第255話 広萌真人の薬
あたしたち4人を乗せた竜が山を出発し、
ふと、
「手土産はありますか?」
「えっ?」
「これから
「え?そういうものなのですか‥?」
任仲虺が目を細めます。あたしはたらたら冷や汗を流します。
「‥‥考えてなかったのですか?」
「あ、いや、あ、あの、えっと‥‥」
「はぁ‥‥いったん商丘に戻って贈り物をまとめますか?」
どうしましょう。でもそうすると時間のロスが、と思っていた矢先に竜が少しだけこちらを振り向きました。
『その必要はない。
「えっ‥?」
「本当ですか?」
とっさに任仲虺が割り込んできます。
「なぜそう言い切れるのですか?」
『
「広萌真人とは誰ですか?」
『
「‥信じていいのですか?」
『もちろん』
任仲虺は「分かりました」と、体を引っ込めます。「食いつきますね‥」とあたしが思わずこぼしてしまうと、「履さんを助けることは、
◆ ◆ ◆
「どうした」
馬車の主である
「それが、2人の物乞いが馬車の前に立ちはだかっております」
「追い払え、無理なら切り捨てろ」
その主の言葉に、慌てて隣りに座っている
「
「わしは乞食を見捨てるとは言っていない。あの2人を今助けるなら、その周りにおる無数の病人も助けなければならない。そのためには莫大な食料が必要だ。今、手元にそのようなものはない。宮殿に戻ってそれらを一通り用意してから、改めて施すべきだ」
「2人だけでも助けられるのなら、そうすべきではありませんか?」
「いいや、政治というものは常に平等であるべきだ。あの2人を助けるとそれ以外全員を見捨てることになる。そもそも先に助けるべきは、立ち上がる力が残っているあの2人ではない。餓死寸前で道に横たわっている大量の人々だ。目先のものにとらわれ、優先順位を間違っているということだ。気の毒だがここは無視して、わしが宮殿に戻り全員に行き届く大量の物資を用意し、万民に平等に施すのが正解である」
そして、「十分な物資もないのにわずかな食べ物をばらまくことこそ、愚かというものだ。貧民同士の争いを生み、後年の
「まえ‥きた‥馬車‥‥、米‥くれた‥‥」
「うちの馬車にそのようなものはない」
「く‥れ‥‥」
「邪魔だ」
従者はその腹を殴ります。物乞いの片方が胃液を吐いて倒れ、もう1人はふらふらと横によけて、ばたりと倒れます。
馬車はそのまま進みます。羊玄は「気の毒だが、待ってもらうより他にない」と、持っていた杖を固く握りしめます。
◆ ◆ ◆
そのころ、後宮の一室に閉じこもって、必死に薬草をすりつぶしている人がいました。
早く薬を作らないと、助けないと、と妺喜はうわごとのようにつぶやいていました。
「そんなもので
妺喜はとっさに振り向きます。背後には‥1人の白髪の老人が、杖をついて立っていました。
「誰じゃ、おぬしは‥?」
「貸せ」
「あっ」
老人はしゃがんでその道具を横取りすると、「ふむ、この材料は良くはないが悪くもない」とつぶやくと、それの上に手をかざします。淡い白い光が現れたかと思うとすぐに棒を掴み、慣れた手付きでそれをくるくる回して、薬草をどんどん汁と破片だけにしていきます。
妺喜が割り込む隙もなく、まるでそれが当たり前化のように、老人はぶつぶつと呪文を唱えて魔力を込めながら薬を作ります。
「おぬしは何者じゃ‥?」
しかし老人は無視して、袖からひとつの瓶を取り出すとその中身を皿の中にぶちまけ、ひとつかみ掴んで丸めます。
黒い大きい
「いいか、この3つのうち1つは‥」
「だからおぬしは何者じゃ!質問に答えろ!」
そばから何度も声をかけては無視されてきた妺喜が、ひとぎわ大きい声を張り上げます。そこでやっと、老人は名乗ります。
「わしは
「‥本当に真人なのか?わらわの大切な薬をこんなにしよって‥」
「お前こそ、自分が何をしたのか分かってるのか?まあ、
「おぬしの言う事など信じられるか!また
妺喜が吠えます。広萌真人は長い溜息をつきます。
「やれやれ、まだ商伯のことで気が動転しているのか。この薬を使えば必ず助かる‥というのは、聞いてくれなさそうだな」
「そうじゃ、これが毒でない根拠を示すのだ!」
「‥‥昔のよしみだ。特別に姿を見せてやろうか」
「わらわがおぬしと会ったことがあるのか?」
「そうだ」
広萌真人は「やれやれ」とぼやきながら、ゆっくり立ち上がります。そしてひとたび呪文を唱えます。
その体のジルエットが揺れて‥一気に変わって‥
その姿を見た妺喜は、口をぽっかり開けて目を丸くして、「おぬしは偽物か‥?」と尋ねます。
広萌真人だったその姿は、妺喜にいくらかことの説明をします。
妺喜もしばらくは固まっていましたが、説明が終わるとけらけらと笑いだします。さっきまでの真剣な顔はどこへやら、地面を文字通り笑い転げます。そして、「久々に愉快なものを見たのじゃ」と身を起こします。
姿を元に戻した広萌真人は特に咎めもせず、妺喜の一部始終を眺めていました。
「これは他言無用だ。1人にでも話すと、お前の目的である革命に差し障ってしまうのでな」
「おぬしも飽きない人じゃ。口調を元に戻してくれ、笑ってしまうのじゃ」
「素を出すのに慣れると、他でぼろを出してしまうのだ」
「そういうものなのか」
ようやく落ち着いたようで呼吸が整い始めた妺喜は、改めて座り直します。広萌真人は、皿の中を転がっている3個の丸を指差します。
「ここに3個の薬がある。だが、うち2個は役目を果たすことなく捨てられるだろう。最後の1個を、確実に
「伊摯がここに来るのか?」
「そうだ。明日到着し、あさってまみえる。商伯を助けるために」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます