第240話 物産展で炊き出しをしました(1)

その日の朝も、いつも通りでした。鶏鳴けいめいが聞こえて、あたしは目を覚まし、ベッドから起き上がります。いつもならここから厨房へ行って料理人と挨拶して簡単に打ち合わせしてから今日の献立を仕立てるところですが、今日は違います。

着替えを終えると、及隶きゅうたいがおにぎりを運んできます。おにぎりはあたしの希望です。行事がある日の朝って、しっかりした食事ではなく携帯食や保存食のほうが雰囲気出るじゃないですか。えっ、あたしだけ?


「いよいよっすね」

「うん」


今日は物産展なのです。おととしに発案して、昨年から準備を重ねてきました。この日のために。子履しりと一緒に見て回ろうと思っていましたが、肝心の子履は陽城ようじょうに行ってしまって不在です。ですが物産展を開いたあたしのもう1つの目的は健在です。あのみせの知名度を上げることです。

しょうの各地から様々な料理店が集まってきます。その中でどれだけあの肆の存在感を高められるかです。もちろん、もし肆にもともと実力がなかったというのならそれまでになってしまいますが、それでも少しはファンがつくはずです。はくや遠方から集まってくるお金持ちの常連客ができるだけでも、経営はかなりましになるはずです。あたしひいきの肆にはそれだけのポテンシャルがあると信じています。

物産展にあたって、簡尤かんゆうともよく相談しました。特定の肆の人気を爆発的に上げることをいったん諦めて、とりあえずどこの肆も生活に困らないくらいに常連客を抱えよう、お客さんを仲良く分け合おう‥‥という建前で、商のあちこちから肆を集めてきました。


時間になりました。亳の中心部にある大きい広場には、もういくつかの肆が出揃っているはずです。屋根はありません。屋外です。今日の天候は晴れ時々曇りですが、雨が降らないだけ天に感謝します。さあ行きましょう、決戦の場へ。


‥‥。

‥‥うん。

‥‥‥‥うん。

あたしと一緒に来た簡尤も「それはそうですね‥」と肩を落としていました。

あたしもどうすればいいかわかりません。


あちこちの肆に、物乞いとか、普段お金を持っていなさそうなみすぼらしい人たちが集まっていました。ぼろぼろの服を着た人たちが長い行列を作っていました。

どこかの肆の人が、あたしの姿を見つけるとわざわざ受付を中断してブースから出てきて、怒鳴り込んできました。


「これはどういうことなんだ、これでは宣伝しても金にならないじゃないか、ああ?」


あたしはあちこちの店主にぺこぺこ頭を下げて回りました。何人かに頭を下げたところで簡尤が「あなたのような身分の高い人が平民に簡単に頭を下げると後で面倒なことになりますから、小役人に代わりに謝らせてあなたは下がるべきです」と言ってきたので、その通りにしました。どうしてこうなった。

イベント会場を眺めて呆然と立ち尽くしているあたしの横で、簡尤はため息をつきました。


「参加者が気軽に食べ比べできるようにと、食費の半額を国費で補助したのが仇となったようですね」

「うう‥‥」


どんどんブースに入ってくる肆も増えますが、この様子を見て準備もせず帰っていくところもいくつかあります。イベントとしては失敗です。せめて今ある肆だけでも、貧乏な人を引き剥がしたいところです。でも、目の前にいる人達は普段からろくな食事もできず困っているのですから、放っておくこともできません。あたしは身分の差をなくしたいと子履に言ってしまった手前、やりたくないです。この世界の人ならそんなこと考えなさそうですけど。


「みすぼらしい身なりをしている人を追い出しましょうか。せめて今ある肆だけでも客を‥」

「待ってください、簡尤様。確か穀倉に予備として余分な食料が残ってましたね」

「ああ、残っていますが‥」

「炊き出しをします。今、ここで」


あたしはじっと簡尤を見つめます。簡尤はしばらくしてから、くすりと笑います。


「‥‥そうですね。前回の施しの残りも確かありましたから、それも併せて使いましょう」

「はい!」


役人や兵士に言いつけて、急いで準備します。ついでに後宮からも料理人を何人か呼びました。

身分の高いあたしが平民の仕事をしているのを他人に簡単に見せるなと以前簡尤から言われましたが、まあ、宮殿の料理人たちを統率する人が必要ですし、それに会場もこんな様子だと他の貴族は寄ってこないでしょう。問題ないはずです。


◆ ◆ ◆


会場の一部を借ります。ていうか主催はあたしですから、何人かの役人に連絡するだけです。棄権してしまった肆もありましたので、そのぶん余分にスペースをとれます。


「まったく、お前は人騒がせだな」


そう姒臾じきがぼやいていたので、あたしは「こら!」と注意します。すぐに周りの料理人たちがびっくりしてこっちに視線を集めますが、あたしは白い布を突き出します。


「しゃべるならマスクしてください」


姒臾は舌打ちをしてそれを受け取り、口に巻きます。あれ、そういえばこの格好で人前で料理するのって初めてでしたっけ。斟鄩しんしんの肆で一度、関係者以外にこの姿を見せたことはありますが、亳では初めてですね。白い頭巾で髪の毛を隠し、白いマスクで口を塞ぎ、普段着の上に白いエプロンを付けます。これがあたしの思う常識なのですが、周りの役人や客たちは奇異の目でこちらを見ています。‥‥まあ、仕方ないですよね。どうせ不気味だとか思っているのでしょう。こういうのには慣れています。


姒臾の仕事は火起こしです。姒臾のの魔法で強火を即座に起こすことができるので、正月前など特に忙しい時期は重宝させてもらっています。もちろん普段の料理人たちが火を起こせなくなるのはまずいので、忙しくない日は姒臾を使用禁止にしていますけど。

大きな鍋に米と水と塩、それから緑野菜。ことこと茹でて、お粥を作ります。小分けして、大きなカウンターの上に並べます。


「雑炊の炊き出しです!無料で食べられますよ!」


そう叫んでみますが、反応はいまいちです。来る人はきますが、半分以上というかかなりの割合はまだブースの方で行列を作っています。ああ、うーん、考えてみれば、雑炊だけなら毎日食べていますよね。

今日の物産展では、商のあちこちから様々な料理が集まります。貧民たちは、わざわざそんな遠くまで行けるようなお金はありません。貧民にもいろいろあって、そのお金ずら持っていない人が今ここに集まっているのですが、そうでない人が多すぎるのです。夕食を食べるのと同じお金で遠方の珍しいものが食べられるのです。そりゃいつもの雑炊ではなく、この絶好の機会にいろいろ食べたくなる人も出てくるでしょう。


珍しいものですね。珍しいもの。そうだ。

あたしは料理人たちの作業を一旦中断させて言います。


饂飩うんどんを作ります」

「仕込みに時間がかかるだろう」

「さいわい、今日の夕食のために作り置きしていた饂飩があったはずです。最初はそれをあるだけ持って行って、続きの分はここで作りましょう。ここの人たちの味覚に合わせるため、味強めの焼き魚をちぎったものも添えてあるといいですね」

「下準備したものを全部持っていくと、夕食は即席で作れる簡素なものばかりになるだろ。そんなことをして、家主の許可は‥‥‥‥ああ、いいや」


子履がいなくなった今は子亘しせん子会しかいのほうが身分は上でしょうが、実質的な家主はあたしのようなものです。国で一番偉いのは王様ではなくその親で、二番目は王様自身、三番目はきさきといいます(※状況や制度によって大きく異なる。なお実際の中国でも外戚政治がいせきせいじは問題になっていたようである)。それに、仮に子履が今夜帰ってきたとしても、あたしのやったことなら確実に許してくれるでしょう。それを思い出したのか、姒臾も怒りを通り越して呆れている様子でした。

姒臾は言葉はきついですが、子履と一緒にいた頃と比べるとおとなしくなっています。仕事にも文句を言いつつきちんと付き合ってくれていますし、話してみればわりと理性があることに気付かされます。あたしがいないときも、他の料理人の言うことを素直に聞いているようです。身分の差は気にしているようでしたが、仕事を雑にやるようなことはありません。根はまじめなのです。

さっきの姒臾の意見ももっともなものです。あたしは一生姒臾を許すつもりはありませんでしたが、正直少しだけなら許せます‥‥でもあたしはそれを態度には出しません。


すぐ役人に言って、作り置きしていた饂飩や、あちこちの市場で買ってきてもらった原材料を運んできてもらいます。何頭かの馬が来て、一気に重そうな袋が積まれます。それを開封して、饂飩を次々と鍋にどぼんと入れてしまいます。

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