第274話 凄腕の料理人の話を聞きました

ある日、あたしは歩誾ほぎんと街を歩きながら話していました。


「最近、あの店が新しくできたんですよ。質はそこそこですが値段が安く、廉価なものをお出しすることができます」

「わあ、オレンジが売ってありますね」


などなど、商丘しょうきゅうにある庶民向けの店を紹介してもらっていました。庶民向けではありますがそれは貴族が直接訪問することを考えていないという意味で、あたしの住んでいる屋敷の料理人が買い付けに行くこともあります。そんな料理人たちが普段どのような場所で食材を買っているのか、料理長として、そしてしょうの家臣としてもチェックしなければいけないのです。


「ひとつください」

「はい、まいどあり」


あたしは林檎を1つ、自分のお金を出して買います。任仲虺じんちゅうきは林檎好きだと任絶伯じんせっぱくが言っていたのをちょくちょく思い出すので、これで何か新しい料理ができないかと思っていたところです。

あたしが外出する時、いつもなら付き人がそばにいるのですが、あまり目立ちたくないとわがままを言ったら、何人かが庶民の中に紛れて隠れてついてくることになりました。周りに人はいますが、そのうちの何人かが付き人です。まあ、いつもよりはあまり意識せずに済みます。

ちなみに及隶きゅうたいは用事があるとかで今日はついてきていません。


「そうそう、あたし、半月ほど前にコース料理というものを作ったのです」

「コース料理とは何ですか?」

「料理を一皿ずつに分けて、順番に出すのです。一皿食べ終わったら次の皿を出すという流れです」


まあ、この世界の人達はそんなもの知らないですよね、歩誾も当然そういう反応に‥‥あれ?


「聞いたことがあります」

「え、この世界にも‥‥他にもコース料理を出す人が多くいるのですか?」

「いいえ、伊摯様ともう1人以外には聞かないです」

「もう1人ってどなたですか?」


すると歩誾は急にあたしから視線を外して、深い溜め息をつきます。何かつらい思い出でもあったのでしょうか。再びあたしを振り向いたときの歩誾は、うつろな目で笑っていました。


「‥ここから東の方に、凄腕の料理人がいるという噂をご存知ですか?」

「凄腕の料理人?」

「はい。この九州の食材を使っているはずなのに、まるで別の世界のような料理を作るのです。おしゃれで今まで見たこともない料理、今まで味わったことのない味付けの料理です。最も得意なのが、『ふれんちのふるこーす』というものです」


フレンチ、すなわちフランス料理のフルコース。

フレンチ、フランスなんていう固有名詞は、この世界には存在しないはずです。この世界では西洋風の料理も存在はしますが、中国風の料理ほど発展はしていないですし、ましてコース料理など聞いたことがありません。


前世だ。あたしや子履しりと同じように、前世の記憶を持っている人が他にもいるのです。あたしは直感しました。


「伊摯様のおっしゃっていたように、小皿に盛り付けた料理を順番に‥‥」

「その料理人はどこにいるのですか!?なんていう名前ですか!?」

「あっ‥」

「あ‥」


思わず興奮して食いついてしまいました。


場所を変えて、商丘の中心部近くの公園の端っこにあるベンチに座ります。あたしのほうも、いったん落ち着きましょう。まず、その人が本当に前世の人なのか、名前は偶然のものでないかをひとつひとつ確認しましょう。フレンチという言葉がこの世界の何処かにすでにあったらいけないですし、無関係の料理にフルコースとつけてるだけかもしれませんし。


「歩誾さんはその人の料理を食べたことはありますか?」


あたしがそう尋ねると、歩誾はまた急に苦い顔をします。


「あっあっ、話さなくて大丈夫です、次の質問ですけど‥」

「‥‥父が、父があの方を弟子にとっておりました。なので話を聞いたことは‥あります」


え、歩誾の父がその料理人を弟子に?ってことはまさか、その父も前世の記憶を持っていて‥‥?


「歩誾さんの父も、その料理人のような料理ができるのですか?」

「いいえ。父に弟子入する前から、あのような料理を作っておられました。父上はただ見ていただけです」

「なぜあのような凄腕の料理人が、父の弟子に?」

「前にもお話しましたよね。私たちの一家は九州でもその道の人の中では有名で、毎年多くの人が弟子入りを志願してくるのです。その中でも、あの人は一風変わったお願いの仕方をしてきました」

「一風変わったお願い?」

「『この世界の料理の仕方を教えて欲しい』と言ってきたのです。不思議な言い方ですよね、他にどんな世界があるのでしょうね」

「ああー‥‥確かに不思議ですね」

「父も面白がって、その人を弟子に選んだのです。ですが‥その‥ですが‥‥」


歩誾はそこで言葉を詰まらせます。最初からずっと暗い顔をしていたので分かります。そろそろ話題を変えようと思ったタイミングで、歩誾は説明を続けます。


「‥‥父上の指導は、厳しいものでした」

「えっ?」

「少しでも気に入らないことがあると殴ったり、頬を叩いたり、箱を投げつけたりしていました」

「それって‥」

「毎晩、部屋で泣いていました。私も何度か出血を止めに行ったのですが、そこであの人は何回も『ごめんなさい』とうわ言のように繰り返していました。全身血まみれになっていて本当につらそうだったのに、それを尋ねても『これは罰だ』などと意味のわからないことを言っていたので私も姉上も耐えられなくて、父上に内緒でその人を追い出してしまいました。弟子入りして3年くらいたったころですね。なので、私はその人の料理を食べたことはありません。ごめんなさいね、暗い話をしてしまって‥」


あたしは前世で、2組の親がいました。1組は栃木まで逃げたあたしを拾ってくれた老夫婦。そしてもう1組は、あたしに虐待してきた料理人の両親です。父にされたことはないので、もしかしたら母だけだったかも。なので人が虐待されたという話を聞くとあたし自身がされたみたいに聞こえてつらくなるのと同時に、シンパシーも感じます。不謹慎かもしれませんが、親近感ができてしまうのです。

でもその話はとりあえず後です。


「歩誾さんもお父様から殴られたことは?」

「いいえ、あの人がいなくなってから父上は気持ち悪いくらい急に丸くなっていましたよ。あの人はすごかったとか、料理の腕は一流だったとか、ぽっかり何かが抜けたように言っていました。料理も教えてくれなかったので、私たちは代わりにこうして商丘や斟鄩しんしんに出稼ぎしているのです」

「そういうことでしたか‥‥」


いくらその人の腕を認めていても、殴っていい理由にはならないのに。

でもその人はおそらくあたしたちと同じように前世の記憶を持っていて、あたしと同じ料理ができて、かつ虐待されたことがある。こう言っては不謹慎かもしれませんが、会わずにはいられないのです。


「その人のいる場所と名前は分かりますか?」

「風の噂ですと、今はすいという國にいるのだそうです」

「遂ってどこです?」

「ここから湖を越えた東の方‥‥ぼうの國の隣でしたね。あっ、せいきょせつの國の近くといえば分かりやすいでしょうか」


聞いたこともない國の名前なのであまりぴんと来ませんが、任仲虺じんちゅうきのいた薛の國の近くらしいですね。


「それで、名前ですが‥今はソウカと号しています」

「ソウカ?‥‥どんな字を書きますか?」


この世界では、感じを単純に日本語の音読みで読んでいるわけではなく、発音は当然ですが前世のそれとは違います。発音のアクセントから微妙なニュアンスを読み取って大体の漢字を想像するものですが、今回ばかりは、ちょっと特異な文字の組み合わせ方だからなのか、発音を聞いてもぴんときません。

歩誾もそれを分かっていたようで、枝を拾って地面に字を書きます。


その一画一画。あたしは早いうちから、自分の背筋が凍るのを感じます。


前世のあたしには親が2組ありましたが、名前も2つありました。

前世の子履しり‥‥雪子ゆきこのいる栃木で名乗っていた、秋野あきの美樹みきという名前。

そしてもう1つが、あたしを虐待していた料理人に与えられた名前。

東条とうじょう爽歌さやか


爽歌そうか‥」


地面にははっきりと、その字が刻みつけられていました。

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