第212話 夏の家臣たちが亡命してきました

「それで‥今日も簡尤かんゆうに絞られたのですね」


いつもの小屋の中でうなだれるあたしを子履しりが慰めていました。昨日までは子履をあたしが慰める構図だったのに不思議です。


「そうなんですよ。この説明で通じると思ったのに、それは解釈違いだと言われて!」

「いくら前世の知識があっても、経験の差はありますからね」


子履はあたしの持ってきた本をばらばらとめくっています。その目はどこか懐かしそうです。前世でこういう中国語の本をたくさん読んでいたのでしょうか。そういえば中国語も子供にしては流暢すぎると子主癸ししゅきが何回も驚いていたのを覚えています。

と思ったら、子履が本を置いて、そっとあたしを上目遣いで見上げてきます。何か頼み事をしたそうにむすむす動いている口を見て、どきっとしてしまいます。柔らかい唇が動いてるだけで、あたしの視線が自然と外れてしまいます。


「‥‥そうだ、実は、あの、今日も‥お漏らしをしてしまいました‥」

「‥分かりました、パンツですね、用意してますよ」

「えっ」


この前はおもらししたというからあたしのパンツをあげましたが、やっぱり不衛生なんですよね。あの日からあたしは毎日子履のパンツを持って小屋へ来るようになりました。子履のパンツを直接触るのはやっぱり恥ずかしいので、作ってもらったばかりで未使用のものを袋に入れています。これならあまり‥‥ちょっとだけは恥ずかしいです。

子履はなぜか想定外の返事だというふうに固まっていますが、あたしの気配りが想像以上だったから感激してるのでしょうか。懐からパンツを取り出して、子履に渡します。


「はい、様向けに作ってもらった新しいパンツです」

「‥‥‥‥のいじわる」

「え?な、なぜですか?」

「知りません。自分の胸に聞いてください」


むすっと不満そうな顔であたしからパンツをぶんどった子履は、ぷいっと横を向きます。


◆ ◆ ◆


「ということがあったんだけど!」


あたしが子履の次に話す相手は及隶きゅうたいでした。翌朝、朝廷は休みでした。ぷすぷすしながら朝食の準備を終えて部屋に戻った時にたまたま及隶がいたので、思いをぶつけてみました。


「センパイは鈍感っすね。男かと思うくらい鈍いっすよ」


及隶は腕を組んでうなずきます。


「何で!何でなの!たいは何か分かるの?」

「自分の胸に聞くっすよ」

「そんな履様みたいなこと言わないで!知ってるなら教えてよ!!」


そのあとしばらく、部屋の中で及隶を追いかけ回していました。


◆ ◆ ◆


そうやって経済や内政の勉強をやりながら毎日を過ごしているうちに、建酉けんゆうの月(※グレゴリオ暦9月相当)になりました。ここ数年続く冷菓の影響で先月の時点ですでに秋のように涼しかったのですが、今月は先月にもまして涼しく、寒くなってきました。

新しい屋敷の建設も順調に進んでいるようで、来年はじめにはできそうだと言われました。冷菓で民たちもギリギリの生活を強いられているのですから、屋敷は簡素なものでいいと子履も言っていました。「新しい愛の巣っすね」とか言っている及隶は無視することにします。


ところで、その建設中の屋敷のすぐ隣にある宮殿に馬車がいくつか集まっているんですが、何があったんでしょうか。今日は朝廷お休みですよね。あたしもしょうの臣ですから気になるっちゃなります。その馬車がいくつか集まっているロータリーへ向かいます。

馬車に乗っていたらしい人達が、役人たちと話しています。見たところ、みんな貴族のような身なりです。日付を間違えたのでしょうか。朝廷は毎日あるものではないですからね。

と思っていると、役人の1人があたしのところへ走ってきてはいをします。あたしは末席とはいえ朝廷に出られる身分ですから、あたしよりいくらか年上に見えるこの好青年も、あたしより身分は低いのです。ちょっと悪いなとも思いつつ、話を聞いてみます。


「何があったのですか?どこの国からいらした使者でしょうか?」

「いえ、使者ではありません。の国から亡命してきたのです」

「夏‥‥‥‥へ?亡命?」


亡命‥‥そういえば終芹しゅうきんもそのようなことを言っていましたね。きさき(※正妻)が殺されたからだのなんだの。夏后履癸かこうりき、次は一体何をやらかしたのでしょうか。

少し近づいてみると、みんな会ったことがあるような気がします。法芘ほうひの屋敷で会った気がします。と思ったら、そっちのほうから近づいてきます。


様、お久しぶりです」

「あ、はい、お久しぶりです」

「少しお話できないでしょうか」


あたしも事の顛末には興味があったので、とりあえず簡尤を呼ばせます。簡尤が徐範じょはんをつれてきたので、3人でその夏の家臣たちを適当な客間に入れて面会します。


◆ ◆ ◆


「えっ、亡命ですか?」


その日の夜、例の小屋の中で、子履は驚いていました。この件の第一報があたしだったみたいです。他の人たちは明日の朝廷で報告しようという考えだったのでしょうか。


「はい、夏の家臣だった人たちが家族を連れて来ていて、今後も増えるみたいです」

「なぜそのようなことになったのですか?夏で何かあったのですか?」


子履は落ち着かない様子で飛び出してきて、あたしの手を握っていました。


「それが‥‥夏王さまが鋳腑すふの刑というものを発明したらしくて」

「鋳腑の刑とは?」

「あの‥‥履様はグロいものは苦手でしょうが‥」

「前世中国では残酷な刑はたくさんありましたよ。凌遅りょうちの刑に関する記録も読みましたから、慣れています」


じゃあ言ってもいいんでしょうか。あたしは少し含んだ後、鋳腑の刑を説明します。


「受刑者の体を逆さまに吊るします」

「はい」

「肛門に、溶かした鉄を流し込みます」

「はい」

「実際には肛門に入りきれず、溶けた鉄が全身をつたって、ひどい火傷になるらしいです」

「はい」

「怖くないんですか?」

「全然大丈夫ですよ。炮烙ほうらくの刑と同程度でしたから」


大泣きしてあたしに抱きついてくるかと思っちゃうくらいメンタルの弱いはずの子履は、このときばかりはあたしが思った以上にとても冷静で、平然としていました。そういえば前世でも何かとグロい話ばかりしてたな。


「その刑があっただけでは多数の亡命は発生しないでしょう。商の国に来るということは、他にある星のような数だけの国にもそれだけ来ているはずですから」

「そうですね、それが‥‥家臣の親や親族を人質に取ると言い出したらしいです」

「は?」

「家臣が夏王さまに少しでも反抗したら親も一緒に鋳腑にしてやるからちゃんと従えということらしいです」

「え?」


子履は目を丸くしていました。多分、鋳腑の刑のときよりも驚いています。


「この世界の人にとって親はとても大切なものです。家臣にとっていちばん大切な親を差し出せと言っていたのですか?」

「どうもそうらしいです」

「信じられません。いくら愚鈍な王でも、そのようなことをしたら国が崩壊することくらいはわきまえているでしょうに」


子履はそのまま壁にもたれて、ため息をつきます。「明日の朝廷は大変になりそうですね」とぼやいていました。


「兵士が家臣たちの家を回って、強制的に人質を出させようとしているところまで来ているらしく」

「言葉もありません」


子履はしばらく体育座りになって身を丸めながら視線を外して何かを考えている様子でしたが‥‥「そうですね」と折った膝を伸ばします。


「この状態を放置すると夏は権威を失い、世が乱れてしまいます。早いうちに手を打たないとまずいですね‥‥」

「ですがここは商の国です。夏のためにできることって何かないでしょうか?」

「例えば夏に有能な家臣を送り込んで、説得して鋳腑の刑をやめさせます」

「でもその案は索冥さくめいに否定されましたよね」

「むう‥それなら贈り物しかないでしょうか」


あれこれ迷っているうちに、夜も更けました。

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