第222話 曹の国へ旅行に行きました(1)

建子けんしの月(※グレゴリオ暦12月相当)になりました。冬です。寒いです。ただでさえ冷夏が何年も何年も続いているのでこたえます。でも平民あがりのあたしは寒い中で仕込みをしたりしたので、けっこう寒さには強いと思います。

そんな中ではありますが、あたしは及隶きゅうたいと一緒にそうの国へ向かっています。外交のためではありません。外交要素全くないわけではありませんが、外交というよりは観光、観光というよりは‥‥です。


曹の国の首都である陶丘とうきゅうに着いて、ていに通されます。姬媺きびは以前は学園の同級生でしたが、今はこの国の王様です。学園にいたときのように寮のドアを開けて気軽にこんにちはできるわけではありませんが、姬媺は忙しいながらもあたしのために時間を作ってくれました。明日の午前です。朝食から始まって、昼食まで食べ終わったらお別れという短い間ですが、このような時間をもらえたことはとても嬉しいです。

‥‥少し気になるのが、あたしが姬媺に会いましょうと手紙を送ったのが今年の春先だったのです。春先に手紙を送って、返事が来たのが今年の晩秋だったのです。姬媺は斟鄩の学園にいたとはいえ夏休みには帰省しているでしょうし、このタイムラグがどうにも気になるのですが、まあ姬媺も忙しいでしょうし、こうして返事をもらえたからには些細な問題ですね。


「曹の国は2回目だね」

「なつかしいっす」


亭の部屋で、及隶とテーブルを挟んで夕食を取っていました。ここは亭でも広い部屋らしく、さすがに外国の王様の入るような一番広い部屋とまではいかないものの、曹の国の王様の親友を入れるくらい豪華な部屋らしいです。


「前は姬媺様が即位したときだよね」

いみなは控えたほうがいいっすよ」

「ああ、そうだったね、曹王さまの」


学園にいる時は気軽に名前を言える空気がありましたが、今の姬媺は立派な王様です。しっかり敬意を持たなければいけません。


「学園から何もかも変わっちゃったんだなあ‥‥」


姬媺が一気に遠い存在になったような気がします。いやあたしこれまでにも普通に曹王さまと呼んでいたんですけど、うっかり昔なじみの呼び方をしてそれを指摘されたときには寂しさを感じるものです。


「あ、子供はあまりなます(※おさしみのようなもの)食べすぎないほうがいいよ」

「センパイも子供っす」

「ははは、そうだね」


今日の料理は、鱠がいっぱい出ています。曹の国は商よりも(※のちの黄河)に近く、魚の取引が多いのでしょうか。生食には寄生虫がつきものですから、体の発達していない小さい子供には危険なこともあります。そんな知識もこの世界にはないんですけどね。それにしても‥‥及隶ってこう見えて、あたしと1歳しか違わないんですよね。

虚歳きょさいは正月に1歳上がるものなので、虚歳が1つ違うと誕生日は最大で2年の間が空きます。この世界で誕生日はあまり重要ではなく、自分の誕生日を覚えていない人も多いです。あたしも自分の誕生日知らないんですけどね。あたしの育ての親の張沢ちょうたくは、洪水の翌日にあたしを見つけたと言ってましたから、おそらくなつころでしょうね。


と、ドアのノックがしました。


「食事中に失礼いたします」


と言って現れたのは、趙旻ちょうびんでした。


「あ、趙旻様、お久しぶりでございます」


相手は王様の側近です。あたしはすぐに椅子から立ち上がってはいをします。「いえいえ、そんなにかしこまらずに」と趙旻が笑いました。


「こちらこそ時間の関係で食事中にしか来れず申し訳ございません」

「いえいえ、お構いなく。お久しぶりですから。ちょうど大量の鱠が食べきれずに困っていたところですから、趙旻様も一口どうぞ」

「いえいえ、これからも仕事がございますので」


どうにも忙しそうですね。あたしも商の仕事の合間を縫ってここに来たのですが、姜莭きょうせつや趙旻は姬媺の側近として大量の仕事をこなしています。商の王の側近といえば徐範じょはん簡尤かんゆうであってあたしではありませんから、2人の忙しさは想像がつきません。

と思ったら趙旻はあたしをましまし見つめて、にっこり笑います。趙旻は学園にいた時よりもすっかり落ち着いた様子です。いえ学園にいたころの趙旻も落ち着いていましたが、なんだかこのときの趙旻はあたしよりもすっとすっと年上のように、幾度もの経験を積んだ老練な大人にすら見えました。あたしは目をこしこしさせます。いくらなんでもあたしと年の近い人が一年会ってない間にいきなりそうなるわけないですよね。


びんママ!」


及隶が走ってくると、あたしは「こら、外国の重臣だよ」と言って止めます。‥‥が、趙旻は「いいのです、いいのです」と笑います。及隶をすくい上げると、慣れた手付きで撫でます。


「商王さまは元気でおられますか?」

「はい、元気ですよ」


それから少し間を置いて、趙旻は尋ねてきます。


「失礼な話かもしれませんが‥‥もし商王さまが大きな怪我や病気を患った場合、伊摯いしさんは必ず助けますか?」

「はい、もちろんですよ」

「たとえそれが伊摯さんの想像を絶するものだとしても?」

「もちろんですよ‥‥どういう意味です?」


逆に聞かれると趙旻はあたしの目を見て、一瞬戸惑ったように口を半分だけ開けます。それから及隶を床におろします。


「‥いえ、ちょっとからかってみただけです。何かあったら法芘ほうひさんが必ず助けてくれますから。では私は仕事がございますので」

「ははは、はい、それではまた明日」

「はい。では」


趙旻は静かにドアを閉めて消えました。なんだろう‥‥不思議な感じがしました。知っている人のはずなのに、まるで知らない人のようでした。1年も会っていないと、人ってこんなに変わるものなんですね。前世でも同じようなことがあったなあ。


「久しぶりに会ったからかな‥‥」


あたしはそうぼやきます。それにしても趙旻は冗談を言うこともあるのですね。覚えておきましょう。


◆ ◆ ◆


翌日になりました。あたしは鶏鳴けいめいの刻に起きて、隣りにいた及隶を起こします。


「もう朝だよ、起きてよ」

「ふぁあ‥‥旅行中もこの時刻に起きるんすか‥‥?」


と及隶があくびしながら聞いてきたのであたしは「あっ」と思いだして、「ごめん、まだ寝ていいよ」と言ってから、自分は部屋を出ます。廊下を歩いているとちょうど中庭がありましたので、そこから庭を眺めます。

庭と言っても前世の一般家庭のそれよりは広く、公園と言えるものでした。そりゃ前世ではこういうものをいちいち観光資源にしていましたからね。前世では観光資源でも、この世界では当たり前のようにあるものですから、言われないと気づきません。美しい池があって、それを囲むように苔の生えた岩が並べられています。小屋みたいなのもあります。


「きれいだなあ‥‥」


こういうのを見ると、心が和むものです。

さあて、及隶を起こしに行かなければいけませんね。あたしはくーっと背伸びします。


「‥ん?」


なんだかあの小屋に、老人がいるような気がします。遠くてよく見えません。‥‥まあ、気のせいだったことにしましょう。あたしはそのまま歩いていきました。


◆ ◆ ◆


わあ、ここが曹の国の宮殿ですか。曹の国の首都である陶丘にふさわしく立派な宮殿は、商丘しょうきゅうにあったそれとあまり違いはありません。はくの宮殿は建設中ですけどね。


「こちらでございます」


姜莭と趙旻に通されて、宮殿の中にある宴会室に入ります。宴会室といってもそんなに大きくはありません。おそらく数名程度の客をもてなすための場所でしょうか。古代中国なら正座をイメージするのですが、この世界ではやっぱり白いテーブルに美しい椅子に、ヨーロッパのようなおしゃれな部屋で、それでいて料理は古代中国風のものが出てきます。子履しりもこのアンマッチなものを見てよく文句を言ってましたが、あたしもその気持ちはとても分かります。

長いテーブルの橋に姬媺が座っていましたので、あたしと及隶は下座に座ります。


「陛下!今日はお客様と会食です!」


と姜莭が怒鳴っているのも当然ですが、姬媺はすでに食事を始めていました。脇目も振らず懸命に食べていて、あたしたちに気づかない様子です。


「何よ。毎日忙しいから今日もつい食べ始めてしまったわ。普段忙しくするあんたたちが悪いのよ」

「人のせいですか!」


相当忙しいようですね。子履も今は家臣たちが配慮してくれていますが、三年の喪が明けたら同じように忙しくなるのでしょうか。あたしが「はは‥」と笑うと、ここで初めて姬媺と目が合います。

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