第278話 遂の國の料理人(2)

「なるほど。信じられない話ですが‥‥フランス料理までできるのでしたら、可能性は高いですね」


子履しりはそう言ってくれました。


「ですよね‥あの、あたし、あの人と一緒に働くのは耐えきれないので‥‥」

「摯。話を聞く限り、フランス料理ができるだけで中身は別の料理人だったということも考えられます。爽歌そうかという名前も確かに日本のような響きはありますが、たまたまかぶったかもしれません。疑惑と確定は違うのですよ」

「確かにそうですが、その、あたしは気持ち悪いと思いますし‥‥」


あたしはそうやって首を振りますが、子履はあたしの手前まで伸ばしてきた手でテーブルを軽く叩きます。


「摯。あなたはあの厨房で、能力主義で料理人を評価しているようですね」

「‥はい」

「あなたは子供なので、能力主義にでもしないとあなたの料理長としての地位を説明するものが身分以外になくなるでしょう。ただでさえこの世界では、年齢がものを言いますので」

「はい」

「なのに、厨房で1日働いただけで周りの料理人から認められるほどの腕前を持った料理人を理不尽にクビにしようとしたのです。周りの料理人はどう思うでしょうか?逆にあなた自身が厨房から追い出される可能性は考えましたか?」

「‥‥あっ」


そういえばそうです。確かに周りの料理人は、あたしが虐待されたということを知りませんし、あたしがいくら前世のことを説明してもほとんどは納得してくれないでしょう。

すると子履はにこっと笑いました。


「大丈夫です、私がうまいことやりますので」


子履はなんだかんだで一国の主ですから、このようなことはすらすらと答えてしまうものです。あたしは「お願いします」と返しました。あたしもあの女性とは話したくないですし、子履がこう言ってくれるのでしたら。


子履は「はい、お任せください」と言って部屋を出ていきますが‥‥すぐに戻ってきて、こっそりドアを開けてきます。


「どうしましたか?」

「あの‥‥も、もしうまくいったら、その‥摯のパンツをかかせてください」

「ええっ!?な、なんですかそんなの、初めて聞きましたよ!!」

「‥‥あっ、何でもありません、忘れてください」


ばたんとドアが締まります。うっわ、そういえばこのところ最近、あたしが洗濯に出したパンツがちょくちょく新しいものに勝手に入れ替わっている気がするんですが‥‥まさか‥‥まさかね‥‥。一連の出来事が終わったら、子履を問い詰めたいです。

一気に不安になります。本当に任せていいんでしょうか。


◆ ◆ ◆


さて子履は使用人に言って、爽歌そうかを応接室に召し出します。立派な椅子に座る子履に、爽歌が丁寧に拝します。

子履は部屋のドア近くに控えている使用人たちに「人払いを」と伝えます。使用人たちはすぐに、そろって部屋から出ていきます。


「さて」


と、子履は自分の冕冠べんかんを外して、その顔をあらわにします。


「爽歌。この顔を覚えていますか?」

「‥‥っ」


爽歌がぴくっと反応したのを確認します。‥‥そりゃ、目の前にいる人が前世で見覚えがあるとはなかなか言えないですよね。普通に言ったら引かれてしまいます。なので爽歌の言外の反応は重要でした。


秋野あきの美樹みきという名前に心当たりはありますか?」

「‥‥はい。ございます」

「私は柏原かしわら雪子ゆきこでございます。爽歌そうか‥‥いえ、東条とうじょうさん」


子履は椅子から下りて、冕冠を膝に置いて正座します。爽歌はまだあっけにとられていましたが、すぐに目を細めます。


「‥雪子さん。やはり、そういうことなのでしたね」

「はい。前世では大変お世話になりました」

「こちらこそ、大変感謝しております」

「とんでもありません。私はただ、美樹みきの死後、警察を通してあなたと話をしただけです。料理を振る舞ってくださったことは嬉しかったですが、私からは何もお返しできていません」

「いいえ。爽歌さやかが私の元を離れたあと幸せに暮らしたという話をあなたからお聞きできて、私もどれだけ救われたか」


その返事を聞いて‥‥子履はしばらく間を作って、相手の様子をじっと観察します。


「摯に言いたいことはありますか?」

「‥‥‥‥」

「わざわざここまでいらしたのは、摯に許してもらおうと思ったからでしょうか?」

「‥‥それは」


返事を渋る相手を見て、子履は地面に手をついて、下から覗き込むように尋ねます。


「もしかして、一切名乗らないまま摯の様子をそばから眺めるだけでいるつもりでしたか?」

「‥‥‥‥」


相手はついに何も喋らなくなってしまいました。そのままうつむいて、手をぎゅっと握っています。謝るつもりがないのは分かりましたが、謝るにはまず自分が何者であるかを伝えなければいけませんから、謝るつもりがないだけで相手の正確な気持ちを推し量ることはできません。

普通なら追い出すところですが、前世の縁もあります。


「少し、この世界での身の上話をお聞かせくださいますか?」

「なぜ‥‥?」

「私が気になったのです。お茶でも飲んでゆっくりお話しましょうか。使用人にテーブルを持ってきてもらいますので」


この爽歌そうかという人をしょうから追い出すべきか、子履はまだ躊躇していました。前世の美樹の面影を少しでも分け与えてくれようとした恩があります。この人を残すためには、まず伊摯いしを説得しなければいけません。でも、その前にまず子履が納得する必要があります。子履は伊摯と婚約している人間として伊摯を危機にさらすわけにはいきませんし、それに夏台かだいに入れられた時に伊摯に助けてもらいましたので、少しでも力になりたかったのです。

子履にとって、正直、さっき伊摯から聞いた話と掛け合わせると、ただ子供を愛しているだけでは虐待はなくならないように思えるのです。爽歌がもう二度と摯を殴らない人間なのか、それを見極める必要があります。


◆ ◆ ◆


やることもありません。あたしはベッドで横になって、ぼんやり窓の外の雲がゆっくり動くのを見ていました。

前世の1人目の母のことは、すぐにでも忘れたいほどです。それをこんな形で思い出すことになるなんて、自分が解決しなければいけない問題になるなんて、全く望んでいませんでした。まあ、問題は子履が代わりに解決してくれそうですけど。まあ、パンツのせいで全部台無しになりそうなんですけど。

と思ったところで、ドアが開きます。


「履様‥」

「摯。少し、庭を歩きましょう」


◆ ◆ ◆


すっかり春が定着したようで、屋敷の広い庭にも、蒲公英ほこうえいなずななど、春らしい花が咲いています。前世の桜のようなものはありませんが、あちらこちらの木ではわずかな新緑が顔をのぞかせていました。


「きれいです。‥‥この庭に何かあるんでしょうか?」

「いいえ、私はただ摯と一緒に歩きたいだけですよ」


そう言って、子履は庭の道から外れて、草原の中に足を踏み出しました。


「摯。昔話をひとつ、聞いてもらえますか」

「昔話ですか?」

「はい」


あたしの同意を得ると、子履は語り始めました。

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