第204話 破傷風(2)
「
「いいえ」
と、子履はあたしの胸にもう一度頭を乗せ入れます。
「今はまだ不謹慎な話ですが‥親が亡くなったあとは
「そんな大袈裟な‥‥
「私には摯しかいないのです。親がいなくて悲しんでいる時に、私のそばには摯が必要なのです」
そうか。そうだよね。前世では、人がいなくなって悲しんでいる人に友達が寄り添うのがお決まりのパターンでした。三年の喪でもそれは多少できるかもしれませんが、やはり親以外のなにかに依存することは許されないのでしょう。ずっと小さいぼろぼろの部屋に1人で閉じこもって、ひたすら親のことだけを考えなければいけません。1日や2日なら大抵の人は我慢できると思うでしょう?よっぽと親が好きだった人にとっては、1週間や2週間くらいならむしろ望むところだと思うでしょう?3年ですよ。
「3年もやるって、絶対途中で飽きるじゃないですか。拒否はできるのですか?」
「帝
「履様の代から服さなくていいという法律を作ればいいじゃないですか」
「以前、散髪を人々の習慣として根付かせるのは私の代では無理だと話しましたね?それほどに社会の習慣、常識、考え方は変えづらいものです。変えようとすると異端者と見なされます。例えばこの世界では考えられないような罪で簡単に死刑になったり、10歳同士でセックスしても叱られなかったり、1人の男が複数の女と結ばれることもできますが、この世界の人達が同じことを前世の日本で主張したらどうなりますか?」
「それはもともとだめなことだから‥‥」
そう言いかけて、あたしは言葉を濁しました。
「何が正しいか、何が間違っているかは、誰も決めることができません。法律はただその時の常識を反映しているものでしかありません。当時の考え方を反映したルールに、絶対的に正しいことも間違っていることもありません。犯罪者は当時の常識によって裁かれます。同様に、三年の喪に服さないことはこの世界では悪いことだとされています。服さないことは社会に受容されません。曹王さまの母が服さなくてよいと遺言を残した後、家臣たちも曹王さまも困惑していましたね?あれは前世日本で例えると、親のために人を殺せと言っているようなものです」
これ以上返す言葉が見つかりません。あたしはひたすら、馬車の振動に揺られて、子履の頭をそっと撫でていました。
子履は親が死んだら3年間、部屋に閉じこもらなければいけません。粗末な食事しかとれません。一切の娯楽は許されません。親のことだけを考えて過ごさなければいけません。ものすごく心配です。でもそれ以上に、3年間も子履に会えないと思うと‥‥あたしが耐えられるかも分かりません。あたしは以前、
あたしと子履がいちゃいちゃしていいのも、商の国に入るまでです。馬車はすでに
前世で異世界転生ものの小説を読んだという友達と話したことがあります。小説の主人公はみんな、前世の価値観を異世界に持ち込んで、差別はよくないのだとか、不便な習慣を変えさせるのだとかして、民に喜ばれていました。でも子履は同じことをやろうとしていません。子履は前世で中国史を学んできたからこそ、それがこの世界ではできないということをあたしよりもよく理解しているのでしょう。現実は常に冷たく、目の前の子履を鎖で縛っているように見えました。思わずあたしは子履の背中をぎゅっと抱きしめました。
◆ ◆ ◆
商の国に戻りました。さっきまであたしの服の袖を掴み続けていた子履は、馬車が停まるとあっさりそれを離して、駆け下ります。馬車の前に立っていた徐範に「母上はどこですか?」と叫んだりもします。あれほど慌てている子履はこれまで見たことはありませんが‥‥先ほど馬車でゆったり話をしていたあたしにとって、それは演技でやっているようにしか見えませんでした。でも白々しいとはとても思えません。親の死で内心焦っているのは本心だと思いますし、何より子履はこの世界の常識にあわせて生きていく選択をしたのです。
‥‥でも子履と会えなくなるのはあたしもつらいです。せめて、今のうちにでも少しだけ顔を見れないのでしょうか、と不埒な気持ちがどうしても出てきます。あたしは馬車を降りると、徐範とともに屋敷へ駆け込んですっかり姿が見えなくなった子履の方向を見て、残っていた簡尤に尋ねます。
「あたしも行ってもいいですか?あの、一応婚約者ですから」
「当然です。来てください」
あたしは抱きかかえていた
「今すぐ窓とカーテンを閉めてください」
「私もそうしようとしたのですが、陛下が『国に生きる民に対して閉ざされた部屋であってはならない』とおっしゃっていまして‥」
「そんなばかけた理由で窓を開けているのですか!?」
「しっ、陛下に聞こえます」
使用人の肩を掴んでいた子履は、うつむいて手を離します。それから、部屋の奥で子主癸の寝ているベッドへ駆け寄ります。子主癸となにかを話している様子でした。
確か破傷風って、ちょっとした風や光の刺激でも痙攣が始まるので、暗く風も通らない場所にいなければいけない‥‥んでしたよね。あたしもこの病気のことはよく知りませんが。
しばらくそうやって、子主癸と会話している子履の背中をあたしはずっと眺めていました。この場にいてとても不謹慎なことかもしれませんが、3年間も見れなくなるその背中を、あたしは今のうちに目に焼き付けなければいけません。どちらかといえば永遠に会えなくなるかもしれない子主癸のほうが大切ですが、どうせあたしがこの位置にいても子主癸の姿が見えるわけでもありませんから。
と思っていると、子履が振り返ってきます。
「摯も来てください」
「はい」
近づいてみると、ベッドで横になっている子主癸の顔が見えました。眉間にしわを寄せています。怒っているのでしょうか?あたしは「あ、あの、至らぬものですが‥」と思わず恐縮してしまいますが、後ろから「それは怒っているのではありませんよ」という声が聞こえます。あれ、やけに聞き慣れた声‥‥と振り返ってみると、
「先生‥」
「摯」
子履があたしの袖を引っ張るので、あたしは小さく一礼してからもう一度子主癸の顔を見ます。改めて見ても、眉間にしわが寄っているだけで、あたしを敵のように睨んでいるように思わされます。
「怒って‥いませんよね?」
子主癸は返事をしませんでした。「破傷風
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます