第249話 薛、滅ぶ(1)
なんだかんだで
同時にあたしは背筋が凍ります。あたしは前世では軍隊や戦争というものには無縁でした。この世界に転生してからも、料理人という仕事柄のせいでしょうか、戦争を感じさせるものはあたしの身の回りにほとんどありませんでした。それがあるのです。眼の前にあるのです。実際に軍隊が1つの都市を取り囲んでいるのです。
そして、その沛の都市の中に、おそらくあたしの友人の
「すまないが、近くの山でお前たちを下ろす。これ以上沛に近づくことはできない」
「ええっ、どうしてですか?あたしには、あの中にいる友人が必要なのです。強い竜がいればとても助かります」
「俺も助けたいのはやまやまだが、薛と夏の戦いには介入するなと
ああ‥‥そうか、この世界では竜は信仰の対象です。その竜が薛に味方するのなら、夏の将兵は一気に士気をなくします。あたしにとってはそっちのほうが都合がいいんですけど。
「でも、そこをなんとか‥‥!」
「駄目だ。広萌真人に逆らうことはできない」
「そんな‥」
竜はゆっくり、なるべく音を立てないように近くの山のはげたところにあたしたちを降ろします。「
どうしましょう‥‥。この山から見下ろして向こうには、夏の軍に囲まれた沛が見えます。
「どうしよう、あの中から
「どうするんだ?」
後ろから
あたしはその軍隊を見て少し考えましたが、うつむくようにうなずいて、振り返ります。
「2人ともこの山で待てるでしょうか?あたし、
「分かった」
姒臾はあっさりうなずきますが、
「嬀穣様、分かりましたか?」
「ひっ、あ、あ、あっ‥‥」
「もういい、こいつには俺から説明する。お前は急げ」
「‥分かった」
あたしは「それでは」と、道を走って山を降ります。木や草に囲まれた獣道でした。任仲虺をあそこから助け出さないと、子履の命はないんですよね。それは信じていいんですよね。
目を閉じるたびに、
少し向こうの方に、夏の兵隊が見えました。あたしはここで、地面の中に飛び込みます。こんな距離を潜ったことはありません。前世でも、50メートル以上を一気に泳いだことはありません。それでも、あたしはひたすら泳ぎます。子履を助けたい。ここで少しでも休んでしまうと、あたしは絶対、一生後悔する。たったそれだけの執念で、今まで一度も挑戦したことも成功させたこともない魔法のために、あたしはひたすら魔力を突き込みます。
上の方で馬の音が聞こえます。まだ街には着いていないはずです。でも、後ろ側からだけでなく、前側からも馬の足音が近づいてきています。そして、わずかに人の声が聞こえてきます。これは‥‥女性の声です。任仲虺‥‥でしょうか?あたしの土を掘る手がぴたりと止まります。
様子を見たい。どうしましょう。そうだ、これくらいの深さなら木の根っこも届くことがあるので、近くに木がないか探してそこに隠れましょう。木はどのあたりでしょうか。ちょっと魔法で、周辺の土の中の気の流れを読んでみます。目を閉じて、小声で呪文を唱えて手に魔力を集中させます。‥‥ありました、右側に約30度、わりと近くの位置。そこまで潜って、木にたどり着くとあたしはぽこっと頭を出します。
茂みだったようで、近くにいる兵士はあたしに気づいていません。そして向こうの方では、一人の少女が馬に乗って、もう一方の馬に乗っている男と向かい合っていました。
「‥‥要求は何ですか?」
あ、やっぱり任仲虺の声です。だとするとあの男は、鎧をつけていることから見るからに、夏の軍隊の大将でしょうか。
「要求ではない。これは命令なのだ。薛伯は大逆罪を犯したので、一族すべて処刑である。我々は薛伯の家族を全て連れ出しに来たのだ」
「では、ここにいる大量の兵士たちは何ですか?」
「薛伯一家が一般市民に紛れている可能性もあるから、人民全員をあらためるために必要なのだ」
「そんなことを言って、人民に危害を加えるつもりですね。今すぐここから立ち去ってください」
「お前は夏に逆らうつもりなのか?」
少し向こうなので表情は見えませんが、任仲虺は答えるまでに少しの間を置いていました。
「一国を潰すのは一大事です。まず、陛下の礼状を見せてください。話はそれからです」
「たかが罪人になぜそのようなものを見せなければいけないんだ。小国の子供ことぎがいきりやがって」
うわ、なんだか険悪そうです。
相手は大量の軍事力をもって薛を脅しているのです。任仲虺が要求を飲まなければ、戦争になるのは確実でしょう。あたし、戦争なんて‥‥。
あたしと同じ学園に通って、同じ学年になって、友人として関わってきた任仲虺が、こんな状況でも堂々としていられるのがとても信じられないくらいです。
「そもそもお前は誰だ。名くらい名乗らんか」
ついに男が、任仲虺に槍を向けました。あたしはそれを遠巻きに見ているだけで恐怖します。
「わたくしは薛王が娘、
「おう、一族か。手間が省ける。俺は
槍が交わされます。
あれ、戦いですよね。前世であった剣道のような、お互いの安全が前提の試合ではありません。本物の刃物を、相手を傷つけるために振り回しているのです。あたしは震えながらそれを眺めるしかできませんでした。
‥‥あれ?
あの
高溥世、もしかして魔法の属性は
思い立った瞬間、あたしはもう一度土の中に潜っていました。懸命に泳いて、そこの真下まで一目散に向かいます。
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