第224話 曹の国へ旅行に行きました(3)
まあ、そりゃそうですよね。母と仲が良かったらしいのですから、どんな人か子として気になるものですよね。
「そういうことでしたらあたしも見かけたら伝えます。名前はわかりますか?」
「
「真人ですか」
「そう。その道を極めているという、仙人よりも偉い方よ」
なるほど。真人は仙人よりすごい人だと聞きますが、こんな身近に真人がいたと聞くとどこか胸躍るものです。ましてここに真人がいたなんて。前世でもアイドルが街を歩いていると話題になるようなものでしたね。
「ご母堂さまは真人とご縁があったのですね。いいことじゃないですか」
「死ねばいいのに」
「‥‥‥‥‥‥‥‥えっ?」
「わたしはあいつに、恨みしかないわ」
姬媺はわがままな人だと以前から思っていましたが、ここまで強烈な言葉はあまり聞きません。小屋から少し離れた場所から
「母上はわたしが生まれる前から死ぬときまで、週一であいつと会ってたみたいなの」
「仲がよろしいのですね‥‥」
「あいつと出会う時はいつも楽しみそうに容姿を整えていたのは覚えているわ。まあ、わたしと一緒にどこかへお出かけする時よりは簡素だったけどね」
「それはそれは‥‥」
「忙しい合間を縫って、一刻だけでも無理に時間を作って会ってたの。
うわ、すごく仲がよろしいことで。
「そんなに頻繁に会って、父親と喧嘩になったりしませんでしたか?」
「むしろ父上もたまに会っていたらしいの。でも父上は基本、わたしのそばにいたわ」
「それで親同士で喧嘩に?」
「これが原因で喧嘩になったことはないわ」
しばらく立ち上がって歩いていた姬媺は、中央のテーブルの白い椅子に座ります。ギギギという音が響きます。
「それではなぜ、広萌真人を恨んでいるのでしょうか?」
「わたしの親は‥学園でも話したかもしれないけど、わたしに対して厳しかったの」
「上品なことしかさせてもらえなかったと、そこのお二人から聞いたことはあります」
「じゃあ、話は早いわ」
姬媺はテーブルに肘をつきます。
「あいつに会うたび、母上の教育が厳しくなったのよ」
「は」
「わたしは小さい時に
うーわ。前世の言葉を借りると、いわゆる毒親ですね。
「わたしは母上のことが好きだった。やりたいことは何でもさせてくれた。何でも与えてくれた。でもあいつは、わたしから少しずつ物を奪っていったの。三年の喪すら奪われたと思っているわ。だからわたしは意地でも服してやると思ったのに、誰かさんたちがさせてくれなかったの。もう最悪」
姬媺はそう言いながらテーブルの端に膝を当てて、椅子を斜めにしています。
「わたしが怒ってるのは、それだけではないのよ。わたしが学園に行ってから、もともと病弱だった母上は横になって過ごすようになったの。家臣から聞いた話だけど、母上が病床に伏せている時、あいつはずっと母上のそばにいたらしいの」
「うわ‥‥」
「朝も昼も夜も寝るときも一緒。親の死に目にあったのもあいつ。耐えられる?あいつは母上とは血も繋がってないし、結婚もしてない。わたしも会ったことはない。そんな得体のしれない人が母上につきっきりでいたことは気味が悪いの。ねえ、
姬媺はドンとテーブルを叩きます。小さく円いテーブルが激しく揺れます。脚が壊れたんじゃないかと思うくらい揺れます。そうやって立ち上がった姬媺は、しかし、テーブルに手をついてあらく息をしていました。
確かにあたしも共感できます。親戚でもないのに知らない人が親につきまどっているだけでなく教育方針まで操作されるのは、見てて不快です。何かあやしい新興宗教につかまったと思いますし、恐怖すら覚えます。
「まあ、母上の名誉のために言うけど、一緒にいた時間はわたしのほうが何倍も長かったわ。食事も愛情も時間も、かけるお金も、わたしのほうが多かった。少なくとも金や地位はあいつにはわたってない。母上と仲のいい知人といえばそれまでだけどね。教育方針に口出ししたことと死に目の時間まで奪ったことは許してないわ」
「‥‥‥‥あの、その人を見つけたらどうするおつもりですか?」
「捕まえて問い詰めるわ。わたしの母上に何をしたかって。そのうえで反省させるわ。もちろんきちんと返事してくれなかったら殺すわ」
うわ、姬媺って酒を飲んでなくても暴言吐くタイプですね。本当に殺すと言い出しても、この程度の話なら、きっと姜莭や
しかし話を聞くほど、あたしの中でもその真人のことが妙に引っかかります。地位や金目当てではないようだし、姬媺の父も妻が知らない男に会って怒ると思いきや逆に真人と会っています。そのくせ真人のことについて、姬媺に話したがらないのです。なにか裏で不気味なものがうごめいているような予感がします。聞いているこっちも気味が悪いです。
◆ ◆ ◆
広萌真人の話は
「久しぶりですね、
「わあ、
と言って及隶が趙旻の胸に飛びつきます。あれ?
「趙旻さま、昨日もお会いしましたね」
「え、そうでしたか?」
趙旻はきょどんと、驚いた顔でした。
「え、だって、昨日
「会いましたっけ‥‥?昨日、確かに亭まで来た覚えはあるのですが、そのあと‥‥少し記憶があやふやで、気づいたら宮中に戻っていた気がしてます」
趙旻が首を傾げます。あれ、違った?でも趙旻は昨日確か亭まで会いに来てました。それは覚えています。
「‥‥‥‥そ、そうなんですね」
よくわかりませんが、あたしはとりあえずうなずきました。そういうことにしときましょう。と思って、反対側を歩いている姜莭を振り向きます。
「曹王さまも毎日お忙しいようで。大変ではないですか?」
「苦労してるわ。わがままよ、本当に」
姜莭は腕を組んで、そっぽを向きます。これでも趙旻と並んで姬媺の側近をやっていますから、きっとどこかに愛情があるのでしょう。
宮城も見えてきたので、あたしは趙旻の胸から及隶を抜き取って後ろに下がります。
「ああ‥これは陛下には内緒にしてほしいのですが、陛下は伊摯さんがいらっしゃることをとても喜んでおいででした」
「でしょうね」
「そのくせ素直ではないのですから、手紙をもらってもお返事に何ヶ月もかかってしまい‥‥ごめんなさいね、次はすぐ出すように言いますから」
「お構いなく」
姬媺ってかわいいところもあるのですね、とあたしは自然と笑ってしまいます。
◆ ◆ ◆
馬車に乗っているあたしは、及隶のほっぺたを思いっきりぴろーんと引っ張っていました。「痛いっす、痛いっす、
この曹の国で、狐につままれるような話を聞きました。気味悪い話を聞きました。でも、姬媺とした話が、まだ頭を離れません。
「‥‥広萌真人」
姬媺の母と仲良くしていたというのですが、あたしや子履もいずれその真人と会うことになるのでしょうか。なんとなくそうした予感がします。及隶のほっぺをつまんだり引っ張ったり揉んだりしながら、あたしはゆっくり揺れ動く風景をひたすら眺めていました。
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