第223話 曹の国へ旅行に行きました(2)

姬媺きびはあたしを見ると、すぐに食べ物に視線を落とします。


「‥久しぶりね」

「はい。学園以来でしょうか。ご卒業おめでとうございます」

「あんたも中退したから心配してたけど、元気そうじゃないの」


姬媺は相変わらずぶっきらぼうです。今は建子けんしの月の下旬にさしかかったばかりで、斟鄩しんしんから帰る所要時間も考えると姬媺が今ここにいるのは早すぎるのですが、学園にお願いして自分たちだけ試験を早めてもらったそうです。

学園は2年制なので、後期の試験を終えたらもう卒業です。


「曹王さま、お食事が少ないのですが」


あたしと及隶きゅうたいの席には十分な食事があるのに、姬媺の席にある皿の数は控えめです。もっとも実際の量は、姬媺が半分くらい食べてしまっていたのでありませんが。細長いテーブルであたしと及隶の向かいにいる、まだ手を付けていない姜莭きょうせつ趙旻ちょうびんの皿を見ても、明らかにあたしたちより少ないです。


「2人ともお客様だからね」

「ご自身の食事は‥」


あたしがそこまで言うのを、趙旻が遮ります。


「数年も不作が続き、食料が心許ないのです。陛下はそんな中でも伊摯いしさんに食事を提供したく、ご自身の量を減らして‥‥」

「黙りなさい!」

「他のお客様にはこのようなことはございませんでしたから‥‥」

「黙りなさい!二度と言わせないで!」


姬媺がテーブルをドンと叩きます。昨日のなますもやけに多いと思ってましたが、そういうことでしたか。しかしそういうことでしたらなおさらもらうわけにはいきません‥‥いきませんが、姬媺の怒っている顔を見ると言いづらいです。


「あ、しょう王さまに報告する時は、食事が少なかったと言ってくださいね」


趙旻はそう付け加えました。商にはよくそうも含めて周囲の国から食料の無心が来るのですが、そのたびに蹴っています。商は周りよりも食料に余裕がないといえば嘘になるのですが、それでも少しでも分けてあげたら計算上、今度は商の中にも飢えで苦しむ人が出てくるらしいのです。食料目当てで周りの国からの移民や、わざわざ隣の国から買いに来る人も出始めているのでなおさらです。子履も食料の話をするたび、いつも苦い顔をしていました。

あ、重い話はこの場では不要ですね。


「曹王さまも、完全に素直にはなりきれてないのですね」


あたしはふふっと笑います。


「素直?あたしはいつでも素直よ」


とふんぞり返る姬媺をとりあえず無視して2人のほうを見ると‥‥趙旻が興味ありげに尋ねてきます。


「陛下が素直になったことがあるのですか?いつどのような時か教えてもらえませんか?」

「わたしが普段は素直じゃないみたいな言い方ね!?」

「はい。去年の文化祭で、曹王さまがあたしの出店を手伝ってくれたことを覚えていますか」

「ああ、チャーハンのときね。手伝ったわ」


姬媺はグーの手で頬杖をつきます。「お客様に失礼ですよ」と姜莭が注意しますが、「おかまいなく」とあたしは言ってあげます。


「店じまいして後片付けの時に、あたしと友達になりたいっておっしゃってましたね。あの時、お二人もそばにいらっしゃってましたよね(※第142話参照)」


どうせこの食卓にいるのは、あの時いたメンツで間違いないのですから、その時の話をここへ持ち出しても叱られないでしょう。姬媺は多分怒鳴ってくるのですが、それはそれでかわいげがあります。それとも恥ずかしがるのでしょうか。


‥‥‥‥と思っていたら、3人の反応はあたしが思っているものと全く違っていました。何かこそこそ話しています。


「わたし、後片付けの時にいたっけ?」

「いいえ、羊玄ようげんさまがお帰りになったあとすぐ帰りましたよね」

「後片付けが始まるよりずっと前です」


あれ?なんだか雲行きが怪しい。あれ?と思ったら、姬媺があたしに尋ねてきます。


「わたし、後片付けの時にいたの?」

「はい、最後まで後片付けに付き合ってくださって、あたしと友達になりたいと‥‥」

「わたしはその時、魔法を使った芸をよそでしていたはずよ。時間が重なるから、後片付けの手伝いようがないもの」

「はい‥‥え?あれ?」


確かにあの時あたしに『友達になりたい』と言ってくれたのは姬媺で間違いないはずです。でも本人たちがそう言うのですから‥‥記憶間違いでしょうか?でも確かに姬媺たちがいたはず‥‥あれ?

でも首を傾げる3人にこれ以上追及する気持ちにはなれません。話題を変えます。務光むこう先生と卞隨べんずい先生のいなくなった学園のこと、同級生のこと、いろいろ質問をぶつけます。


「再来年から休校になるって。来年度の新入生の募集は行わないそうよ」

「ええっ、それはまたどうしてですか?」

「2人の先生があの学園の目玉だったの。2人がいなくなって、各国から次々と辞退の申し出が出ているの。あたしの妹も学園に行かせようと思ってたけど、残念ね」


姬媺はあたしが食事を半分平らけたのを見て、自分も久しぶりに手を動かし始めます。


「しかしあの学園は(※の始祖)の代からあったのに、最近入ってきたばかりの2人の先生が消えただけで閉校なんてお粗末ね。学園も安邑あんゆう(※禹が夏を興した場所。現代中国の山西省さんせいしょう運城市うんじょうし夏県かけん周辺か)にできてから約400年の歴史があるのに、個人的な問題で閉まるのは滑稽だわ。まあ、新入生も決まって新学期が始まったあとの辞職だったから、苦情がものすごかったんじゃないのかしら」


姬媺はそう推測していましたが、本当のことはあたしにも測り知れません。ちょっと残念な話を聞いてしまいました。でもそれはそれ、これはこれです。あたしたちはそのあとも談笑を楽しみました。


◆ ◆ ◆


そして、なぜかあたしと及隶の泊まる亭まで来ていました。今朝早くにあたしが見ていた中庭を、姬媺たちと一緒に歩いていました。

朝は廊下から眺めるだけでしたが、今は実際に中庭に足を踏み入れて歩いています。苔の生えた岩、きれいな小川のせせらき、そして亭の建物をきれいに映す大きな池を2つに分ける石橋。どれもこれも風流を感じさせるものでした。姬媺は中庭の真ん中よりやや奥寄りにある小屋に、あたしを案内します。あ、この小屋、朝に老人がいたところですね。あたしはなんとなく周りを見回しますが、当然ですがその老人はいません。

小屋といっても、6本の太い柱だけで屋根を支えている程度のもので、壁などありません。


「朝にここへ入ってたら悪いわね」

「いえ、朝は廊下から見ただけです。今初めて入りました」

「そう」


姬媺は小屋の柱を触って、中庭をじっと眺めます。


「ここは、母上が特に気に入ってよく通っていた場所なの」

「そう‥なんですね」


あたしは身長の低い及隶を持ち上げて、胸の高さまで上げます。「どう、きれい?」「きれいっす」及隶も景色を楽しんでいるようでした。


「でも、自分の国の亭の景色を気に入るってちょっと不思議ですね。そんなに気に入ったのならここを自分の屋敷にすればよかったのに」

「違うわ。母上が気に入っていたのは景色ではないわ。ここにいた人なのよ」

「え‥‥浮気ですか?」

「違うわ。わたしにも分からない。全く謎なの。母上はその人と定期的に会っていたの。でもわたしには絶対会わせてくれなかった。わたしも何度か顔を見ようとしたけど、全て失敗したわ。まるでわたしが来ることを最初から分かっていたかのように」


姬媺の歯ぎしりが聞こえます。姬媺の母といえば‥‥厳しい教育をして去年亡くなったけど、姬媺に三年の喪はいらないと言い出していろいろな人を混乱させた人でしたね。


「伊摯」

「はい」

「わたし、その人を探してるの」

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