第248話 嬀穣という女
あたしは一刻も早く
「
「あ、あ、あっ、あ、あの、わ、私はいいです!」
と嬀穣が
部屋で少しくつろいていると、ドアのノックがします。「どうしましたか」とあたしがドアを開けようとすると、「開けないでください、あの、あ、ドア越しでお話させてください」という嬀穣の小声が聞こえました。あたしはドアにもたれて、声を小さくします。
「一体どうされましたか?」
「あ、あっ‥‥姒臾さんが、あの部屋は私一人だけでいい、自分は外で寝ると言い出しまして‥‥」
「ええっ!?」
「わ、わ、私、どうしたらいいか分からなくて‥‥」
当たり前ですよ、今は
「あたしが何とかしますから」
「は、は、はいっ‥あ‥あっ、あっ!」
最初に言われたことも忘れてあたしはドアを思いっきり開けますが‥‥「あれ?」さっきまで話していたはずの嬀穣が、そこにいません。右にも左にも、ドアの裏にもいません。あれ?で、でも、あたし、確かに嬀穣と話してましたよね‥‥?
い、いや、今は姒臾が先です。‥‥でも、今あたしと話していたのが嬀穣じゃなければ一体何でしたっけ‥‥?だめだ、姒臾です、姒臾。でも嬀穣。どっちも気になります。とりあえず、念のため隣の部屋のドアを先に開けてしまいます。‥‥いないです。部屋には誰もいません。
少し悩みましたが、嬀穣のことはいったん忘れます。とりあえず姒臾の姿を見たいです。そう思ってフロントまで行ってみると‥‥フロントの隅にあるソファーの上に、姒臾が毛布をかぶって横になっていました。
まだ目を開けていたので、話しかけてみます。
「姒臾、外に出ていったと嬀穣様から聞いたけど‥‥?」
「‥‥は?俺は部屋の外で寝るって言ったぞ」
「ああ‥‥大丈夫、私の勘違いだよ、寒ければ私の部屋からも1つ毛布持っていこうか?」
「いらん」
「夜中は受付もいないし、風邪を引かれたら迷惑だから。後で持ってくるから必ず使って」
「いらん」
てっきり建物の外で寝ると勘違いしていました。フロントなら大丈夫‥‥なのかな。
姒臾はこれでいいとして、問題は嬀穣です。あたしはもう1度、隣の部屋のドアをノックします。
「もしもし、嬀穣様、いますか?」
「あっ、い、います‥‥」
とはいえ、さっき見た時にこの部屋は誰もいなかったんですよね。戻ったのかな?それとも、今ドア越しで話している嬀穣、もしかしたら偽物では‥‥?
幽霊‥‥?あたしはそう考えると、背筋が凍ってしまいます。い、いや、幽霊ではない‥‥ですよね?
「ドア、開けていいですか?」
「そ、それはっ、だ、ダメです‥‥!」
「どうしてですか?」
「あのっ‥」
「私は、さっき嬀穣様とドア越しで話してましたよね」
「はっ、はい」
「そのあとドアを開けたのに、嬀穣様の姿が見えなかったので怖いんです。今話している嬀穣様が本物なのか分からないと怖いので、顔だけでも見せてもらえませんか?」
「‥‥‥‥」
そのあと嬀穣の声が止まります。嬀穣は見たところ恥ずかしがりだし、今もうまく返事できずじどろもとろになっているんでしょう‥‥と思ってましたが、1分、2分、3分たってもいっこうに返事が来ません。
「あの‥‥嬀穣様?」
「はっ‥‥あっ、あ‥‥はい、入ってください」
「大丈夫‥?入るよ」
あたしはドアをゆっくり開けます‥が、誰もいません。見回します。ドアの裏も見ます。でも本当に誰もいません。「ひっ‥」と身を震わせたところへ、「ここです‥」と上から声がします。
慌てて見上げると‥嬀穣が、天井に張り付いていました。正確に言うと、手足を使って天井の突起を掴んでいました。
「な、何してるのですか、嬀穣様!?」
「あのっ‥あっ‥わ、私、憧れの
「今まで何回も話してましたよね!?」
「そ、それは分かってます、ただ、あの、伊摯様とお近づきになるのが恥ずかしいだけなんです‥‥」
「‥‥とにかく降りてこれますか?」
「だ、ダメです!今降りてしまったら、あの、伊摯様の吐息が私の顔にかかってしまい、気絶してしまうかもしれません!そうでなくても、伊摯様の髪の毛が1本落ちて私の服についただけでも絶頂してしまいますし、かわいいまつ毛が視界に入っただけで悶絶しますし、袖が触れ合うだけでも遺書を書かなければいけませんし、な、何より伊摯様が私のことを気にかけてくれたという罪は、
うん、何言ってるのこの人。あたしが好きってことだけはなんとなく分かりました。
「えーっと‥天井に張り付いてないで、とりあえず降りてきてもらえますか?」
「そそそそそそんな畏れ多いことはできません!私めが伊摯様と同じ土俵の上に立つなんて失礼千万、
「あのー‥‥普通にお話できませんか?」
「あっ、あっ、私めが伊摯様とお話するなんて畏れ多いです!私は人民の敵になってしまいます!」
「あー‥‥その話はもういいから‥‥」
面倒な人もいるんですね。あたしは諦めて部屋に戻ることにしました。
しかし自分の部屋に戻っても、なにか人の気配がします。あたしはなんとなく上を見上げます。「ひいいいいっ!?」と、あたしは悲鳴を上げます。それもそのはず、天井に嬀穣が張り付いていました。
「き、嬀穣様、降りてきてください!」
「ダメです!わ、私めが‥‥!」
「いいから降りてきてください。これは
あたしは思わずベッドを叩いてしまいます。嬀穣はかさこさと天井を伝って、壁を這って降りてきます。虫か何かかよ。こんなところで王族の権限を使うとは思わなかったし、まだ正式な后ですらないんですけど。
そのあとも嬀穣が嫌がるので、あたしはため息をつきつつも嬀穣を床で正座させて、自分はベッドの上に座りました。人を見下ろすようなことは好きではないんですけど。
「‥‥これで話せますか?」
「はい‥‥」
地面に正座した時の嬀穣は、しゅんと落ち込んでいました。
「いくつか聞きたいけどいいですか?」
「はいぃ‥‥」
「まず、そうやってあたしをストーキングしてたのですか?」
「ちちち、違います!高貴な伊摯様のお姿を少しでも長く目に焼き付けたくて、できる限りそばから伊摯様のご活躍を拝見させていただいていただけです!伊摯様は私が最も尊敬しているお方で‥‥!」
「はい、ストーキングしてたのですね。次、今年のはじめに
「ち、違います!伊摯様になにかあったら私めがお助けしなければいけないと思い、陰ながら見守っておりました!」
「はい、ストーキングしてたのですね。次、嬀穣様を風呂‥‥
「あ、あ、あの高貴な伊摯様のお部屋に私のような汚物がいられるはずなどありません!窓を開けて屋根から天井の中に忍び込み、伊摯様のご勇姿を天井から拝見させていただいておりました!」
「あの日以外も、いつもそうやって天井から覗いていたのですか?」
「拝見していたのは伊摯様のお姿だけです!お食事も!陛下との馴れ合いも!
うん、どうすればいいんですかこの人。あたしには分かりません。前世なら警察に相談して裁判所を通して直径何キロメートル以内に近づくなって命令を出すこともできたんですけどね。この世界でも子履に泣きついてストーカー規制法を作ってもらいましょうかね。その子履もあたしのことを土の中を潜って尾行してくるタイプの人なんですけどね。
とりあえずその日は寝ました。あたしがベッドで寝ている間、嬀穣はずっと天井に張り付きながら寝ていました。結局あたしと一緒の部屋で寝るんかよ。フロントに移動した姒臾が不憫だよ。てかよく落ちないな。
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