第241話 物産展で炊き出しをしました(2)

料理人たちが急いで饂飩うんどんをこねて伸ばしているのが珍しかったらしく、親子連れがいくらかカウンター周りに寄ってきました。「何を作っているんだ?」「あれなに?」という声が聞こえてきます。そうか、ここしょうにも斟鄩しんしんから饂飩の話は伝わってきているかもしれませんが、実物を平民に見せるのはこれが初めてでした。これまでにも厨房で作ったことはありましたが、すべて貴族向けに供されるもので、街に出たことはありません。それだけでなく、前世でも饂飩を作っているところは時として見世物になっていることも思い出しました。

あ、先に茹でていた饂飩ができあがりました。早速、饂飩混じりの雑炊を、平民向けの安っぽいおわんに盛り付けます。カウンターから女の子と男の子が身を乗り出していたので、あたしはお箸も添えておわんを2つ渡します。


「食べますか?」

「わあい、いただきます!」


すぐに大人の女性‥おそらく保護者でしょう‥が寄ってきて「いくらですか?」と声をかけてきます。「いいえ、炊き出しですからお金はいりません」とあたしが言うと、大人はすぐにお礼の事葉を言って、子どもたちの頭を押し下げます。


あっ、椅子用意してなかった。と思い出して呼び止めようとしていたのですが、子どもたちは普通に食べ歩きしていました。いいのか?でも本当においしそうに食べますね。すでにこの周辺には、何人も集まっています。先程普通の雑炊を出したときとは、明らかに空気が違います。


「饂飩入りの雑炊の炊き出しです、列に並んでください」


すぐに兵士がやってきて、人々を列に並ばせます。1人1人に雑炊を出します。出しながら、あたしはしまったと思いました。もともとみすぼらしい人のための炊き出しでしたが、今並んでいるのは半分くらいが普通の人です。はくで初めて出す料理であるうえに、斟鄩で人気があったという折り紙付きです。


料理長、ここの鍋が!」

「あ、はい、交代お願いします!」


後ろから呼び出しがかかったので、そのあとは必死で饂飩や雑炊を煮込んでいました。作りながら広場の様子をちらちら見ていましたが、案の定役人が走ってきて同じことを報告してきました。


伊摯いし様、あちらから浮浪者や乞食はほとんどいなくなりました」

「でしょうね」

「本来の客もいなくなりました」

「でしょうね」


また後でブースの人たちから叱られるでしょうね。あたしは苦笑いするしかありませんでした。


◆ ◆ ◆


案の定あちこちから叱られたみたいで、数人の役人がしょんぼり肩を落として、あたしのところに集まってきました。みすぼらしい人たちを引きはがすついでに支援もしようと思っていいアイデアが浮かんだと思いましたが、午後からはもうあたしたちの独擅場どくせんじょうになってしまっていたようです。次からはやり方を考えなければいけませんね。


ふと、向こうの方で歩誾ほぎんと店主が後片付けをしているのが見えました。あたしはそちらに走っていきます。


「あの‥お疲れ様です」

「お疲れさまです。今日はこのような機会を下さり、本当になんて言ったら」


今日はあたしが粗相をしたのに、歩誾は何事もなかったかのようににっこりと笑って、頭を下げました。


「今日は満足な運営ができず、その、」

「気になさらないでください。店主も喜んでおりました。みせはあのような場所にありますから、客が来ないばかりか、まず知ってもらう機会がありませんでした。市井しせいの人に私達の名前と場所を知ってもらえたと前向きに捉えています」


その返事で、あたしはふうっと一息つきました。なんだか話していて安心するのです。


「それでは片付けに戻りますね」

「あっ‥その、次にこういうイベントがあったときに、また出てもらえますか?」

「もちろんです!」


力強くこう言われました。あたしも頑張らないといけません。


空はもう夕方です。客もほとんど去っています。料理人たちを先に屋敷に帰したあと挨拶、片付けを終わらせる頃にはもう夜になっていました。


懸命に働いたあとの温泉は格別です。あ、ごめんなさい、温泉じゃなくて風呂だ。どうも前世の記憶があると、この広さや岩という雰囲気には慣れないです。

こんなところに王族と知人しか入れないのももったいないと思いつつ、あたしは岩にもたれて、ぼうっと向こうの方で及隶きゅうたいが体を洗っているのを眺めています。


たい

「どうしたっすか?」

子亘しせん様、やっぱり簡素な夕食に不満げだったね」

「センパイはそれ以上のことをしたっすよ」


背中を水で流して風呂椅子から立ち上がると、及隶は続けました。


「貧民だろうか別け隔てなく接するセンパイの姿は、役人たちの目に焼き付いてるっすよ」

「そうかな」

「先王は民のことを思う政治をしていたっすけど、今の陛下もセンパイと一緒ならきっとい王になるって誰かが言ってたっすよ」

「そっか」


正直、あたしは身分の差など気にならないところで育っていたので、前世の感覚で行動するのは怖さも感じています。及隶に讒言ざんげんが付いたり、簡尤かんゆうから人前で料理するなと言われたり。そういうのを思い出すたびに複雑な気持ちになります。でも今は素直に喜びましょう。子履しりもあたしと同じ前世の記憶や日本の価値観があるので、あたしがこう言われるようなら子履にとってもきっといいことです。


そういえば子履、今頃陽城ようじょうに着いているはずです。夏后履癸かこうりきとの対面はまだでしょうか、もう済ましているのでしょうか。早く帰ってきて、1ヶ月遅い新年の宴会を早くやりたいです。


様、今頃どうしているのかな‥‥」


◆ ◆ ◆


時は物産展の前日の昼にさかのぼります。子履の乗った馬車は、ようやく陽城ようじょうに着きました。この世界ではまだ立派な城という概念はなく、都市を簡単な塀と空堀が囲んでいる程度です。空堀に渡された橋をわたって塀の中に入った子履は、閉口しました。道の至る所に、死体や乞食が転がっていました。

少し進んだところで、馬車が止まります。2人のぼろぼろの服を着た乞食が、腕をぶらぶらさせながら、よろけるように馬車の前に立ちはだかったのです。


「く‥れ‥‥」


かすれかすれの声でした。「邪魔だ」と御者が言いますが、子履は馬車のドアを開けます。


「これを渡してください」

「それは‥陛下の今日の昼食では?」

「いいから渡してください」


御者にその食べ物を渡します。子履は馬車の中から御者を見守っていました。


この世界では、弁当という習慣はありません。子履はこの陽城に着くまでに見つけた肆に頼み込んで、おにぎりを作ってもらっていました。もちろんおにぎりなどこの世界には存在しないので、ただ米を適当に丸めただけのもので、形など整っていません。同席した御者は、肆の人が子履に差し出したそれを不思議そうに眺めていましたが、子履の『馬車の中で食べますから、急ぎましょう』という言葉に押されていました。

しかし子履はそれを最初から食べるつもりはありませんでした。子履はこの陽城に立ち寄る前に、すでに老丘ろうきゅうやいくつかの都市の様子を知っています。どれもすべて、この陽城と同じように、見るに堪えない光景が広がっていました。商の伯である子履はそれぞれの都市のしゅ(※のちの太守たいしゅ)からもてなしを受けましたが、食事は喉を通りませんでした。


子履も、亡命した家臣の証言を報告されていましたから、夏の惨状については知っていたつもりでした。しかし改めてのあたりにすると、かつて学園に通っていた頃の斟鄩しんしんよりも状況が悪くなっているようにしか見えません。あの時の斟鄩は大通りからそれた時に死体に注意すれば良い程度でしたが、今の陽城は大通りすら歩くのがはばかれます。死体の片付けが追いついていないのは明らかでした。乞食でない街人や兵士がわずかに通っている程度でした。

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