第211話 前世の話
あたしは毎晩、毎晩、
「ありがとうございます」
話をしていた時に唐突に子履からお礼を言われたので、理由を聞いてみます。
「え、どうして‥?」
「三年の喪は長くつらいものだと覚悟していました。でもこうして
「そ、そんな大袈裟な‥‥親の死は悲しいでしょう」
「悲しいです。でもだからこそ、私には摯の支えが必要です」
あたしは子履から距離を取ります。なんていうか‥‥こんなふうに素直に褒められるのは慣れていません。他の人から褒められても普通に受け入れられるのですが、あたしが子履のことを好きだからでしょうか?
いやいや、それは考えちゃダメです。ああそうだ、まじめな話をしましょう。特にこの前うっかりしてしまった経済の話の後始末とか、相談しなければいけないです。あたしにとっても、前世に関係のある話を相談できるのは子履しかいないのですから。
◆ ◆ ◆
そんなふうにあたしと子履が甘い時間を過ごしていた最中、別の屋敷の一室では、
「‥‥それでは、あの2人を放置しろということでしょうか?」
「はい」
テーブルを挟んで向かい合っています。簡尤の出した茶を、相手は飲みません。
「たった今、あの2人に注意しようと思っていたところでしょう」
「そのとおりですが‥‥」
簡尤は相手を警戒していました。自分の考えを先に読まれていたのです。注意しようと考えていたところで、いきなりこの人が現れたのです。
子履と
目の前にいる男を確認します。
「あなたは誰ですか?どこから来たのですか?」
「名前は持ち合わせていませんが、『セツ』と呼んでください」
「
「そのセツとは違います」
その男とも女とも判別しづらい顔を持った人間‥‥一応男に見えます‥‥は、ほほえみました。見た目はおとなしそうですが、こういう人こそ罠を持ち合わせているものだと、簡尤は時折ちらちらと周囲を確認しています。
「どこから来たのですか?」
「
「では仙人で?」
「いいえ。
「真人のお弟子様でしたか、先に名乗っていただければ‥‥失礼いたしました。おもてなしをしなければ」
簡尤が椅子から立ち上がろうとすると、セツは「大丈夫ですよ。私もここに長居はできないので」と言います。再び椅子に座った簡尤は、改めて質問します。
「あの2人を放置する理由を教えていただけませんか?」
「きちんと説明すると長くなるのではしょりながらになりますが、その前に、この話を聞いてもあの2人への態度を変えないこと、今日話したことを口外しないことを約束してもらえますか?」
「約束できますが‥‥私も商の臣です。必要と判断したら陛下に報告するかもしれませんよ?」
セツはまた笑います。
「いいえ、あなたは口外しません」
「何か魔法でも使って私の行動を縛るのですか?」
「いいえ、その必要もありません。なぜならあなたは、口外しないことになっているからです。私はあなたやあの2人、そしてこの商の国の未来を知っているのですから。真人が
そのとりとめもない不思議な返事に簡尤は面ぐらいますが‥‥セツは少し待ってから、勝手に話を進めます。
「話を戻しましょう。あの2人は、こことは異なる世界から来たのです」
「‥‥‥‥へ?」
「その世界の中の『日本』という国から来ました。魔法はありませんが、科学や経済が高度に発展しています。その世界では、当然ここと常識や考え方が根本的に異なります。『日本』では三年の喪は存在しません。大切な人が死んだ時は、恋人と慰め合うことも許されます。三年の喪の制度があの2人の肌にあわず、特に商王にこのまま厳格な運用を続ければ精神に異常をきたしかねません。商王は前の人生で自殺したのですから」
ここから先の話は、簡尤にはにわかに理解できるものではありませんでした。使っている文字もこの世界とはちょっと違うようで、漢字の他にひらがなという文字を組み合わせて文章を作っています。
でもよく考えてみれば、的を射ているかもしれません。思えばこれまでの子履の行動には不可解な点が多くありました。歯磨き、入浴、どちらもこの世界にもともとなかった習慣であり、それをまだ幼かった子履は唐突にこの国へ持ち込んできたのです。賊や罪人をいきなり殺すなと言い出したのも子履でした。最初は奇妙な話だと思っていましたが、こうして前世の話と結び付けられると合点がいきます。その前世の話すら本当かどうかわかりませんが。
‥‥でも話を呆然と聞くにつれ、簡尤には一つの疑問が浮かんできます。
「‥‥別の世界から来たというのなら、陛下は先王の子や契の子孫ではないということでしょうか?それこそ由々しき事態ですが」
「いいえ。契の血は確かに流れています」
「では、別の世界とは何のことですか?」
「記憶です。あの2人はその世界で死にましたが、その時の記憶を受け継いでこの世界の親の子として生まれてきたのです。以前の世界をあの2人は『前世』と呼んでいます。あなたの知っている『前世』とは別の言葉です(※この世界で『前世』は三皇五帝の時代をさす言葉として使われている)」
にわかには理解できないことですが‥‥おぼろけながら分かってきます。しかしことの全容を理解するには、まだ説明や理解が足りないのでしょう。簡尤はそのように感じていました。
「ところでなぜこれだけの話を、今のタイミングで私に?」
「それは今のあなたに必要な話だからですよ」
「必要‥‥?なぜ‥‥‥‥?」
「それは自分で考えてください。ひとつヒントを付け加えましょう。伊摯は将来この商の国‥‥いえ、商王朝の
セツはそれだけ言い残して立ち上がります。「待ってください、王朝とはどういうことですか?こんな零細小国が、あの
跡形もなく消えていました。
簡尤はしばらく呆然として部屋の中を見回していましたが‥‥そのうち、やることを思い出したようで、ぐっと手に力を込めます。
◆ ◆ ◆
翌日、あたしは忍び足でこそーりと簡尤の屋敷の廊下を歩きます。あたしの前に使用人がいて応接室までつれてきてくれてますから、足音を殺す必要なんてないですけど、どうしても気になるものです。
応接室で簡尤と面を向かい合わせます。
「あの‥‥‥‥」
「どうしましたか?」
相変わらず簡尤はにこにこ笑っていますが、その横にはなぜか‥‥20冊くらいでしょうか‥‥大量の本が置いてあります。
「この前、経済の話をしたのですが‥‥その、『インフレ』『デフレ』という言葉の出典についてですが、本をなくしてしまって‥‥」
「なんだ、そんなどうでもいい些細な話ですか。現象に名前があってもなくてもそんなに困りませんよ」
へ?あれ?この前の簡尤は『インフレ』『デフレ』という言葉がどこから来たのか知りたそうに興奮していた覚えがあるのですが‥‥もしかしてすぐ熱してすぐ冷めるタイプなんでしょうか?いいえ、毎回朝廷に一番で出るのを楽しんでたりしますし、議論の様子など見てもそういうことはないと思いたいですが‥‥などとあたしが迷っている間に、簡尤はぽんと大量の本をあたしに突きつけます。
「これはこの商の国の中で一番難しいですが経済に一番詳しい貴重な本です」
「え、ええっ!?どうしてそれを私なんかに!?」
「疑問点はまとめて私に聞いてください。くれくれも他の人には質問しないように。私もあなたの考えを理解したいのです。この国の風習や常識とあいいれないことがあれば、その点についても考えをしっかり伺いたい」
簡尤はテーブルから身を乗り出しています。本気であたしの頭の中に興味がありそうな目をしています。うわ、怖い。それもそれですが、難しい本ってどうやって読むんですか。うええ。辞書を集めたり子履に聞いたりする手間が増えます。これから忙しくなる自分を思い浮かべて、あたしはため息をつくのでした。
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