第270話 いにしえの三皇

及隶きゅうたい泰皇たいこう、または人皇じんこうであるということは、本人も交えて子履しり任仲虺じんちゅうきの2人に説明しました。

もちろん、任仲虺も子履も、あたしが普段事務で使っている部屋に通してあります。この部屋には4人しかいません。


「ということは、私と摯がデートする夢を見せたのは及隶だったのですね」


子履の質問に及隶が頷くと、子履はさらに詰めかけます。


「あの!お願いがあるのですが!」

「どうしたっすか?」

「これから毎晩、デートの夢を見せてください!もちろん今までと同じようにと夢を共有していて、まるで現実のように五感がはっきりしていて、記憶も鮮明に残るようにお願いします!あ、あの、もしよろしければ、裸で、あの、せっ‥」

「丁重にお断りするっす」


あたしが横槍を入れようとしたら、及隶があっさり断りました。おい子履、今何て言おうとした。


「前世でも習ったと思うっすけど、睡眠は脳を休めるためのもので、明晰夢よりも刺激の強いものを本来ノンレムであるべき時間帯に頻繁に見てしまうと精神が壊れるっす。副作用も強いから、これ以上は使いたくないっす」

「そんな‥‥」


子履ががっくりうなだれます。うん、よかったね。実はあたしもちょっと残念ですけど、現実のデートで楽しみましょう。


「それにしてもたい、前世の知識があるんだね」

「前世からセンパイとお嬢様を選んだのはこの隶っす。だから前世のことはよく研究してるっす」

「えっ、それって、この世界にあたしと履様を転生させようと決めたのは隶ってこと?」

「そうっす」


と、及隶は胸を張ります。

どうしてあたしたちを選んだのですか、と聞きかけたところで、任仲虺が割って入ります。


「畏れながら、泰皇のための廟を作るべきでしょうか?」

「それはこの九州にたくさんあるっす。今更っすよ」


ああ‥‥ただ特別な存在としか捉えていない前世の知識のあるあたしたちと違って、任仲虺は信仰を丸出しにしています。考え方の違いを感じます。そういえば。


「あの。廟といえば、すでに伏羲ふくぎ女禍にょか神農じんのうという三皇がすでにいるんだけど、それに対して天皇てんこう地皇ちこう、泰皇のことはいにしえの三皇って呼ぶんだよね(※第160話も参照)。いにしえの三皇ってどういう存在?」

「‥‥神話というものはしょせんは人の手で作られるものなんすよ。つまり、人間の都合で造られた言葉にすぎないっす」

「ど‥どういうこと?」

「三皇五帝にはすべて姓があるっす。伏羲・女禍はふう、神農はきょうを姓として持っているっす。だから、同じ姓を持ったにとって簡単に権威を持てる都合のいい存在っすよ。だから、もとある三皇に代わって、伏羲・女禍・神農が三皇であるという『偽の歴史』が、人間によって創り上げられた。そして、本来この世界を創造したはずの天皇、地皇、泰皇は『いにしえの三皇』として蚊帳の外に追い払われたっすよ」

「そんな‥」


ここで任仲虺も首を突っ込んできます。


「それでは、伏羲が国土を作り、女禍が人類を作り、神農が農業を作ったという話はどうなるのでしょうか?」

「その三皇はただの人間であり、こう(※神様)として崇めるほどでもないっすよ。いにしえの三皇は、それよりもはるか昔にこの世界を支配していたっす。‥‥まあ、ひとつ付け加えるなら、黄帝を神格化するために造られた存在っすね」

「どういうことですか?」

「士大夫は、みずからのほとんどは黄帝の子孫であり、この中国ちゅうごく(※ここではこの九州の文化圏が他のどの文明よりも優れていることをさす言葉)においてより優れた存在であり、帝・伯・候の位をいただくにふさわしい立場であることを示すために、どんどん黄帝にこういう子や孫、玄孫やしゃごがいたという話をでっちあげていったっす。でも、そのような作り話を次々と付け足すうちに、その黄帝自体の正当性が問われるようになったっすよ。だからそれより前に三皇がいたことにしたっす。でもその過程で、どうしてもほころびが出てくるっす。例えば黄帝は神農氏から禅譲を受けたと言う人も、黄帝が楡罔ゆもう(※炎帝神農氏の子孫とされる)を阪泉はんせん(※地名。おそらく河北省かほくしょう張家口市ちょうかこうし懐来県かいらいけん付近と思われる)で破って帝位を奪ったと言う人もいるっす」


うん、あたし全然理解できないです。難しい言葉をすらすら言われると訳わからないです。でも子履も任仲虺も、まるで理解できているかのようにどんどん質問を繰り出していきます。

三皇は人間で、いにしえの三皇こそが本当の神様であるという話はわかりました。‥‥でも、一方のあたしは子履が陽城ようじょうに行く日の朝に夢を見たのですが(※第237話参照)、あの夢に出てきた伏羲は一体何だったのでしょうか。もし三皇がただの人間なら、夢を見せる魔法なんて使えないはずなのですが、夢にしてはリアルな気がしたので、おそらくあの伏羲も‥‥。よくわからないや。


いいところであたしは話を止めます。


「あの‥神様とかもういいんだけど、そろそろ次の話にいかない?」

「分かったっす」


そう返事する及隶の両隣には、明らかに不満そうな子履と任仲虺が頬を膨らませています。うん、そういうのは後でゆっくりやってほしいです。


「隶、神様なのにこうしてあたしたちのすぐそばで生活しているんでしょ。神様は普段は天の上にいると思ってたけど、どうして?」


子履も任仲虺も、確かにそうだといわんばかりに及隶をじっと見ます。


「‥‥」


及隶は少し黙っていましたが、ふふっとかすかに笑います。


「‥‥今は言わないでおくっす。いずれ分かることっす」

「‥‥次の質問だけど、履様が夏台かだいに囚われることも事前に知ってたの?」

「それも今は答えないっす」


うん。あたしは何も言わず、及隶のほっぺを両方からひっぱります。ぴろーんとよく伸びます。「どうしたっすか?」「なんとなく」このような短いやり取りを挟んで、ほっぺたで遊んでみます。


◆ ◆ ◆


そのあともいろいろ相談しましたが、及隶は今まで通りあたし専属の使用人として働くことになりました。というか神様が下手に目の届かない場所で働くよりも、こっちのほうが都合がいいのです。任仲虺は神様に頼み事をしたがっていたのですが、及隶はそれを事前に察知したのかやんわり断っていました。

一通り話が済んで、及隶は夕食の仕込みと言って先に厨房へ行ってしまいました。あたしは準備ができてから行くと言って、子履と2人で部屋に戻ります。


「隶が神様だなんて、すごいですね」


そうです。及隶は、あたしが物心ついた頃からずっと一緒にいました。神様にもブライドはあると思っていて、人の下につくような神はいないと思っていましたが、現実にいたわけです。そんな身近にいた人がまさか神様だなんて、普通は思わないでしょう。


「‥‥本当に神様でしょうか?」


突然、子履が突拍子もない事を言います。


「え‥?どういうことですか?」

「及隶の説明した中国神話が、三代にしては体系化されすぎているのです。私にはなんとなく、どこかに壮大な作り話が含まれているような気がして‥‥」


あたしは首を傾げます。


「例えば、加上説かじょうせつを知っていますか?」

「え、加上説?」

「時代が下るほど神話のはじまりが昔へさかのぼり補強されるという仮説です。例えば前世の研究において、神様や先代の人々はあとの時代の人間が作り出した存在という前提がありました。今の三代さんだいではより前の伝説は存在せず、三皇五帝の伝説が作られたのはもっと後の時代であると言われています」

「え‥まだ三代の途中なのに三皇も黄帝もいますよ、この世界は」

「そもそも中国神話は、各地に散らばっている民話を戦国時代以降にまとめて時系列化したものではないかと言われています。なので、三代の時点で神話をあれだけ具体的に、時系列に語れること自体が不自然なのですよ」

「ええ‥‥で、でも、学園の授業でも三皇の話は出てきましたし、実際に廟もいたるところにありますよね」


子履はあたしの言葉に何度もうなずきますが、一方でまだ怪訝な顔をしています。


「漢字も、確か春秋時代より前は占いだけに使っているところ、この世界ではまだ三代なのに当たり前のように使っていますよね。ここは異世界ですから、前世の中国史と単純比較はできないんじゃないでしょうか」

「私もそれは承知しています。他にも竹簡よりのちに発明された紙が主に庶民の間で使われ士大夫の間ではあまり使われていない点も気になりますが、それらを含めてもあまりに目立ちすぎるのは西洋建築です。そもそも西洋建築と東洋建築では材料が違います。石と木材です。石は頑固で蓄熱に優れますが、木材は風通しがよく、温暖な気候の場所に好まれます。ドイツよりも緯度が低く温暖な中国という場所で、木材も十分にあるにかかわらず、石材を用いた建築が好まれることも疑問です。『異世界だから』だけでは納得できない違和感を私は持っています」

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