第233話 手紙を燃やしてもらいました

「この世界には学問する人も多く、故事は共通の言語のようなものです。取り入れましょう」

「言いたいことはしっかり書かなければいけませんね」

「それから‥‥」


手紙を書きながら子履しりは何度もそうぼやいていましたが‥‥いきなりあたしを向きます。


「どうなさいましたか?」

「この手紙を送るついでに、妺喜ばっきに会ってくれませんか」

「それも手紙に書くつもりですか?」

「いいえ。いったん摯を夏に送り出して、妺喜と直接会ってお願いしてもらいます。妺喜を通して、夏王さまの暴虐を止めましょう。夏王さまも、妺喜の言う事なら聞くかもしれません。いっそ妺喜を通して善政をしいてもらうのです。こうすることで万民は安らかに過ごすことができるようになります」

「そんなにうまくいくんでしょうか‥‥?」

「危険な任務ですが、亡命者の話を聞く限り、朝廷に参加しないように、夏王さまの機嫌を損ねないようにすればうまくいくはずです」


あたしは考えました。いやいやいやいや、あれだけの話を聞いて、あたしが生き残れる自信はないです。下手したら妺喜の身も危ないです。でも、どうせこの手紙は後であたしが奪って燃やすのです。夏后履癸かこうりきに届くことはないでしょう。安請け合いしてしまいましょう。


「はい、大丈夫ですよ」

「ではそのとおりに手紙に書きましょう」


そうしてできあがった手紙を読みましたが‥‥夏后履癸を正面から批判するような内容でした。率直な感想ですが、傲慢にすら見えました。いや、故事を引き合いにするってたいていこういうものなんですかね。これが普通なんでしょうか。あたしの感覚ではわからないです。とはいえこんなものが本人の目に触れたら、きっとただではすまないでしょう。でも大丈夫です。あたしがこれを隠しちゃうのです。


「履様は三年の喪の身ですから、うかつに手紙も書けないでしょう。あたしが責任を持って、届けてもらうよう手続きしますね」

「摯、心強いです。ぜひお願いします」


そんなわけで竹簡を受け取って、穴を通って自分の部屋に戻りました。


◆ ◆ ◆


翌朝になりました。屋敷の自分と子履の部屋で、机の上に竹簡を乗せて考えていました。

竹簡を手に入れたのはいいのですが、処分は早ければ早いほどいいのです。仮に土に埋めるとしても、最近の子履は土竜もぐらのように地中を泳ぐことを覚えたようなのでやめたほうがいいです。屋敷の中の何処かに隠すにしても、下手に隠すと後でバレそうです。ここはやっぱり、燃やすしかありません。この世界から跡形もなく消してしまいましょう。


そう思ってあたしは机から立ち上がりますが、そこに及隶きゅうたいが茶を持って入ってきました。


「調子いいっすか?午後は簡尤かんゆうさまと一緒に散歩っすよ」

「あっ、たい


そうですね、あたしが直々に何かを燃やすとしても目立ってしまうだけです。火を起こして燃やすって普通に雑用ですから、貴族が直接やると目立って、使用人の記憶に残ってしまいかねません。


「隶、何も言わずにこれを燃やしてこれる?」

「分かったっす」

「絶対読まないでね」


あたし、及隶のことは信頼していますから。そう言って渡した竹簡を、及隶は持っていきました。及隶は仕事で失敗したことがないといいますし、竹簡もちゃんと燃やしてくれますよね。これで一安心です。


◆ ◆ ◆


その翌日の夜、真っ暗な部屋に誰もいないのを見計らって、及隶はその竹簡を机の上に置いて、深呼吸します。

伊摯いしは2日に1回子履の小屋へ行きますので、この夜は不在です。この部屋の世話はおもに及隶と嬴華芔えいかきがやることになっていますが、その嬴華芔も夜は別の仕事が入っています。誰にも見られないようにことを済ませるには、今が一番タイミングがいいのです。


及隶は竹簡に手をかざして呪文を唱えます。風が起こって、その竹簡のもとへ空気が集まります。緑色にわずかに輝きます。


「これでよし、っす」


その竹簡を丸めて、及隶はほっとため息をつきました。「さて‥」と振り返ると、後ろには索冥さくめいがいました。


「いたのか」

「まあな」


そのような短い挨拶を交わした後、索冥はその4本の足で一歩一歩歩み寄ります。


「さっき、どんな魔法を使った?」

「この竹簡を読んだ者にかかっている魔法のうち悪い効果のものに限り無効化するものだ」

「そんな魔法、五行ごぎょう(※この世界で使われている魔法の分類)にも、旧世界の魔法にも存在しないだろう。仕組みが複雑なうえに、そもそもあんの魔法はすなわち天帝の力であり、それを上回る魔力が必要だ。お前にそんな権限があったのか?」


それを聞いて及隶は黙ります。


「なぜお前がそんな魔法を使えるんだ?」

「わからない。いにしえの三皇さんこうとして、天帝から与えられた使命をまっとうするにはこれが最善と判断したのだ」

「そういうことにしておこう」


索冥の返事を聞いて少し安心したのか、及隶は竹簡を握って持ちます。


「もちろんこのような内容では、姒摯じしの考える通り、夏后履癸の心は動かないだろう。それどころが、害をなしてくる可能性がある。このしょうの国に兵を差し向けるようなことがあれば、それは天帝の計画の失敗を意味する」

「ではその竹簡は届けないのか?何のために魔法をかけたんだ?」

「いや、これは夏后履癸に届ける。夏后履癸は現状、人夫を送らなかった国は高額な朝貢を課す、滅ぼすとしか言っていない。夏后履癸を大いに怒らせ、責任を子履たった1人に押し付けるためにこの竹簡は必要な手順だ。そう仕向けるために絶妙なバランスが必要なのだ。それであの魔法をかけた。私にはこれを送った後の未来が見えている」

「未来を透視するのも天帝以外は不可能だ‥‥まあ、何も言うまい」


及隶はまた、手をぴくっと動かして竹簡を椅子の上に落としてしまいます。それをもう一度拾い上げます。


「まだ夏から使者は来ていない。そのタイミングで、この竹簡をこっそり渡す。すべては夏台かだいのために」


ひととおり説明をおえて索冥の気配が消えると、及隶は椅子を引いて、そこにぴょんと乗り上げて座ります。竹簡を机の上に置いて、自分は目を閉じてふうっと息を吐きます。

柵名から指摘された2つの魔法。

2つとも、思い返してみれば、『それを使えないはずの』及隶にとっては『当たり前のように使える』魔法なのです。

それに気づいて、及隶は自分の膝を見つめます。それから、天井を仰ぎます。


小声でささやきます。索冥に聞こえないように。


「もしかしたら私は、自分が思っているような存在ではないかもしれない」


自分の頭から記憶を追い求めようとしても、必ずどこかで止められてしまうような気がします。

考えるのに疲れて止まってしまうのではなく、誰かが作為的に止めてしまっているような気がします。

頭の中に、鍵が厳重につけられた扉があるような気がするのです。


よく伊摯から、体の成長が遅いと言われます。

及隶も当初は伊摯にあわせて成長するつもりでした。

でも、なぜかできないのです。体が大きくならないのです。まるで頭の中に鍵付きのドアを作った誰かが、魔法が使えないように止めているようにしか思えてならないのです。

それも及隶の悩みの種でした。


しばらくしてから及隶は首を振って、椅子から飛び降ります。


「‥‥いや、今は自分の任務をまっとうすることだ。いにしえの三皇が一柱、泰皇たいこうとして」


すべては『正しい歴史』のために。及隶はそう自分に言い聞かせます。

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