第257話 陽城に着きました

果たしてそれと同じ頃、あたしたちは陽城ようじょうに着きました。陽城は東から来る場合は自然の関所ともいえる、嵩山すうざんと呼ばれる有名な山と、そのちょっと南にある小さい山に挟まれた道を通らなければいけません。陽城全体も山に囲まれているので、都市の近くなのに竜の隠れる場所には困りません。でも都市の人から目撃される可能性があるので、あまり長くは滞在できません。

それを意識してか、陽城付近の山へ近づく前に竜はあたしに話しかけてきました。


『陽城から商丘しょうきゅうまで帰る時に俺はいない。自分で帰ってくれ』

「え‥ええっ?様を救う薬を亳にいる及隶きゅうたいが作っているのですが、履様を助けたらすぐその薬を飲ませないと間に合わないです‥‥!!」

『これは広萌こうぼう真人の命令だ。俺にはどうすることもできない』

「そんな‥‥」


泰皇たいこう‥‥及隶の呼んだ竜が広萌真人の命令と言っているのですから、及隶と広萌真人は裏で協力していると思っています。子履しりは7日で死んでしまうらしいので、商丘へ連れて帰るのなら今日も含めてあと4日しかありません。そんなもの、仮に今すぐ帰るとしても竜に乗らないと不可能です。でも広萌真人は、帰りは竜に乗せるなと言っているのです。及隶と広萌真人の命令、矛盾してませんか?


「どうしてここまで協力してくれたのに、最後の最後で突き放すのですか?竜に乗らないと薬が間に合わずに履様が死んでしまいます。隶の薬が間に合わなくなりますよ。履様は死んでもいいと思ってるのですか?」

『いや、生きて帰れるよう願っている』

「だったらなぜ‥‥」

『‥‥俺もどこまでしゃべっていいか分からんが、言わせてもらう。目の前にあるものを信じろ。これで想い人は必ず助かると、広萌真人もおっしゃっていた』

「‥‥っ、目の前にあるものって具体的に何ですか?そんないい加減な言葉、信じられないです!!」


あたしは竜の頭をゆすります。後ろから姒臾じきが「おい、やめろ!」と怒鳴りつけましたので、あたしは身を引いて大きく深呼吸します。あたしとしたことか、取り乱してしまいました。


◆ ◆ ◆


山のふもとにおりたところで、竜はどこかへ行ってしまいました。「さあ、急ぐぞ」と姒臾がいてくるので、あたしは「待って」と立ち止まります。


言おうかはちょっと迷いましたが‥‥子履を1日でも早く死にもの狂いで助けて、亳まで2,3日で帰れる別の方法を探さなければいけません。いや、子履を王さまから返してもらうまでが長引けばそれすら不可能になりますから、子履をいかにして延命するかも考えなければいけません。あるいはその両方でしょう。

あたしはさっき竜と話したことを説明します。


「だったらなおさら急がなければいけないだろうか!都心まで走るんだ!」


やっぱり姒臾はわめいていますが、そのかたわらで任仲虺じんちゅうきが1人、木にもたれて真剣に腕を組んでいます。


「仮に履さんを無視して今すぐ商丘へ帰ったところで間に合いませんよね」

「‥はい、間に合いません」

「竜は、履さんは必ず助かるとおっしゃっていました。それを信じて今できることをやる以外に方法はないのではないでしょうか。まあ、わたくしは積極的に信じますけど」


姒臾は舌打ちをして「勝手にしろ」と吐き捨てます。そうして建物の並ぶ都心部のはずれまで着くと、「俺は2日‥いや、1日で商丘まで帰れる方法を探してくる。てめえらは暗くなったらここにいろ、いいな」と言って勝手に走り出しました。


「待ちなさい‥」とあたしは手を伸ばしかけますが、すぐに引っ込めます。


「姒臾さんなりに頑張っているのでしょうね」

「‥‥仲虺様は焦りを感じないのですか?正直、あたしもどうすればいいか分からなくて」

「先程も言いましたけど、わたくしは占卜せんぼく、夢のお告げや天・仙人・真人の言葉は信じます。信じるよう教育されていますから、当然ではありませんか」

「そんな‥」


でも任仲虺の横顔を見ても、視線の先が定まっているように見えず、目がうつろに斜め下を向いています。‥‥そうですね。他にすがるものがありません。あたしがこれ以上言っても、結果的には任仲虺を困らせるものでしょう。

任仲虺が振り向きました。


「とりあえず、手元に劉乂りゅうがいへの手紙があるのなら、それを先に届けましょう」

「‥はい、そうですね」


亳の法芘ほうひから預かった手紙があるのでした。


◆ ◆ ◆


劉乂がどこにいるかは分かりませんので、まず誰かに道を聞く必要があります。と思って任仲虺と嬀穣きじょうと一緒に歩き進んだのですが、建物が増えるにつれて、死体も増えてきます。道のいたるところに、壁にもたれて座っている黒ずんだ人、道のど真ん中で横になっている人がいます。みな、ぼろぼろの服を着て、微動もしていません。すごい異臭がします。あたしの今着てるこの服、商丘に戻ったら二度と使えないと思ったほうがいいですね。

本当に誰もこれも動いていないので、あたしはいちいち立ち止まるのをやめました。視界に入らないように、必死で上を向きます。任仲虺と一言もかわしません。「大通りに出ればさすがにましになるかも‥‥」と嬀穣が言っていたのでその通りにしましたが、全く変わりませんでした。いえ、隙間が少し増えただけです。

あたしは思わずぼやきます。


「‥‥話には聞いてましたが、ここまでひどいなんて」

「どなたから聞いていたのですか?」

から亡命した人からです」

「わたくしもです。特に羊玄ようげん右相がいなくなってからまじめに内政する人がいなくなり、一気にひどくなったようですね」

「この様子だと斟鄩しんしんはどうなっているか‥‥」

「少なくともわたくしたちが学園にいた時の斟鄩ではないでしょうね」


大通りを歩きながら、あたしは思いました。せつの國で、これから死ぬ覚悟を決めた任絶伯じんせっぱくの前であたしは立ち尽くしてしまいました。でも今のあたしは、死体が転がっている中で、冷静に、冷酷に、何もなかったかのように歩いています。死体はただの障害物くらいにしかなりません。死ぬ人が1人しかいないときはそこから立ち去るか迷うくらいけっこう心に来るものがあるのに、道を埋め尽くすほど大量にあると逆にいちいち立ち止まらなくなって、障害物以外の感覚にはなりません。そんな自分が嫌になります。

せめてなにか食べ物が‥大量の食べ物があれば。あたしは料理人なのに、こういう時に食べ物を持っていないのが悔しいです。料理人も、食べ物がなければただの人です。


「‥‥あっ」


任仲虺がはたりと立ち止まります。見てみると、壁にもたれて座っている人間の隣に座り、食べ物を与えている少女がいます。服に汚れは少しついていますが、身なりはかなりしっかりしているように見えるので士大夫でしょう。

食べ物を恵んでもらっている人間は、けすぎて男女の区別すらつきません。なにか喋っているようですが、か細い声で聞き取れません。

少女が、その人から言われた言葉を反復します。


「数日前に来た馬車からもらった食事が最後だったのですね」

「昨日来た馬車には追い払われたのですね」

「もしかして、妻がいらっしゃったのですか?」


人間の言葉が聞き取れないせいで、少女が勝手に独り言を言っているようにすら見えてしまいます。ふと、人間が震える手でかたわらを指さします。そこには、ただ死体の山があるだけでした。


「‥‥亡くなった、のですね」


あたしはつばを飲み込みます。


「行きましょう、早く劉乂の屋敷を探さないと‥‥」


嬀穣がその場を振り切りたいかのように大きめの声を出します。あたしも「そ‥‥そうですね」と答えます。この場を離れるのが果てしなく冷酷で人の心がないようにすら感じられますが、あたしはあの少女のように食べ物を持っているわけではありません。言葉で慰める以外にできることはありませんし、そんなのは言葉を聞き取る体力すらないような人たちには迷惑なだけです。


しかしその言葉を聞きつけたのか、少女が振り向きます。「お待ち下さい」と立ち上がります。


「劉乂の子のと申します。父上に何かご用でしょうか?」

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