第275話 2人があたしを尾行していたようです

あたしは小学生の時、包丁を使って人参を均等な大きさで切る練習をしていたことがあります。包丁できれいに均等に切ります。数え切れないくらい切ります。

あたしの母はそれを1つ1つ細かくチェックして、わずかでも太さが違っていればその回数だけ怒鳴ります。頬をはたきます。殴ります。「どうしてこんな簡単なこともできないの」が口癖でした。千切りにしたにんじんのうち1枚が途中で切れていたので蹴られました。


他にも、思い出したくないことがいくらでもあります。栃木に行くまでのことは、すべて忘れたいくらいです。‥‥でも忘れてしまったら料理もできませんし、今のあたしはないですよね‥‥。それでなんとか当面の呼吸を整えます。


「大丈夫ですか?激しく呼吸してましたが‥」

「‥‥大丈夫です」


歩誾ほぎんの言葉に、あたしはすうはあと深呼吸します。大丈夫。あたしは大丈夫。

でも一応、後で子履しりに相談しておきましょう。


と思っていると、あたしの足元からいきなりぽこっと何かが出ます。歩誾は「ぎゃああああああ」と悲鳴を上げてベンチから飛び出しますが、あたしは冷静でした。一瞬びっくりしましたけど‥‥地面から生えてきたのは人間の首ですね。なんかこの光景、前にも見た気がします。

あれ?でも今回、地面から首を出してきたのは2人いますね。子履と‥‥嬀穣きじょうでした。一体何やっているんですかと声をかけるまもなく、2人は地面から首だけ出した状態で、いきなり言い争いを始めます。


「人の恋人をストーキングするなんて、あなたも隅にはおけませんね!」

「陛下こそ、公務をほっぽり出してきさきをストーキングなさるとは、よっぽとお暇なのですね」

「あなたには言われたくありません!それと私はストーキングではなく、摯とデートしていただけなのです。道を歩いている摯のあとをついていっただけなのです。将来結婚を誓いあった仲として何もおかしいことはないでしょう。あなたのようなストーカーとは違うのです!」

「私こそ、憧れの先輩を観察するという重要な仕事をしているのです。先輩の一挙一動を見て学ばせていただき、自分の仕事に取り入れ、質を向上するのです。こうして私は一歩一歩、憧れの先輩に近づくことができるのです。あなたのような歪んだ愛情とは違います」


などと2人が言い争っています。うわあ。さっきまであたしがなぜ悩んでいたのかすっかり忘れてしまいましたよ。とにかく2人とも元気でよかったです。嬀穣が言い争っているところ初めて見ましたけど、そういえば崇山すうざんで変なヤクザと戦っていましたんだっけ。


「どちらがストーカーか、に教えてもらいましょうか。もちろん摯は私を愛しているので、こうして私と一緒に歩いていることに興奮しているはずです!」


おいおい、人を勝手に特殊性癖にしないでもらえますか。三年の喪の時、子履が地面の中を掘ってあたしをつけ回しているようなことを言っていた気がしましたが、本当だったようですね。


「憧れの先輩なら私の行いを許してくれるはずです。ですよね、先輩?」

「摯、ずっとずっと私に見られていたいですか?夜這われ趣味はありますか?」

「仕事の模範を余す所なく見せてもらえますよね?」

「はい、2人ともアウトです」


どうしてセーフだと思ったんだよ。


あたしはとりあえずベンチから立ち上がって、嬀穣の額を触ります。嬀穣は「ひええっ、憧れの先輩に触られたっ‥‥!こ、こ、これは四罪にまさる凶行です‥‥!!」と言い出して、ぽすんと地面の中に潜ります。

それからあたしはしゃかんで、子履に「今夜、2人きりになりましょう」とささやいてやります。子履は顔を真っ赤にして「そ、そ、それだけはダメです!」と言って、ぽすんと地面の中に潜ります。お前たち仲いいな。


◆ ◆ ◆


「いつも通り摯の後ろをついていったら、嬀穣が妨害してくるのです!私の大切な摯をストーキングするような人はクビが妥当です!」

「そんな理由でクビにしたら引きますよ」

「もちろん斬首ではなく前世みたいに追い出す方ですよ」

「それも含めて引きますよ」


歩誾と別れて宮殿の外を歩いていた子履に話しかけたところ、子履はぷんぷん怒って嬀穣の不満をぶちまけていました。こいつもし前世であたしと結ばれていたらそのときはどうするつもりだったんだ。アスファルトの下を掘ってついてくるのか?


「だいたい、摯も悪いのですよ」

「え、あたしですか?」

「私以外の人と2人きりになって‥‥嫉妬しますよ。摯がまたどこか遠くに行きそうで」


そうやって前世の記憶を持ち出して目をうるませる子履は卑怯だと思います。


「それにしても、嬀穣はの属性の魔法が使えるのですね。摯と同じ属性ですから、警戒するにこしたことはないでしょう」


おいおい、土の属性全員敵視するつもりですか。この世界に魔法の属性は特殊なものを除き5つしかないんだけどな。


「‥‥‥‥あれ?」

「ん?どうしましたか、摯」

「いえ‥‥嬀穣様、この前あたしと話したときは、自分の属性が分からないと言っていたのを思い出しました」

「えっ?あれほど分かりやすく土の魔法を使っているのに、属性がわからないとはどういうことですか?」


首を傾げる子履に、あたしは説明してやります。

任仲虺じんちゅうきはいから助け出す時、嬀穣は、あたしたち一行が周りの兵士から見えなくなる魔法を使っていました。

どこかの少年が使っていた風や雷の魔法は五行には存在せず‥‥いえ、五行を使ってかろうじて説明できないこともありませんでしたが、姿を消す魔法は五行の他の魔法を使うことで副次的に発生することすらないはずなのです。


「‥‥たしかに私も、そのような魔法は聞いたことがありませんね」


子履も真剣に考えています。でもわからないものはわからないのです。


「‥‥五行にはない魔法を使える人が、短期間で2人も出てきたのです。この世界の魔法のルールは、そこまでゆるいものだったんでしょうか」

「気になるならまた今度、務光むこう先生、卞隨べんずい先生に手紙を出して聞いてみましょうか。あ、たいに聞くのもいいですね」

「そうですね。考えてもらちがあきません」


◆ ◆ ◆


一方、嬀穣は貴人街の裏道を歩いていました。しょうの家臣といってもぴんからきりで、家臣が多すぎて屋敷の数も足りず、特にから亡命してきた中で下っ端の家臣たちのいる家は、少し裕福な程度の庶民が住んでいるような家と何も変わらない、質素なレンガ建ての建物で、庭もそんなにありません。そんな静かな住宅街を歩いて、とある倉庫の陰にさしかかったころ。


道の行き止まりに大きい箱があって、その上に及隶きゅうたいが座っていました。嬀穣は優しく声をかけてあげます。


「子供がそんなところにいたら危ないですよ」

「‥‥嬀穣といったな」


及隶は鋭く冷酷な目で、嬀穣をじっと捉えています。その目を見て、嬀穣は悟ります。


「嬀穣‥‥お前は『旧世界』の生き残りだな?」

「だったらどうします?」


まるで別人のようなすましたような笑顔で、嬀穣は聞き返しました。

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