第216話 変な肆を見つけました(2)
「はぁ‥‥」
あたしと
「センパイ、おなかすいたっす」
「ああ‥うん、そうだね。別のところにしようね」
正直あたしは放心状態でそれどころではなかったのですが、とりあえず‥今は及隶のためにも食事が先ですね。あたしはそこのはす向かいにあった肆に入ります。この肆は、誰も寄り付いていない小さくさびれたところなので選びました。人気な肆はなんとなく選びたくない気持ちでした。
適当に2人席を所望して、窓側のテーブル席に通されます。見るからに、中身はぼろく、すぐにでも崩れてしまいそうなつくりでした。でもさっきの肆で過ごした後だと、なぜかこっちのほうがあたしには安心するのです。
ここは夫婦の肆でしょうか、さっき注文を聞いてきたのは年配で白髪交じりの女性でした。すぐそばにカウンター席があって、その向こうから厨房や料理の様子が丸見えなのですが、女性と年の同じらしい男性が真剣な顔で小さい鍋をかき混ぜていました。
他に客はいないようなので、あたしたちが席を立つと‥‥女性が「どうされましたか」と声をかけてきたので、「いや、あちらのカウンター席に座りたいなと‥」と言ってみます。
「そこは椅子が壊れていますので、そちらで。座ると崩れます」
「ああ‥‥分かりました」
椅子に座ると、その女性は近くのテーブルの椅子を引いて座ります。肆が薄暗いのも手伝って、お互いの漢服があまりよく見えません。この肆も他の建物と同様に、欧米のような作りになっています。壁も前世の中国で使われていたようなしっくいではなくレンガです。下手すれば前世の、洋服を着てレストランに行っていたときとほとんど似た感覚です。あれ、誰と一緒にレストランに行ったっけ。雪子とでした。
「どうしてこんなところにいらっしゃったのですか?」
うん?
肆に来た客に「なぜ来た」って聞かないですよね普通。食後のアンケートで質問されることはありますけど、まだ食事もできていない時にする質問じゃないでしょう。と思いつつ、控えめに答えます。
「いえ、近くの肆がどうにもまずかったので」
「どこの肆ですか?」
「ほら、あの斜向かいにある、行列のある肆です」
それを聞いた時、中年の終わりくらいの女性は何も言わず、ましましとあたしの目を見つめていました。
「悪いことは言わんから、キッチンにいる夫にあの肆のことは話さないでください」
「一体どうしてですか?」
「息子が店長をやっているんですよ」
おそらく毎日毎日誰も来なくて暇だったのでしょうか、あたしが聞くまでもなくその女性は勝手に語りだしました。
◆ ◆ ◆
「ってことは‥息子とは喧嘩別れしたのですね」
「はい。料理の味をめくって口論になって、そのまま勘当でした」
「それじゃあ、どうしてあんな近くに息子の肆がたっているんですか?」
「私達は
「改装って、そんな最近までしてたんですか」
確かにあそこは内装がきれいな気がしました。食べ物が醜悪なことを除いては、雰囲気のいいところだった記憶がします。
「夫は今も息子のことを気にかけているようですが‥‥」
女性はぼそりと言っていました。
「あの‥あの肆の食事がまずいと、あたし以外から聞いたことは?」
「ありませんね」
「そうですか‥‥」
あたしはなんとなく違和感がしましたが‥‥そのタイミングで親父がデザートを持ってきたので、話はそこまでにしました。さて、口直しです。さっきの肆ほど華美ではありませんが、この‥‥これ何?白い大きめのボールが3つ?
「これは何ですか?」
「ああ、
親父はそれだけ言うと、またぶっきらぼうにキッチンに戻りました。よく見ると、キッチンの向こうには窓があるようでしたが、その窓の外が見えないよう板を張っているようでした。
あたしはそれを切って、かけらを口に入れます。‥‥えっなにこれうまい。甘いです。これは砂糖の甘さではありません。色々な果汁を巧みに混ぜたような、テクニカルな味です。ん、このボール、内側に穴が開いてるようです。あ、フルーツが入ってる。フォークで葡萄を突き刺して、口に入れます。これももちろん腐りかけではなく、いい感じにうれていて、香ばしいものでした。
「おいしいね」
「ういっす」
及隶もすっかり満足したようで、かぶかぶとそれを口に入れます。「お行儀悪いからやめなさい」と言うと、「ちぇっ」とフォークをテーブルに置きました。
◆ ◆ ◆
しかし、釈然としません。あんな腐りがけの食材を出して、何でみんなおいしそうに食べているんでしょうか。しまいにはあそこを有名店などとはやしだてて、集団食中毒でも起きたらどうするんでしょうか。同じ料理を嗜むものとして、呆れも怒りも覚えます。しかし料理というものは人を楽しませるものです。腐ったものを出しても、食べる人が楽しめればいいのではないでしょうか‥‥ああ、わからなくなってきます。
なんてことを、公園のベンチに座りながら考えていました。レストランの多くある通りの端に、木に囲まれた公園があって、子どもたちが貴族をまねて
「はぁ‥‥」
さっきの肆のことが頭から離れません。やっぱりなんとかしたほうがいいのでしょうか。でも客たちもみんな楽しんでる様子ですし、変に騒ぎを起こすのは野暮なのでしょうか。
‥‥ん?
あたしはなんとなく、気配を察知します。
間違いない。誰かが近づいてきています。どこでしょう。あたしは思わずベンチから立ち上がって、周りをぎょろぎょろ見ます。
後ろか?振り向いても誰もおらず、公園の柵代わりの木々が並んでいるだけです。
と、下の方からかさこさ音がします。え、足元?地面?うわっ。
平らだった地面から、突然人間の手がぽこっと出てきます。あたしは思わずベンチに尻もちをついてしまいます。
手のついた腕が生えてきます。地面から?ひえっ、だめ、怖い、怖い、怖いですよ。これ幽霊か何か?
がしっと足首を掴んできます。
「うわあああああああ!!!!!!」
とっさに足を引こうとするのですが、手が離れません。うわ、何ですかこれ。うわ、あっ、倒れる。ベンチこと、後ろにくらっと倒れます。
倒れたはすみで、あたしの足を掴んでいる土の中のものが飛び出すように出てきます。
尻もちをついて、おそるおそる目を見開きます。
どんな妖怪が現れたのでしょう。
あたし、妖怪と戦った経験なんて‥‥
「‥‥‥‥あれ?」
目を疑います。
そこで地面から上半身だけぽこっと出していた人は、あたしの知っている人間でした。
「
あたしはベンチの座るところを壁のようにして、掴んで構えて、おそるおそる声をかけてみます。その三年の喪のための白衣を着た子は、間違いなく
「静かにしてください。見つかってしまいます」
「誰のせいだと思っているんですか‥‥」
何で土の中から?どうやってここまで?聞きたいことしかないです。
「変装したいので手伝ってもらえませんか?」
そんなことを言われてもあたしは何も返事せず、ため息だけをついていました。
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