第251話 薛、滅ぶ(3)
そして、次はあたしが発言する番になったようです。
「
と、
「久しぶりに友人にお会いついでに薛の国も観光したいと思いまして‥‥今、この状況でしたら‥‥ははは」
言葉を濁すしかできないあたしを見て、任仲虺はため息をつきました。
「あと数日早ければおもてなしできたのですが‥‥」
「分かっています、でも、あの‥‥」
本来なら外国人で、しかも商の朝廷に出る立場であるあたしは帰らなければいけません。商の重臣がここにいると薛との関係を疑われてしまいかねませんし。
でもあたしは、任仲虺をここから連れ出さなければいけないと言われています。こんな状況をどう説明しようか悩んでいたところに、任絶伯が声をかけてきました。
「伊摯さん、よろしければ後宮に一部屋あいてますので、そこでお休みになりませんか?」
「‥‥!は、はい、喜んで」
「よろしければ夕食までご一緒に」
「姉上!今は非常時です!」
せっかくの助け舟だと思っていたら任仲虺が怒鳴ります。でも階段の上の椅子に座っている任絶伯はさみしげに微笑んで、首を振ります。
「今おもてなしできなければ、いつできるのでしょうか?」
「姉上。気弱なことはおっしゃらないでください。士気にかかわります」
「気持ちだけではどうしようもないこともあります。後から後悔してしまうこともあります。伊摯さん、こんな状況ですがぜひ夜までお休みになってください」
「は、はい‥‥」
任仲虺があたしを睨んでいます。めちゃくちゃ気まずいです。
「
「ですが‥!」
「やり残したことをひとつひとつ潰すのも、覚悟のうちですよ。仲虺」
今度の任仲虺は、じっと任絶伯を見上げています。ちらっと周りの家臣たちの様子を伺うと、みな目を閉じたり、天を仰いだり、目頭を赤くしている人もたまにいました。めっちゃいづらいです。気まずいです。あたしは深く頭を下げます。
「そ、それでは
「後宮です、お間違いなく。あまり多くの建物は守れませんから」
ひええ。てんぱってしまった。
◆ ◆ ◆
後宮といえば王様の私邸のようなものです。そんなところにお邪魔していいかと思ったのですが、使用人たちが快くあたしを案内してくれました。
薛の国の後宮も、やっぱり西洋風のデザインですが、これは屋敷というよりは教会のような雰囲気があります。白い壁は清楚をあらわします。そして‥‥あれ?
あたしは思わず、後宮の前で立ち止まります。使用人が「どうなさいましたか?」と声をかけてきますが、あたしは何も答えません。
この建物‥‥どこかで見たような気がします。
ずっとずっと前。
前世?‥‥いえ、前世ではありません。この世界のどこかで見た気がします。あたし、薛の国に来るのは初めてで、こんな建物も知りようがないんですが‥‥何だろう、絶対どこかで見たことあるような気がします。他の国に似た建物ありましたっけ?いえ、真っ白でこんなに大きいものがあったら絶対印象に残ります。どこだっけ、どこだっけ‥‥。あ、使用人のこと忘れてた。
「はい、大丈夫です、なんでもありません」
「そうでしたか、よかったです」
使用人はにっこり笑って、あたしを建物の中に案内します。
廊下は、宮殿ほどしっかりとしたものではありませんが、やわらかい日差しが差し込んでいます。とても明るい雰囲気です。それでいて、あちこちには上品な水色透明の壺があったり、なぜかステンドグラスがあったりで、全体的に上品さを感じます。あっ、絵画も飾ってあります。あ。あー‥‥あー、うーん、そりゃそうですよね。普通に
ひとつの部屋を案内されます。廊下に負けないくらい上品でした。さすがにこの部屋には誰も住んでいないのか、そこにあるものは最小限でしたが、テーブルや絨毯がしっかりしかれています。用意の良さが伺えます。あたしは椅子にもたれます。すごくふかふかしていて、よく沈みます。
窓からは木が何本か見えて、その向こうには市街がうっすらとみえます。小鳥のさえすりは‥‥聞こえません。景色だけは穏やかで、ここが軍隊に取り囲まれていることなんて全く想起させません。
任絶伯も任仲虺も大変忙しいのでしょう。昼食には顔を出しませんでした。でも話を聞きつけた使用人から言われます。薛の国は、夏の軍隊と戦う覚悟を決めたのだそう。あたしは食事を終えて部屋に戻ると、はあっと椅子に凭れます。
薛の国は商と同じ、小粒の国です。対して夏は中原を支配しています。中原は、
せめてそうなる前に任仲虺を連れ出せないでしょうか。ギリギリのタイミングで連れ出せないでしょうか。そのことばかり考えて、部屋の中をくるくる歩き回っていました。
‥‥あっ、午後になりました。‥‥そうですね、料理しなければいけませんね。正直、あたしは任仲虺をどうするかまだ決めていません。でも、‥‥せめて少しだけでも、前世で有名シェフ夫婦の教育を受けたあたしの料理を食べてほしいです。あたしの武器といえば料理です。それを食べて、一生あたしの料理を食べたいと思わせるように‥‥できないでしょうか。甘い考えであることは自分でもわかっていますが、死を覚悟した人を前にしては、自分の持つ唯一にして最大の武器にすがるしかありません。
あたし、これまでは料理の方法を漠然と覚えているだけでしたが、前世の記憶を完全に取り戻した今は、包丁や火の具合をどのようにすればいいか鮮明に思い出せます。前よりもうまく料理できる自信がかなりあります。確かに虐待はありましたが、教え方だけはかなりうまかったのです。今だから言えることですが。
と思って、あたしはゆっくりとドアを開けます。
「ど、どうなさいましたか、お料理でしょうか?」
「うわっ!?」
あたしは大声を出して尻餅をつきます。見上げると‥‥そこにいるのはたしかに、ここにいるはずのない人。
「
嬀穣がしれっと使用人の服を着ているのです。いやこれホラーですよ。近くの山にいるはずだった嬀穣が、なぜ敵の包囲をかいくぐってここへ‥‥?
「あ、あのっ‥!詳しい説明は後で‥!厨房の人たちにはすでに許可をもらってますのでっ、あ、あとはこの九州で最も素晴らしくきれいな心をお持ちの伊摯様のお気持ちだけで、す‥‥!」
「‥‥料理しながら横で話せますか?あたし、そうでもしないと気になって料理どころではないと思うので」
「は、はいっ‥‥」
死ぬかと思いましたよ。
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