第247話 薛を目指す(2)
亳の外れのほとんど誰も立ち寄らないような深い森を抜けると、岩場に囲まれたところに小さい盆地のような草原が広がっていました。そこに竜が一頭いました。
あれが竜。
あたしは竜の目をじっと見ます。竜もすでにあたしたちに気づいています。風に揺られて、あるところまで近づいたところであたしは丁寧に拝をします。
「本日は‥」
『早く乗れ、人間の挨拶は鬱陶しくてたまらぬ』
あたしは上を見上げます。竜が首を振って、しっぽで何度か地面を叩きます。あたしは「はい」と返事します。
「
「隶は体が小さいから、足手まといになるっす」
「そんなことないよ、王様にお願いしに行くだけでしょ?」
「いや、隶には先のことが少し分かるっす。
「ええっ、戦争?え、どういうこと?今初めて聞いたんだけど」
「時間がないっす。説明は薛の人にしてもらうっす。センパイはただ、陛下をここに連れ戻すことを考えればいいっす。陛下の体は相当に傷め付けられているから、ここへ戻ってきたら
と、及隶は竜に合図を送ります。竜は「行くぞ」と言って、体を浮き上がらせ‥‥それから、また地面に降ります。え、行かないの?と思っていたところで、竜が首を曲げて後ろをにらみます。
「お前は誰だ?」
あたしも姒臾も及隶も、後ろに視線を集めます。
「‥
嬀穣が、しっぽの先を抱いてしかみついていました。すでに泣きそうな顔をしています。
「あ‥あの、あ、あのっ‥‥」
「一緒に来たいのか?」
姒臾が怒鳴りつけますが、嬀穣は「はわわ‥」と慌てるだけで返事しません。
「でもしっぽに捕まってるってことはそういうことだよね?来なよ」
残された時間は7日、しかもいったん薛と往復しなければいけません。時間を過ぎてしまうと、取り返しのつかないことになります。あたしは絶対に、一生後悔します。正直言って、少し焦っています。それに嬀穣は悪い人には見えませんし、説得して竜から下ろすよりはいいでしょう。
「あ‥あっ」
「早く来て!ここに乗って!」
「は、は、はい!」
嬀穣がよじのぼって、細長い竜の体を抱きながら這ってきます。と、竜が「行くぞ、落ちるなよ」と号令をかけて、体を浮き上がらせます。あたしも姒臾も、竜の体にしかみつきます。
わあ、高い。竜は東の方向に曲がって、薛めがけて空を泳ぎ始めます。これが空を飛ぶという気分でしょうか、風がとても心地よいです。
◆ ◆ ◆
そんな竜を下から見上げて、及隶はため息をつきました。
「
「呼んだか?」
と、及隶の後ろに索冥が現れます。
「2つ、予定外が発生した。1つは
「分かった」
索冥がそう言って消えると、及隶はもう一度、ふうっと息を大きく吐きます。
「‥‥ヤツの差し金でなければいいのだが」
◆ ◆ ◆
竜が飛んでいる間に嬀穣ものぼりきったようで、今、嬀穣は姒臾の後ろにおさまっています。姒臾の「邪魔すんなよ」という言葉に、嬀穣は「ひええ、すいませんすいません」と恐縮していました。この一大事に、
空の上は寒いと思っていましたが、不思議と暖かいです。竜の体から熱が伝わってくるというのもありますが、風も心地よいです。竜の魔法‥‥なのかな。
と思っていると、ふいに前から声が聞こえます。
『おい』
「は、はい!?」
『しっ、他に聞こえないようにしてくれ。お前にだけ聞こえるように話しかけている』
「はい」
声の主は、竜のようでした。
『俺の親父は元気だったか?』
「えっ?お会いしましたっけ?」
『何年か前に、斟鄩を竜が襲ったことがあるだろう。そいつのうちの一頭が俺の親父だ』
「え‥ええっ!?」
心臓が止まるかと思います。えっと、あたしというか子履がその竜を殺したんですけど。今あたしがいるの空高い場所です。落ちたら死にます。今この状況で竜は何を考えてこの話題を振ってきたのかと思います。あたしは竜により一層強くぎゅっと抱きつきました。
しかし竜の返事は、あたしの予想の真逆を行くものでした。
『元気だったか?』
「‥‥元気でした。強かったです」
『それはよかった。親父は俺の誇りだ』
竜はそれ以上言いませんでした。しばらくして、やっぱり我慢できなくなったのであたしが小声で聞いてみます。
「‥怒ってないんですか?」
『お前の想い人が親父を殺したことか?』
うわ、やっぱ知ってますよこの竜。あたしはさらに強く竜の体に抱きつきますが、竜は首を振ります。
『俺は余計なことは考えてないぞ』
「ええっ?」
『むしろお前と想い人には感謝している』
「えっ?」
『この世はすでに
「‥‥!?」
『親父どもが、攻撃すべき建物を分かっているのにわざともたもたしていたのも、想い人に倒されるためだった。理想の世界を取り戻すために、親父は命を捨てたのだ。それによって生まれた悪女・
あたしは返事できませんでした。返事したところで、変なことを言ったらここから落とされる予感しかしません。こんな高いところで難しい話をしないでくださいよ、本当に。
でも‥この竜、さらっと衝撃的なことを言っています。妺喜が夏を滅ぼす‥?
広萌真人が、竜たちに斟鄩を襲わせておいてわざと負けるよう指示していた?わざわざ竜を死なせるようなことをさせた?なぜそんな襲撃事件に、妺喜の親を竜に乗せて突っ込ませた?妺喜の親もろとも死んで構わないと広萌真人は考えていた?
ときには
「‥‥‥‥広萌真人が関わっているんですよね?」
『‥‥喋りすぎた。すまん、忘れてくれ』
竜はそのあとの話をしませんでした。あたしは聞きたいことが山ほどありましたが、なによりこの竜の親を子履が殺してしまった後の話です。聞きづらいと思っているうちに、湖の手前あたりで夕方になったので地面に降りました。この湖の向こうに、節の国があります。
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