第239話 新しい屋敷の風呂に入りました

新しい屋敷の浴場は、王にふさわしく、1人や2人で使うにはあまりに広すぎるものでした。広いのはいいんだけど、逆に寂しくなりそうな気もします。

子履しりは三年の喪を終えてすぐに陽城ようじょうへ呼び出されたため、風呂には入っていないはずです。子履より先に入ってしまうのは悪いと思いつつ、あたしは及隶きゅうたいと一緒に、嬀穣きじょうを更衣室まで連れてきました。


「あの、い、一体何をするのですか‥‥?」

「外で寝てしまって、体も冷えているでしょう。ここで温めたほうがいいですよ」


そう言ってあたしは自分の漢服の帯を解きます。すぐに横から悲鳴が聞こえてきたので振り返ってみると‥‥嬀穣が鼻血をどばどば流して倒れていました。


「大丈夫ですか!?」

「‥‥なぜ」

「えっ?」

「な、なぜ、服を脱ぐのですか!?」

「えー、そう言われても、服を脱がないとお風呂に入れませんから」

「お風呂?お風呂とは何ですか?」

「ああ‥‥」


子亘しせん子会しかいに子履がお風呂の説明をしていた時、少し苦労していたことを思い出しました。と、及隶が横から割って入ってきます。


沐浴もくよくのことっすよ」

「沐浴‥沐浴ですか!?ええっ!?」


嬀穣はまた、ささささささささささささっと後ろに下がってどんと壁にぶつかります。


「えっ、沐浴って、つまり服を脱ぐんですよね!?」

「はい、服を脱ぎますが」

「服を脱いだら、あ、あ、あ、あ、あ、あの、肌が見えてしまいます」

「はい、見えますが」

「そ、そ、そ、そ、そ、そ、そ、そ、その、脱ぐのは上だけですか?」

「いえ、下も全部脱ぎます」

「無理です!!」


嬀穣はドアへ走りますが‥なぜかそこに及隶がいて、脚が及隶に引っかかってすてーんと転んでしまいます。


「大丈夫ですか?」

「い、い、い、い、い、い、いえ、大丈夫じゃないです」


あたしが嬀穣に手を差し出しても、「だだだ、大丈夫です、自分で立てます!」と、よろめくように立ち上がります。


◆ ◆ ◆


着替え終わったあと、嬀穣は大きなタオルで全身を包みます。そんなに恥ずかしいのかな、と、あたしはなるべく嬀穣の方を見ないようにして、浴場に案内します。


「え‥‥?」


それを見て、嬀穣はぽかーんとしていました。


「どうしましたか?」


あたしが横目で尋ねると、嬀穣は岩で囲まれた大きな湯船を指さします。


「この部屋、部屋いっぱいに湯気があって壁とか全部濡れてしまうように見えるのですが、ここは何のための部屋なのですか?」

「浴場ですよ」


とあたしは答えてみるのですが、嬀穣はどこか釈然としない様子で、浴室を見回します。


「桶は‥どこにありますか?」

「桶ですか?それならここにありますよ」


と、あたしは体を洗う場所にある小さい桶を取ってきて、渡します。しかし嬀穣は顔を真っ青にします。


「そ、その中に入るんですか!?」

「えっ?」


さっきから嬀穣が何を言っているか分かりません。嬀穣や及隶の言う沐浴ってどんなものなんでしょうか。子履に聞いたほうが早いと思うのですが、あいにく子履はいません。ちょっと困りましたね。


「とにかく入りましょう」

「えっ!?」


嬀穣はあたしから受け取った空っぽの桶を見て困惑しています。え、入ろうって言っているのに何でそっちを見るんですか。


「ほら、あそこにお湯がありますから」

「ええっ、岩に囲まれただけの‥‥池?池に入るのですか?」

「ああもう池でいいです、池に入りましょう」


と、あたしは嬀穣の手首を引きます。すると嬀穣は「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!」と鼻血を出して滑ってしまいます。危ない。

及隶にも助けてもらって、なんとか頭を床にぶつけずすみましたが、これ大丈夫なのでしょうか。前の屋敷のような狭い浴室‥‥前世の一般家庭程度の広さですけど‥‥のほうが、転倒を防ぐという意味でまだよかったかもしれません。


「何の騒ぎですか?」


と、子亘しせん‥‥もちろん服は着ています‥‥が、浴室の引き戸を開けて顔をのぞかせてきました。


「あっ、子亘様、知人を風呂に入れようとしたのですが、鼻血を出して倒れたところです」

「その子は‥嬀穣ですね。この前の宴会でお会いしましたね。とりあえず部屋に戻して寝かせたらどうですか?」

「はい、そうですね」

「それから、さっきの話も少し耳に入っていたのですが、湯気の出ている場所自体が特別なのですよ」

「えっ、そうなんですか?」


そういえばこの世界にお風呂はなくて、子履や子主癸ししゅきが発明したみたいな扱いになっていましたね。


「普通は部屋の中に大きな桶を置いてお湯を入れて入るのですから、ここみたいに部屋いっぱいに湯気が充満しているのは特殊なのですよ。使用人を呼んで運ばせましょう。それから、私も沐浴もくよくしたいです。三年の喪の間はずっと入れませんでしたから」

「はい、喜んで」


そういうことだったのですね。‥‥それを差し引いても、嬀穣はやや慌て過ぎな気がします。桶は桶でも、あれだけ小さい桶に体は入らないでしょうに。


なんだかんだで、風呂にはあたし、及隶、少し距離をおいて子亘が入っています。うう、嬀穣と話したかったんだけどな。


「使用人から聞きましたよ。嬀穣、義姉あね上の部屋の裏で寝ていたんでしょう」

「はい」

「それより前に嬀穣にお会いしたことはありますか?」

「3年前、から亡命してきた家臣を新しい屋敷に案内していた時に会いました」

「その前は?」

「先王の葬式の時にお話しました。それが最初です」

「そう」


子亘はため息をつきました。うーん‥‥?なんだかあたしの知らない話を知っていそうな気がします。


「嬀穣様について何かご存知ですか?」

「とりあえず、義姉上は裸をあの人に見せたり、体を触ったりしないほうがいいです。それ以上のことは本人に聞いたほうがいいですよ。もう逃げていると思いますけど」

「へ‥‥?」


◆ ◆ ◆


部屋に戻ってみると、あたしのベッドに寝かせていたはずの嬀穣は姿も影もありませんでした。代わりに、窓のうち1つの鍵がかかっていませんでした。

窓から逃げるって、普通はスパイか泥棒がやることなんだけどな。あたしは窓を開けて、真っ暗になった外をましましと見下ろします。案の定、木や草以外は何も見当たりません。ここは2階ですから、楽に飛び降りられるはずです。

嬀穣、一体何か隠しているのでしょうか。あたしは窓を閉めて、鍵を締めます。今日のは一体何だったんでしょうと思いながら、料理人たちと一緒に作った料理を食べて寝ました。

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