただけであんなに怒っていたのに、あの老人に対してはおとなしいです。


「戦わなければならない。戦わないと生き残れない。わしのシナリオにそう書いてあるのだ」

「それではヤツの思うツボだろう」

「ああ、そうだ。ただし途中まではな。わしに考えがある」


すると伏羲は、突然はははははと大笑いしました。家臣たちも、あたしも子履も身構えて、伏羲に視線を集めます。‥‥すると伏羲は、その老人の肩をぽんと叩きます。


「お前がそう言うなら仕方ないな。なに、わしもいずれお前に仕えることになるからな、おとなしく見ていてやる」


そう言って、伏羲はふっと消えました。うわ、すごい信頼です。ていうか伏羲があの老人の部下になると言ってませんでしたか?しかも、今は部下ではないような言い方です。今の伏羲より上にいるのは天帝やその取り巻きくらいだったと思いますが、今は上司ではなくて将来上司になる‥‥そんな神様、この世界にいましたっけ?

あっ、今この大広間に、その老人が残っています。老人が一歩一歩、歩いてきます。あたしはじりじりと足を動かして、子履の正面を塞ぎます。


「ああ、また朝廷は終わってないのだったな。わしはお前たち2人と話がしたい。朝廷が終わるまで待っていてやる」

「‥‥お名前を教えて下さい」

広萌真人こうぼうしんじんだ」


あたしの質問に、その老人はあっさり答えました。


‥‥え?

‥‥‥‥え?

その名前、あちこちで何度も聞いたことのあるものです。

竜が言っていました。弟子が2人いると。確かに後ろにいる男は3人いますが、そのうちの2人は同じ服を着ていて、もう1人は仲間外れという感じでした。ということは、この人が広萌真人ですか‥‥?でも、いくら真人とはいえ、伏羲より上の立場になるなんて‥‥全く考えられないです。


すると、背後の子履が席を立ち、あたしの横を通って、階段を降りて頭を下げます。


「いいえ、会議はかなりいいところまでまとまってますし、残りは役人たちに任せても問題ないでしょう。真人でしたら、丁重におもてなししなければいけません」

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