第214話 夏の家臣の待遇

というわけで子履しりの意向と理由を、そのまま法芘ほうひに伝えてみました。法芘は下級の待遇でぼろっちい2階建ての家と一(※面積の単位で、ここでは135メートル平方程度とする)の庭を割り当てられていました。声に出してはっきり言うことはできませんが、大金持ちの平民より小さい家です。

しかし法芘は、あたしの言葉を聞くと笑っていました。


「ははは、それを聞いて俺がここから逃げ出すとでも思ったか?」

「逃げ出すと思ってました」

「ははは、そうか、そうか」


父や法彂ほうはつの部屋が必要らしく、部屋が足りないので応接室などなく、法芘の私室の中で話していましたが、非常に沢山の本が本棚に入っているのに驚きました。子履しりが言っていた通りでも優秀な人だというのは、間違いではないかもしれません。


「だが、そいつはひとつ選択を誤ったな」

「といいますと?」

「せっかく夏の家臣がここに集まっているんだ。それを使ってしょうを開発しようと思わないのか?」

「そりゃ、思ってはいますけど履様は夏からの報復を恐れています」

「だが、他の国はそんなことなど考えないだろう。夏の家臣をこき使い発展し、商は取り残されるだろう。商が夏におもねるあまり夏に対抗する力をのがすのは滑稽な話だ」


あたしは返事できませんでした。商の発展も大切で、商王なら本来はそれを優先すべきです。にもかかわらず、子履はそれを投げてでも夏の家臣の人道的保護を優先してしまったのです。しかしそれは全くの無意味だと言われてしまいました。


「もうひとつ言うぞ。仮に夏が各国に送還を求めるとしたら、すべての国に平等に要求するだろう。商がどんなに気をつけていても、他の国が目立ちすぎたら、商も連帯責任で返さなければいけないんだ。そしてあのデブのことだからどんな言い訳を並べても平等に死罪だろう。そう考えると夏の臣を使わないのはますます非効率だと思わないかな?」

「言葉もありません」

「まあ、だからといって俺を重役に抜擢するのだけはやめてくれよ。俺があのデブの悪口を言った話は、他の夏の家臣にも十分伝わってる。もちろん、ここにいる奴らにもだ」


暗に子履の悪口も言うぞという話でしょうか。あたしもそれを一番警戒してます。でも、それと能力は別です。別ですよね‥‥?


「だからお前にだけでも仕事のアドバイスをしておきたいんだ。俺は生活できればそれでいいからな。父上はそうじゃないみたいだが」


ちょっと前までのあたしなら「結構です」と即答してましたが、子履が法芘を高く評価しているのを聞くと気持ちが揺れてしまいます。あたしも子履のために商を発展させたい気持ちがあります。気持ちがあっちこっち行って定まりません。

なかなか返事しないあたしを見て、法芘は頭の後ろで腕を組みます。


「まあ、お前も俺が急に来て混乱してるんだろう。ゆっくり決めるでもいいさ」

「そうします」


それでその場はお開きになりました。


◆ ◆ ◆


「法芘がそんなことを言っていたのですか?」

「はい」


例の小屋で子履にこの話をしてみたところ、子履はしばらく考え込んでしまいます。


「私はできるだけ人道的な支援をしたかったのですが‥‥そうですね、連帯責任ですね」

「それ、あたしも思ったんですが」


と、あたしも口を挟んでみます。


「夏の家臣たちは世の中に役立つため勉強や努力を積み重ねて役人になった人もいます。それがこの商のために働きたいと言うのも、せっかく勉強したことが活かせないと彼らなりに困るからだと思います。彼らの希望を聞くことも人道的なことじゃないでしょうか」

「確かにその通りです。中には世襲で役人になれただけの人もいるでしょうから、やる気があるか面接で見た上で決定します。あさっての朝廷ではかってください」

「ん?あたしが言うんですか?」

「私から勝手に話すことはできませんので」


ああ‥‥いつもこうやって2日毎に気軽に会って慰めたり話したりしてるんですが、子履は一応三年の喪の途中でした。このぼろっちい小屋も、あたしはもともと平民として生活していたこともあって慣れてしまうとあまり気にならないのですが、慣れって恐ろしいものですね。


「そういえば、こういう何もない小屋にいて退屈ではないですか?」

「毎日、のことだけを考えています。退屈ではないです」

「少しは先王のことも考えてください。三年の喪ですから」

「ふふ、冗談です。きちんと他のことも考えています」


と、子履は笑ってみせますが、やっぱり滋養のある食事ができていないらしく、弱っているのが分かります。でも三年の喪が終わったら生きて帰れるでしょう。あたしはそう信じています。


「履様はあたしが守りますからね」


気がつくと、あたしは無意識にそう話してしまっていました。子履は少し目を丸くしてあたしの顔を見ていましたが、次の瞬間には目をつぶらにして、「それはやめてください」と短く言いました。

予想とは真逆の返事でした。


「なぜ‥‥?」


あたしがそう尋ね返すと、子履は急に寄ってきて、あたしの胸に頭を擦り付けます。


「‥‥摯が私を守ってくれると、また私の前からいなくなってしまいます‥」

「え‥?なぜ?ああ‥‥げんに逃げたことですか?」


あたしの質問に子履は答えませんでした。ただ無言で頭を擦ってくるものですから、あたしも反応に困ります。


◆ ◆ ◆


まあ当然といえば当然ですが、あたしはまだ政治の世界に片足だけ入った状態なので、日々の仕事は雑用ばかりです。書類を運んだり、掃除を指示したり。あ、料理もきちんとしています。

ただひとつ、自分でも成長したと思ったことがありました。簡尤かんゆうのお供として朝廷に出席していますが、経済の話に参加する回数が増えました。簡尤があたしの話の途中で止めてくることはめっきり減りましたが、代わりに他の家臣から突っ込まれることが増えました。その時にあたしは返事しようとするのですが‥‥なぜか8割くらいは簡尤があたしの話を遮って代わりに返事してしまいます。やっぱりあたしはまだまだひよっこです。簡尤の説明は素晴らしいのか分かりませんが、他の家臣たちは簡尤の言う事をすんなり信じているようです。


簡尤の能力は高いと思っていましたが、もしかしたら名家の出とか、夏の偉い人の子孫とかかもしれません。確かにあたしと毎日のように経済の談義をして、経済に関しては商の中で一番優秀だと思いますが、そこまで偉い人だとしたら大変です。経済の談義で簡尤に失礼なことを何回か言ってしまったかもしれません。

そう思って小さめの菓子折りを持っておそるおそる簡尤の家へ行ってみますが、門の方で他の家臣と立ち話をしているようでしたのであたしはあわててそこの壁に隠れます。


「まったく、昨日の伊摯いし様も訳の分からないことをおっしゃってましたね。市場の物の値段が上がっているのに物品は大量にあるのは商人の不正だから値下げを強制すべきという法律に反対するのはいいんですけど、その弁に造語がふんだんに含まれていて、何を話しているか分からない。本当に陛下の許嫁かどうか‥‥」

「まあまあ、私が全て説明したからいいじゃないですか」

「そうそう、それなんですよ。なぜあなたは伊摯様のおっしゃることが全て分かるのですか?変な造語からすみまで全部理解できていたのはあなただけですよ。あの造語は2人で作ったのですか?」

「いや‥‥はは、そのようなものですよ。でも変な造語はあまり表に出さないよう指導しておきますので」


簡尤は困っている様子も見せつつ、なんとかその家臣を追い返します。交代で門にやってきたあたしは、「あ、あの‥こんにちは?」と小声で言いますが‥‥簡尤は「今の聞いてましたね。これからはこの世界の本に書いている言葉だけ使う練習が必要ですね」と言ってきました。

あれ、この世界?あたし、簡尤に前世の話してましたっけ‥‥?いや、考え過ぎか。変に勘ぐって聞いてみても、もし本当に知らなかったとすれば全部無駄ですよね。

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