第228話 貧民街の路地裏に(1)
しかし
そう思って街を歩いていると、
「あのあたりにあった
「はい」
見てみると、その肆のドアには『閉店了』と大きく書かれた紙が貼り付けられていました。まあ、当然でしょう。腐った果物を出していた肆です。
「簡尤様はあの肆のものはお食べになってませんよね?」
「もう少し続いていれば家内と食べに行く予定だったんです。どちらかといえば女子供向けの肆ですからな、むさ苦しいおっさんが行くのも遠慮してしまうんですよ」
簡尤は笑いました。もう笑い話にできるレベルらしいです。人の肉を食べていたことを知っているあたしは笑えませんけどね。あの腐った果物が実は人の肉でしたということはあたしも刑吏に一応話しましたが、そもそもこの世界に人肉を果物にするような魔法は存在しないし、肝心の4人の男が記憶を失っているのもあって公にはなっていないのです。まあ、あれを食べてしまった他の客のことも考えるとそっちのほうがいいかもしれませんけど。あの4人が言っていた『賢者の石』とは一体何なのでしょうね。
「ああ、この肆の
「あーっ、その話はいいです!聞きたくないです!」
あたし、聞きたくありませんからね。父親は最近姿が見えないという噂を聞いてましたし、あたしはそういうことだと思っています。そういう話は聞きたくないです。
しかし簡尤は不思議そうな顔をします。それから、笑いました。一体何を考えているんでしょうか。
「ははは、まあそう思うのも無理ないだろうな」
「分かってたら話さないでください」
「いや、そう思うだろうが実は違うんですよ」
「えっ?」
簡尤はそのあとのことを話してくれました。
◆ ◆ ◆
この
簡尤は3段ほどの階段を登って、ドアを開けます。中からおいしそうな匂いが漂いますが、中を見ても空のテーブルが4つ、2人座っているテーブルが1つある以外には何もありませんでした。
「いらっしゃいませ‥‥あっ」
駆け寄ってきた女性は、以前よりもみすぼらしい服を着ていましたが、確かにさっき閉店した肆の受付嬢でした。たしかに本人です。生きていました。
「お‥お久しぶりです」
「お久しぶりです。あの時は大変失礼しました」
「いえいえ、こちらこそ」
この事件を国に報告したのはあたしで、その話は簡尤にも伝わっているでしょう、あたしと受付嬢の様子を見ても簡尤は何も言いませんでした。
あたしは目頭が熱くなるのですが‥‥もう1人の顔を見るまでは安心できません。
「あの、店主はおられますか?」
「はい、奥の方ですよ」
前のようなカウンターではなく、テーブルの並んでいるスペースと厨房の間は壁でしっかり区切られていました。しかしその狭いキッチンに、確かにあの親父がいました。生きていたんですね。よかった。よかった。本当によかった。その男は、まるでそれが日常のことであるかのように、
「料理の研究中ですね。ご注文はおありですか?向こうの席でお待ちになりますか?」
「はい、ぜひ」
そう言われて席に座って女性からもらったメニューを見るのですが、あたしはまた驚きます。
「これ‥閉店した肆のメニューと同じでは?」
「はい。あの肆の味を再現しようと、2人で頑張っているのです」
「しかし‥なぜ2人がここにいるのですか?母親を地元に帰す必要はあったのですか?」
「それがですね‥」
と、女性はテーブルの空いている席に座りました。
「ここだけの話、私は自殺するつもりで山の中に入っていたんです」
「はい」
「するとそこでばったり、今の店主に出会いました」
「はい」
「店主も自殺するつもりで妻を地元に帰して、私と同じ山に登っていたのです。私は旦那の親と面識はありませんでしたが、少し話をしてみてお互いがあの肆の関係者だということが分かり、あの肆の味を再現しようという方向に話が転がったんです。人肉由来ではない、本物の果物料理を作りたいと」
あたしはため息をつきました。自然と笑みがこぼれます。よかったです。「はいセンパイ、ハンカチっす」と横から
「そうじゃないっす、ハンカチ!涙出てるっすよ」
「‥‥‥‥えっ?」
目の下を指で触ってみると‥濡れています。確かに濡れています。あたしは女性から顔を背けて「ありがとう」と言って、ハンカチで軽くぬぐいました。
「父親は息子を勘当していたと聞きましたが、親子の縁は切っても切れないものですね」
「私もそう思います。店主は旦那のことを忘れたくて、肆の窓を板で塞いだりもしていたらしいのですけど、やはり忘れられずしまいで。勘当した理由も犯罪や暴力ではなくただの料理の味で、些細なことで勘当したのは間違いだったと何回も言っていました。相当悩んでいたようです。店主にとっては、旦那が肆で作りたかったものを作ることが罪滅ぼしだそうです」
あたしは何回もうなずいてしまいます。
「ところで以前一緒に来られた、黒髪のきれいな少女は今日はお見えにならないのですか?お元気ですか?」
「あっ」
ここ簡尤がいます。
「あ、あの平民の子ですか?今日はいないですが、元気ですよ」
「『平民の子』とは‥‥?もしかしてあなたは貴族ですか?」
「あっ‥そのようなものです」
「ああっ、粗末なものしか出せず申し訳ありません!」
女性が立ち上がると、あたしもつられて立ち上がります。
「いえいえ、おかまいなく。あたしも平民の出ですし、好きでここにいるので」
「わ、わかりました」
ちょっと口を滑らせたせいで話がややこしくなってしまいました。椅子に座ると、あたしはとりあえず話題をそらします。
「今は閑散としているようですが、商売はうまくいってますか?」
「ああっ、そこなのです。最近の冷害で食材も高騰していて、ましてや貧民街でお出しできるような安価な果物がないのです。前の肆に通ってくださった方には来ていただいてますが、なにぶん中心部から遠いもので」
「中心部に肆を出すだけのお金がないのですか?」
「そうですね」
このような場所に貴族なんてもちろん来ないでしょう。少しでも助けになればと思い、高めのものを注文しました。食べてみると‥‥おいしい。おいしいです。前が腐っていたというギャップすら感じさせません。あの男性が以前の場所に構えていた肆の料理のいいところを受け継いでいる感じがします。文句なしです。
「こんなにおいしいのに誰も食べないなんて、もったいないです」
「もったいないお言葉です」
「いえいえ。こういうのこそ前の肆で出してほしかったと心から思いますよ。ここは料理の見た目が華やかで、味もいいです」
「見た目は旦那のアイデアです。旦那は味よりも見た目の方にこだわっていましたから」
「それと父親の味が合わさってこうなったのですね。いいところじゃないですか」
及隶におさがりを出すのも悪いので、もう一品注文しました。おかげであたしの財布はからからです。
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