第213話 法芘が亡命してきました

翌日の朝廷で最初の議題になったのは、昨日の亡命についてでした。徐範じょはんが事の顛末を説明しますが、内容はあたしがあらかじめ教えた内容とほぼ一緒です。徐範の話が終わると、なぜか簡尤かんゆうがため息をついていました。


「陛下。この家臣たちは受け入れますか?」


徐範が話を振ると、子履しりは「はい」と答えました。


「それではとの関係も考え直すのですか?」

「それには及びません。亡命した人にも事情はあるのでいったんしょうで預かります。でも夏に反抗するようなことは一切しません」

「夏から送り返せという命令があれば従いますか?」

「その時に考えます。もちろんここに残らせてもらうのがいいですが、大きな問題になるのでしたら送り返すのも仕方ないと思います。まずは夏と話し合いをもちます。言葉で対応できそうならそうします。ともかく、これで夏と戦争が起きると懸念する人があれば、戦争は決してありえないと触れを出して安心させてください」


そんなこんなで、その話題は終わりました。商はこれからも夏からの亡命を受け入れるつもりではありますが、抵抗はしないということでもあります。亡命してきた人をわざわざ死地に送り返したくはないが戦争もしたくない子履による、曖昧な返事でした。


朝廷が終わる頃には、昼前になっていました。亡命した家臣たちの仮の住まい、これから亡命者が増えたときのことなどの相談もあって、時間がかざみました。散会になってすぐ、簡尤があたしを呼び止めました。


伊摯いしさん、伊摯さん」

「どうしましたか、簡尤様」


何気ない顔で尋ねてきたあたしに、簡尤は小声で耳打ちします。


「陛下、今日の議題をあらかじめ知ってましたよね」

「えっ」

「演技をするならもう少し本気を出せと陛下に伝えてください。それでは」


簡尤はそのまま帰ってしまいますが、あたしは小一時間くらい冷や汗をたらたら流して無人の大広間で立ち尽くしていました。


◆ ◆ ◆


「私達のことがばれたかもしれないのですか?」


その日の夜に例の小屋で、子履はあたしの話にけっこう食いつきました。


「はい‥そのあと簡尤様に数時間くらい使って聞いたのですが、今朝徐範様が亡命のことを説明している時、履様は一度も質問を挟んだりせずすんなりうなずいていたのが、あらかじめ分かっているように見えたそうです」

「数時間とは、けっこう時間をかけましたね」

「簡尤様がなかなかお話にならないので、食事や経済の話も挟みました‥‥それから履様が亡命という大きな問題に関わらず、考える素振りも見せずすぐに答えたりもされてましたね」

「それはゆうべ摯と話して考えていたからですね」

「それも分かりやすいとおっしゃっていました。それから、昨日あたしと簡尤様と徐範様が亡命した家臣からヒアリングをしたのですが、その場にいた3人にしか知り得ない情報をあらかじめ分かっていたのではないか、これが露見するとあたしの立場まで不利になるのではないかとまでおっしゃっていました」


あたしがそれを言うと子履は頭を抱えます。「‥‥‥‥‥‥‥‥そうですね」と言って体を倒して、こもを積んだだけの布団らしくもない布団に頭を乗せました。


「これから履様と会う回数を減らしたほうが‥‥」

「それだけはダメです」

「でもこれがばれてしまったら、もう会えなくなるかも‥」


と思ったら、子履が体を起こしてあたしに抱きつきます。


「長くても2日に1回にしてください。これ以上は譲れません」


やれやれ、仕方ないですね。


しかしその2日後、4日後、6日後、8日後‥‥‥‥あたしが子履の小屋へ行くたび、あたしと話している子履の背後になぜか穴ができて、それが少しずつ大きく深くなっていってるように見えました。三年の喪って、親と会いたくて土を掘る人もたまにいるらしいので、子履も演技で穴を掘っているのかもしれません。穴を掘るまでやらない人も多いですし、何もそこまで演技しなくてもいいのにとあたしは思うのでした。


◆ ◆ ◆


亡命した家臣たちに次々と少しぼろめの屋敷を案内する雑用の過程で、屋敷の門の近くで清掃を行う使用人と話していた嬀穣きじょうとばったり出会いました。


「お久しぶりです。嬀穣様‥‥でしたか」

「あっ、あの‥様なんておつけにならなくても。私は身分が低いですし‥‥」

「身分なんて気にしなくていいですよ。あたしの時は」


あたしは軽くそう言ってやりますが、嬀穣は胸に手を当てて、もじもじしています。何か言いたげに口を小刻みに動かしていましたが‥‥「やっぱり無理です!」と叫んで、そのまま走って行ってしまいます。「ええ‥‥」


「やあ、浮気かい?」


ふと、後ろから聞き慣れた声がします。あれ、夏に知人っていましたっけ、とあたしが振り向くと‥‥法芘ほうひでした。


「法芘様、なぜここに?」

「なぜって、俺も亡命してきたんだよ」

「ええ‥‥」


あたしはいぶかります。ていうか法芘、子供の名前に夏の先王のいみなであるはつをつけようとしたり、夏后履癸かこうりきをデブと呼んだりしてませんでしたっけ?夏の他の家臣からも法芘のことを聞きましたけど、朝廷でもっとすごいことをしたとかなんとか。まあ夏ならあたしとは関係ないと思ってほっといてましたが、まさか商に亡命するとはこれっぽっちも思いませんでした。


「商に仕えるのですか‥‥?」

「もちろん、そのつもりだ」

「ええ‥‥」


今すぐ帰ってほしいよ。そりゃ知り合いだし一応はしんの国で仕事を仲介してくれた恩人でもありますが、あたしの大切な子履を侮辱したりするようなことがあれば無理です。板挟みというか。複雑な気持ちです。

そんなあたしの気持ちを汲んだのか、あたしがまだ何も言ってないのに法芘ははははと笑います。


「まあ、俺も人間だ。恩を売ってくれた人までからかう真似はしないさ。さすがに夏には帰りたくないからね」

「死ぬまでおとなしくしてくれると助かります」

「あんまりなことを言うなあ、まるで俺がおとなしくないみたいじゃないか」


そうやって笑う法芘を、あたしはかたわらからずっと睨んでいました。こいつ、今度は孫に履ってつけそう。


◆ ◆ ◆


なーんて話を子履にしたのですが、意外とまじめな返事が返ってきました。


「法芘は夏で何の仕事をしていたか覚えていますか?」

「ええっと‥‥じゅうへ使者に行ってましたね」

「はい。わりと凄腕の外交官で、使者として他国に赴きます。外国との交渉も受け持ちます。商にも何度か来たことがあります」

「うわっ!?」

「ちなみに摯とは、莘の国に外交で行っていた時に出会ったそうです」

「ええっ、法芘様はなぜそんな大切な話を黙っていたんですか!?」

「摯が真面目に聞きたくなさそうだったからかもしれませんね」


子履はそう言って、くすりと笑っていました。ううっ、なんだかあたしがバカにされてるみたいです。法芘が茶化してたのは事実じゃないですか。


「‥とはいえ、法芘は夏でも能力のある部類です。上位から数えたほうが早いです」

「そんなもんですか‥‥」


そこで子履は腕を組みます。


「ですから、少しまずいかもしれません」

「え?」

「夏から能力のある人が流出して、それを商が重用するようなことがあれば、夏から送還命令の来る確率も上がるかもしれません」

「そうなんだ‥‥」

「私は夏とは戦いたくないので、法芘には身分の低い職を回しましょう」

「でもそんなことをすれば、法芘様はまた逃げるんじゃ‥‥」

「でしょうね」

「商の損失ですが‥‥」

「亡命してきた他の家臣を死地に送還しろと命じられる方がもっと損失です。話を聞く限り、送還されてすぐ殺される可能性すらあります。そんなことになったら、私は人をむさむさ殺しにやったことになります。それに夏から交渉された時、亡命してる家臣に私が代わりに刑を与えたと説明すれば、もしかしたら納得してくれるでしょうか‥‥」


そのような重い話をしている時、子履はいつもあたしに表情を見せません。あたしも子履の表情はなんとなく見たくないです。あたしは何度かうなずいて、それから小さくため息をつきました。

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