第271話 前世の記憶で料理しました

子履しりの話は長くてよく分からないです。前世でもそうでしたが、話半分に聞いておきましょう。ここだけの話ですが、異世界のことを前世の基準でまじめに考察しても仕方ないと思います。だいいちこの世界には魔法がありますから、何でもありなんじゃないでしょうか。

そんなことより料理です。あたしはいつも通り、厨房へ行きました。そういえば子履が商丘しょうきゅうに戻ってきてから何かと慌ただしい日が続いたこともあって、ここで料理するのは3回目くらいでしたね。


あたしはいつも通り厨房に入ります。すぐ、あちこちの料理人がぴしっと背筋を伸ばして、勢いよくあたしに頭を下げます。え、ええ、どういうこと?


「ち、ちょっと待ってください、どうしてみなさん畏まるんですか?ああ、あそこの鍋沸騰してます!あたし今までにもここに通っていましたから今更でしょう?いつも通りにしてください!」

「は、は、はいっ」


料理人たちは深く頭を下げてからみずからの持ち場に戻ります。どこか緊張しているように腕を大袈裟に動かしている人もいました。軍人か何かかよ。うちの厨房、いつから体育会系になりましたっけ。

前世の記憶を取り戻してからこの厨房に来るのはこれで3回目です。2回目のときも一部の人の様子がおかしいと思っていましたが、今回は前回より悪化しています。気にならないか‥‥やっぱ気になります。あたしは暇そうな料理人を適当に捕まえます。


「すみません、みなさんの様子が物産展の時と比べて明らかに変わっているのですが、何があったのでしょうか?」

「えーっと、ご自覚ないのでしょうか?」

「え、どういうことですか?」

「伊料理長の料理が、別人のように明らかにうまくなっているのです。これまでは、ここにいるどの人よりもうまい程度で、あなたを料理長に祭り上げたのははっきり言って身分差も理由の1つでした。それが、おとといのあなたは人が変わったように素晴らしい包丁さばきや味付けや盛り付けの技術を見せ、この九州にいるどこの伝説的な料理人の追随をも許さない腕前に仕上がっているように見えるのです。あなたこそ一体なにがあったのでしょうか?」


ああ‥‥原因に心当たりはありますが、いざ料理をしてしまうと前世で何年もやって慣れたものですから特に違和感もなくどんどん進んでしまい、自分でも意外と気づかないものです。‥‥なのか?

料理人は最高の食材が使えれば理想ですが、食材や調味料が限られている場合の調理も前世で(常軌を超えて厳しく)指導されましたので、その知識をナチュラルに活かしてしまったのだと思います。


でもそんな説明をしても相手に伝わるわけもなく。


「えっと、とにかく、技術の巧拙で態度を変えるのはあたしは嫌いなので、前みたいに接してもらえますか」

「‥‥わかりました」


それにしてもあたし、そこまでうまくなったんでしょうか。自分ではいまいち判断がつかないです。あ、あそこに及隶きゅうたいがいます。なぜかあそこのテーブルの前で畏まっています。神様なのに畏まっています。


たい、どうしたの?」

「えーと‥‥そろそろセンパイの手伝い、やめたほうがいいっすか?」

「え、どういうこと?」

「隶、背が低く腕も短いので、いくら器用でもセンパイの横でテキパキ動けず、迷惑になっているんじゃないかと思うっす」

「そ、そんなことはないよ!大丈夫、あたしは隶が好きだから!」

「そっすか‥‥?」


及隶は恐縮しながら、料理の時いつも使っている台に乗ります。及隶は身長が低いので、台の上であたしの手伝いをさせているのです。

そんなあたしの目の前には、若い料理人が2人ほどいます。


「えっと、いつもあたしは他の子供と一緒に料理していたと思うのですが‥‥」

「子供たちならあなたのお手伝いは荷が重いと言い出して、今、あそこのグループで料理しています」

「ええ‥‥」


ま、まあ、子供に代わりに教えてくれるというのならいいのですが。寂しいです。急にうまくなりすぎるのも考えものですね、とあたしはこの時思いました。


寂しいといえばもうひとつ。実は子履が商丘に戻ってきてから、途中で馬車を降りた姒臾じきがそのまま姿を消したのです。別に厨房まで戻ってきてもよかったというのに、しんのほうから来た使者に退職願いの竹簡だけぽんと渡されました。姒臾に対しては複雑な気持ちもあるのですが、正直に言うと寂しいです。

姒臾は庶民との交流を極度に嫌がっていたわけではなくて、他の料理人と世間話もしていたようです。料理人たちが寂しいと口々に言っていたのを、あたしは何度か聞きました。


その日も低めの台に乗って、この厨房で一番いいらしい包丁を使って、いつもの調子で料理しました。大根の煮物を普通に盛り付けただけなのですが、他の料理人たちが「おおっ‥‥」と感嘆していました。


この料理を持っていった時に、子亘しせんは「これ、食べ物なの?本当に食べてしまっていいの?」と困惑していましたし、子履からも「‥‥ただの大根なのは分かっていますが、ナイフとフォークが欲しくなりますね」と言われました。

使用人にも「これだけ繊細な盛り付けをされると運ぶ時に途中で崩すかもしれず怖いです」と苦情を言われましたので、「ワゴンを使ってはどうでしょうか」と言ったら「ワゴンとは何でしょうか?」と言われました。ああ、そこからか。子履を通して職人に1週間かけてワゴンを作ってもらったら運ぶ人からの苦情はなくなりましたが、代わりに掃除人が「きれいな床をもっときれいにしろと言われましたが何故でしょうね」と首を傾げていました。


料理人たちが恐縮してしまう気持ちが少し垣間見えてしまったかもしれません。


しかし、包丁はまだ改良の余地がありますね。今度、鍛冶にでも行ってみましょうか。


◆ ◆ ◆


商丘に戻ってから変わったことは他にもいくつかあります。子履があたしにべたべたくっついてくることもなくなったのでお出かけに行けるようになりましたが、あたしはぶらりと兵舎に立ち寄ってみます。最近、将軍が1人増えたという話が宮中で回っています。劉歌りゅうかのことです。から亡命してきた人は文官が多く、武人は珍しかったのですが、劉歌がその枠を埋めてくれたようです。まあ、あの劉乂りゅうがいに対してああいう態度をとっていたのである程度は予想できましたが、槍さばきが普通にうまいらしいです。


兵舎の受付をしていた役人のお世話になって、建物の渡り廊下から広大な訓練場を覗きます。10人の兵士が劉歌を取り囲んで一気に攻撃していますが、劉歌は慣れた手つきで全員払い除けます。あんなに強かったんでしたっけ。


「お呼び出ししましょうか?」

「いえ、休憩まで待ちます」


果たして休憩時間になったようで、劉歌が壁の近くまで来て背伸びしています。あたしは渡り廊下から飛び出してそこへ駆け寄って、話しかけます。


「お久しぶりです、劉歌様」

「あら、伊后いこうではありませんか」


と、劉歌は粛拝しゅくはい(※九拝きゅうはいのうち、軍人が甲冑かっちゅうをつけたままおこなう礼。深くうつむく)を3回します。いや、数日前まで友達くらいの距離でいた人に急に丁寧な礼をされるとこちらも緊張してしまいます。

「まだ婚礼は済ませてませんから、普通に家臣として扱ってください」とあたしが言っても、今度は「陛下と同じ部屋で寝泊まりされているとお聞きしました。すでに祖廟での占い(※六礼りくれいにおいて結婚の可否と時期は必ず祖廟で占い先祖の意を問うものである)をすっ飛ばして親迎しんげい(※六礼最後の段階で、男が女を迎え家に招き入れ同居のはじめとする)を済ませているようなものでございます」と譲りません。


「軍人は礼をたっとぶものであり(※上下関係を厳しく重視する)、将軍が率先して行わないと兵はついてきません」

「ええ‥相当厳しいのですね‥」


劉歌の顔はまじめで、目も笑っていません。なんだか急に疎遠になったような気持ちです。とても普通に話せる雰囲気じゃありません。


「えっと‥‥‥‥しあさっての夜に一緒に食べませんか?もちろん無礼講で」

「かしこまりました」

「無礼講です、無礼講ですからね」


うええ。ちょっと話して様子を聞くだけのつもりだったのに。この世界の常識にはついていけないと思うときがありますが、今がまさにそれです。無礼講っていう言葉の使い方、多分前世よりも今のほうがじっくり来ます。

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