第234話 身分制をなくしたいです

から人夫を求める勅使が来ましたが、子履しりは適当にあしらっていました。勅使が従者と話す場面にあたしは偶然出くわしましたが、「来年はしょうの朝貢が倍になるだろう」と言っていました。まあ、そりゃそうですよね。子履の身に何か危険でもないだけ、またいいと思います。


子履が三年の喪に服してから2度目の正月が迫っています。年の暮れ、あたしも特別に許可をもらって朝廷を休み、厨房を手伝っていました。1度目の正月はもう少し静かだったはずですが、2度目は騒ぐのを我慢できない貴族も多いらしく、質素ではありますがささやかな宴会をすることになっています。そのあいだずっと子履が小屋で1人になっているのはさすがにかわいそうなので、後でこっそり料理を持っていこうと思っています。

この世界の三年の喪は、厳密に3年間とは決まっておらず、親が死んでから3年後の正月に終わります。つまり、これが三年の喪として迎える最後の正月なのです。来年の正月には、子履も小屋から出てきて、あの新しい部屋や図書室を見て喜んだり、ベッドであたしと話したり、2人一緒に朝廷に行ったり、はくを見回って散歩したりしているかもしれません。何をしようかなと、いやでも想像がふくらんでしまうものです。


さて屋敷にやってきたのは‥‥嬀允きいんでした。あれ、嬀允って誰でしたっけ‥‥ああ、嬀穣きじょうの父でしたね。たまにしか会っていませんでしたが、自分の国の家臣の顔は覚えていかなければいけません。


「嬀允さま、お久しぶりです」


あたしが料理のおぼんを、テーブルの椅子に座っている嬀允の目の前に置きながらこう言うと、嬀允は目を丸くしました。なぜか周りにいる貴族たちも騒がしいです。


「あ‥‥あなたのようなものが、なぜ給仕をやっているのですか!?」


あたしは少しだけ固まりました。ああ‥‥ああ、そういえばこれは平民のやる仕事でした。あたし、毎日はないですけど自分が料理している日は当たり前のようにやっていたので、気づくのに時間がかかりました。


「趣味です」

「趣味って‥‥仮にもあなたはきさきになる身です。そのようなお方が身分を落とすようなことをされては‥‥」

「ですから好きでやっています。先王からもご許可いただいてますし、貴族としての身分を落としたわけでもないです」

「しかし‥‥」


いったん立ち止まって、周りを見てみます。家臣たちがみな、あたしに注目しています。ああ、これだめなやつですね。あたしは「着替えてきますね」と言って、宴会室を出ました。

もうこれからは、子履や仲のいい人以外に料理を振る舞うのは難しいのかもしれません。


◆ ◆ ◆


貴族向けのきれいな服に着替えて、あたしは及隶きゅうたいを従えて宴会室に戻りました。適当なテーブルに座ると、いきなり頭を肘で小突かれます。ああ‥‥見なくても分かりますよ、隣りに座っているのは法芘ほうひでした。


「あんな登場の仕方をするなんて、度肝を抜かれたぞ」

「あはは‥‥」

「お前は今日の主役だからな、目立っているぞ」

「え、今日の主役って、あたしなんですか?」


あたしがこう言うとまた周囲が騒がしくなってきます。法芘はくいっと顔を近づけて、小声で教えてきます。


「おい、こいつらこの屋敷に集まってんだから、屋敷の人が主役になるのは当たり前だろう」

「‥‥‥‥え?あっ、料理に追われていて、そういうのは全く考えてなくて」

「次からは気をつけろよ?お前の威信にかかわる」


そうして法芘は身を引きます。


「威信なんて‥あたしに威信は‥」

「ちょっと失礼、席を代わってもらえますか」


急に法芘とは反対側の隣の人に、簡尤かんゆうが声をかけていました。しばらくたって代わってその席に座った簡尤は、あたしに小声で指摘します。


「あまり無粋な振る舞いをしていると、下のものからなめられますぞ」

「身分の差とか、あたしは気にしていないのですが‥職務の違いはあれと、みな平等でいいじゃないですか」

「あなたは純粋すぎます。この世界では、生まれた家柄で職務が決まり、扱いに差がつきます。やりたいことを我慢してでも、人民はせつ(※商の始祖/子履の先祖)の徳にふれ、国のために尽くすのです。その国の上に立つものがそのような様子では、人心は離れていきます。いいですか、みなは生まれたときからもう平等ではないのです。中には、隙あらば上の職を盗もうとする者も多いのです。そもそも、あなたは婚約しているとはいえ、まだ后でも外戚でも何でもございません。みな、あなたが将来権力を持つ可能性が高いから従っているだけで、その本心を量ることはできません。もし平等でありたいとお考えのようなら、もう少し慎重に動き回るべきです」


と言われましたが、あたしにとって身分の差はいまいちイメージがわきません。師事関係にあれば先生を敬うのは自然な流れですし、年齢の差で先輩後輩として礼儀正しく接するのは前世でも経験しました。でも生まれつきの差で上下関係ができるのは前世では差別として嫌われています。インドのカースト制も、西洋から見ると異端なものです。変な話かもしれませんが、あたしには想像ができないのです。

前世の日本では、王様という存在と無縁でした。なのでこの世界で夏后履癸かこうりき子主癸ししゅきと出会ったときは緊張したものです。しかし、自分がその王様に近い立場になった時の光景が、イメージと全くずれていたのです。現にあたしは今でも使用人に頭を下げることがありますし、別け隔てなく平等に話しますし。


「ほら、今はここの主役ですから、もっと堂々としてください。考えるのは後からでもできるでしょう」


簡尤に背中を叩かれ、あたしは「は、はい」と声を出します。そのあとの宴会は楽しかったと言えば楽しかったのですが、なんだか釈然としません。


◆ ◆ ◆


宴会は終わりました。でも、もやもやは残ります。前にも、子主癸からの許可が出るまで料理禁止になったことがありました。あたしが学園の文化祭でチャーハンを作っていたときも、法芘が火を起こしてくれる貴族の確保に苦労したという話を聞きました。それだけ料理は、身分の差による偏見があるのでしょうか。好きなことが自由にできないのは、身分の低い人にとってもそうでしょうし、身分の高い人にとってもつらいことがあります。


「身分制度を今すぐ廃止すべきです」


あたしはいつもの小屋の中で、子履に言いました。


「あたしは后になるから料理といった平民の仕事をするなと言われましたが納得できないです。この世界では生まれた家柄で仕事やできることが決まってしまうと聞きました。生まれた家で仕事が決まるのはおかしいです。履様が夏商革命をなくしたいというのなら、あたしは身分制をなくしたいです。みんな平等であるべきです。のびのび料理できるようになりたいです」


言うだけ言ってみました。子履は驚いた様子もなく、力なくうなずいていました。


「気持ちはわかりますが、無理だと思います」

「えっ、なぜですか?」

「それは、古代中国‥‥この世界が儒教社会だからです。儒教では、親や目上の人を尊敬しなければいけないことになっています。儒教は、身分制ととても相性がいいのです。それが深く根ざしていると、取り除くことは容易ではありません」

「でも、その考えは間違ってますよ。履様、戦争は間違っているって考えてましたよね?なら、これも‥‥」


と食い下がってみると、子履はため息をつきます。


「この世界を、前世の価値観で語るのは危険です。例えば戦争がいけないという考えは前世の中国でも実は共通していて、が武器の生産をやめさせたという話が残っています。しかし身分制は別です。この世界では、上下関係を美学だと思っている人も多くいますし、上のものが相応の振る舞いをしないと部下に対して無礼であるという考えも根強く、平等の文字はどこにもありません。そもそも夏も商も奴隷や生贄を前提にした国家と言われていますよ。史書に出てくる初の農民反乱をおこしたのは陳勝ちんしょう呉広ごこう(※しん末の人)でしたが、彼ですら王を名乗り、身分の差を作りました(※陳勝がかんよりいんおくりなされている)。三皇五帝の時代から数百年以上も続いており、ほとんどの人が正しいと思う考え方を、たった1つの国が即座に変えようとするほうが傲慢です。現実的には周辺から仁徳のない乱れた国とみなされ、攻め滅ぼされるのが落ちです。現世げんせいでの改善を諦め、数百年以上かけて根気強く活動できるような土壌を作りたいのなら、私も協力します」


子履の久々の長話を聞きながら、あたしは横にあったこもの束に頭を預けて、ため息をつきます。

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