第265話 帰りの馬車で(1)

馬車は陽城ようじょうを出て、まず南東にあるきょという名前の場所へ向かいます。前半は山道になりますが、道は整備されており急ぎでも問題はないし、普通に老丘ろうきゅうを通るよりも早くから抜け出せるはずだと妺喜ばっきが言っていたようです。

もちろん老丘を通ったほうが早く帰れるのですが、横に細長い夏から抜け出し方伯の領地へ入ることが重要だそうです。


ただでさえあと1日で商に着かなければいけないのに、回り道をしてしまうとますます間に合いません。

ですが、あたしにはもはやそれを訴える気力はありませんでした。


馬車が揺れます。あたし・子履しりの向かいには、任仲虺じんちゅうき姒臾じきが座っています。劉歌りゅうかは、4人乗りの馬車を見て「私は商丘しょうきゅうに着くまで官位を持ちません。従者として歩かせてください」と言い出して、「それを言うならわたくしも官位がありません」と言った任仲虺を振り切って、そのまま馬車の後ろを衛兵と一緒に歩いています。嬀穣きじょうは宿を探しましたが結局見つからなかったので、崇山すうざんでの書き置きのことを思い出し、諦めて連れてきていません。


子履のオブジェのような体を撫でながら、あたしはひたすら、前世のことを思い出していました。


◆ ◆ ◆


ひなげしの花は、3回渡しました。

1回目は初めてデートに行った時。3回目は最期の時。そして、2回目は雪子の誕生日でした。

あの日、あたしは雪子の家のキッチンを借りて、ケーキを作っていました。もちろんただのケーキではなく、あたしなりに工夫をこらしてクリームや自作砂糖菓子やチョコなどで飾り付けたものです。今思えば、あれは一流の中の一流のシェフが作るようなものでしたね。デザインはあまり派手にしすぎないように、あるものを全部無節操に突っ込むような真似はしないようになどと前の親から厳しく言われたうえに、一流のプロが作るようなケーキの形をかなり叩き込まれていましたので、その結果だと思います。


「そろそろできたー?」


ばたばたと音を立てて、あたしと雪子の共通の同級生の子が入ってきます。


「あっ、紗枝さえ。あと20分待って。一般家庭向けの冷蔵庫だと加減が分からないの」

「一般家庭って‥‥」

「あっ、いや、こっちの話」


前の親のところで教育された常識が今もまだ残っています。思わぬところからぼろを出さないように気をつけないと、いつか証言が集まって警察や週刊誌のお世話になってしまうかもしれません。


美樹みきの料理はうまいんだよね。ケーキも期待してるから!」

「ありがとう、頑張って作っちゃった」

「えへへ、楽しみにしてる。ここで待ってるね」

「雪子がぼっちで寂しがるよ」


紗枝はあたしを無視して、テーブルの椅子に座ります。


「ううん、雪子は美樹がいなくて寂しいの。うちが行っても意味はないよ」

「雪子が‥」


あたしはちょっとうつむいて、「うん、あと15分くらいね」と小声でつぶやきます。


「‥紗枝、聞きたいこと聞いていい?」

「どうしたの?」

「雪子、高校で除け者にされているでしょ。どうして紗枝は雪子と友達になろうとしたの?」

「あー‥‥」


紗枝はばつが悪そうに、椅子の背もたれに肩を押し付けます。


「美樹の料理が目当て、かな?」

「ええっ‥」

「もちろん冗談だよ、‥‥‥‥雪子は小学生の時から、ずっと1人ぼっちなの。話しかけるこっちにも勇気がいるんだよ。でも勇気を出して話しかけても、よく分からない中国の血みどろな話ばかりされるもんで、頭がくらくらするんだよ。雪子に話しかける人が誰もいなくなって、代わりに悪い子たちが集まってくるの。雪子に何をしても叱ってくる人がいないからってね」

「あー‥‥それは否定できないね」


あたしはタイマーを片手に、椅子に座っていました。


「そんな雪子が変わったのは、美樹に会ってからだよ」

「えっ、あたしの‥」

「うん。いつも教室で雪子と美樹が話しているのを聞いていたんだけど、中国の話はだんだん減って、代わりにこの町で起きたこと、身の回りのこと、ニュースとか学校の授業とか、身近な話が増えてきたの。それならうちも話せるかなと思って、こっそり話しかけてみたら、今こうなってるわけ。雪子のことは前から気になってたけど、美樹と仲良さそうにしているのを見ると、うちでも大丈夫かなって思った」


紗枝は感極まったようにゆっくりうなずいて、それからあたしに質問してきます。


「逆に聞くけど、美樹はどうして中国の話しかできない雪子と仲良くなろうとしたの?」

「えっ‥」


いきなり言われても‥隠さなければいけない過去があるので慎重に言葉を選ばなければいけません。


「あたしは‥過去につらいことがあったから、同じようにつらそうにしている人を放っておけなかったの。昔は小学校の同級生が心の支えだったから、せめて学校にいる間はあたしがあの子の逃げ道になったらいいと思って。でも、今は雪子はあたしの大切な友達だから」

「大切にしてるのが伝わるよ」


紗枝はくすくす笑います。


「美樹も変わったね」

「えっ?」

「いや、美樹がこの町に来たのは高校からだから短い付き合いだけどね、入ってきたばかりの美樹はどこか暗かったの。多分、さっき言っていた過去のつらいことのせいかな?気軽に話しかけられるような空気じゃなくて、あと3年くらい来るのが早かったらいじめられていたねと噂になっていたの。でも、雪子に会ってから美樹も変わった。まるで生きる理由を見つけたみたいで‥‥」

「あっ」


話の途中ですがアラームが鳴ってしまいました。せっかくの空気がぶち壊しです。しかし紗枝は「はははっ」と笑って席を立ちます。


ケーキを持って階段を上り、2回の部屋に入ります。「雪子、待たせたね」ローテーブルにそのケーキを置くと、ソファーに座っている黒髪の子が急に顔を手で覆います。ぽたぽたと透明の液体が漏れます。


「ど、どうしたの、雪子?」

「わ‥私のために誕生日会まで開いてもらって、こんな高そうなケーキまで買ってもらって‥‥」


ケーキを買ったと思い込んでるんですか。あたしが作ってきたものなんだけどな。だいたい、自分で作ったものでなければ雪子をこうして待たせないですよ。

そうやってぽたぽたと涙を漏らす雪子に、あたしは冗談半分で聞いてみます。


「このケーキ、いくらしたと思う?」

「‥‥1万円ですか?」

「ええ‥‥普通のケーキは5万円するよ‥‥?」


とびきり高い金額を言われると思ってましたが、1万円はちょっと安すぎませんか。‥‥ま、まあ、あたし素人ですしそもそもケーキは専門外ですし、材料はこだわったつもりでしたが所詮紗枝と一緒に一般家庭向けの商業施設で選んだ程度のものですし、本場で料理したこともないのでそれくらいが妥当かもしれませんが。ちょっと悔しいしショックだけど。雪子にも毒舌なところがあるんですね。

しかしそれを言った時、雪子も紗枝も目を丸くします。雪子なんか、泣いていたはずなのに急に顔から手を外します。


「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」

「いや‥普通のホールケーキは2000円とか3000円だよね?この形はホールケーキって言えるかも謎だけど、すごく美しい形をしてるよね」

「えっ?何言ってるの、紗枝」


呆然とするあたしを見て、ぷぷっと笑い声が漏れます。泣いていたはずの雪子は、満面の笑みを見せていました。


「ふふ‥美樹は突拍子もないことを言うから好きです」

「も、もう、雪子、からかわないでよ!」

「‥‥普通の人と感覚がずれているのを見ると、安心します」

「‥もうっ」


あたし、また何か変なことを言ったのでしょうか。でも、雪子がそう言いながら親しみを込めて目を細めるのに意味があることを、あたしはよく知っています。

雪子は幼い頃から中国史の勉強ばかりしていて、周りと話が合わなくて避けられていました。境遇の違いはあれと、雪子にとって、あたしは同類で仲間なのでしょう。


と、雪子が手を差し出してきます。


「座ってください」


あたしは言われるがままに、雪子の隣に座ります。


「‥美樹。高いケーキを買ってくれたことも嬉しいですが‥なにより、誕生日を美樹と一緒に過ごせるのが私にとって一番の宝物です。一緒に食べましょう」

「‥‥っ」


あたしは目を見開いて、すぐそっぽを向きます。顔に熱が入っているのが自分でも分かります。このケーキ作ったのが自分ってこと、言えなくなっちゃいました。


「‥‥あっ、雪子。プレゼントはケーキだけじゃないんだ」

「えっ?」


あたしはソファーを立って、部屋の隅においてあった自分のかばんを漁ります。そして、ひとつの小さな花束を取り出します。

真っ赤なオレンジ色の花が、いくつも咲いています。


「これ、覚えてる?初めて一緒にお出かけした時にあげた花だよ」

「あ‥っ」


雪子の目が丸くなっています。‥嬉しいのかな?表情がなんか複雑でよく読み取れませんが、懐かしさの気持ちが混ざっていることは分かりました。


「あれは、初めて仲良く遊んだ時の記念。そして、これは‥これからもずっと一緒にいるという約束」


あたしは微笑みますが‥雪子はなぜかあたしから目をそらしています。顔は‥嬉しさやら何やらいろいろな感情が込み入ったようなものでした。

あれ?雪子なら喜ぶと思ってこの花を選んだのに、嬉しくないのかな。と思ったら、雪子は立ち上がって、あたしに近づいてきます。


「‥ありがとうございます。大切にします」


そして、にっこり笑います。あ、喜んでくれた。

雪子はあたしから受け取りました。

ひなげしの花を。

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