第202話 学園に戻りました

いくらか食べたところで、務光むこう先生が尋ねます。


「商伯さまは狩りをお嗜みになっていると聞きましたが」

「まあ。運動のためにやっていますよ」

「この近くにいい狩り場がありますので、よろしければこの後にでも行ってみませんか?」

「でも今はお酒を飲んでいますから、また今度にします」

「まあまあ、酔いは冷ましましょう。次はいつお会いできるか分かりませんから」


そうやってなだめて席に留まらせます。どうせへの大切な用事ですから子主癸ししゅきは日程に余裕を持っていて、1日や2日くらい遅れても大丈夫なはずです。子主癸は酒のかわりに、使用人に水を持ってこさせます。


◆ ◆ ◆


その陽城ようじょうという都市の北には嵩山すうざんという山がありますが、それを取り囲む広い森まで、務光先生と卞隨べんずい先生は子主癸を連れていきます。といっても陽城を出たらすぐに森が見えてくるので、そんなに時間はかかりません。


「あれが嵩山ですか、噂には聞いていますよ」


向こうに見える高い山を指さし、馬に乗った子主癸は笑います。務光先生、卞隨先生のほかには、子主癸を護衛する従者が数名います。一同はゆっくり森の中に馬を進めます。


「先生たちも狩りをお嗜みになるのですね」

「趣味程度ですよ。商伯さまにはかないません」

「またまた、そんなことをおっしゃって」


と、木の後ろになにか見つけたのか、子主癸はそこに矢を放ちます。ぎゃん!という悲鳴が聞こえて、たぬきのようなものが飛び上がります。


「先生方は五行ごぎょうすべての魔法を扱えるとお聞きしましたが、さそ厳しい鍛錬をなさったでしょうね」

「使える属性は生まれつき決まっていますからね」


何気なくそう会話した後で、矢をおさめた子主癸は一言付け加えます。


「必ずしもそうではないでしょう」

「えっ?」

「貴族の子供は、まず自分の属性を知らなければいけません。自分の属性を確認するには、色々な属性の魔法を使って、一番肌に合ったものを使うのでしょう?」

「はい」

「そのときに、例えばもくの魔法を試そうとして、草は一応生えるものの、火が強く出たらその人はの属性ということです」

「はい」

「でも一応、草は生やしているんですよね。必ず火の属性の魔法しか使えないと決まったわけではない」


卞隨先生は務光先生と顔を見合わせた後に、務光先生の代わりに返事します。


「その通りです。このことは私たちも研究している途中ですが、全く原因が分からないのです。火の属性を扱う人は、単にその魔法が得意ということにすぎません」

「では、他の属性も鍛えれば使えるということですか?」

「それはまだ研究中です」


何歩か馬を歩かせて、子主癸は背中から弓を取り出しかけましたが‥‥またおさめて、眉をひそめて振り返ります。


の属性は何なのでしょうか?きんの属性ではなかったという話は聞いていますが、金よりも強く出る属性があったということでしょうか?」

「あ‥‥」


務光先生はその質問で気づきます。子履しりの属性は金ではないということは夏休み前に伝えて、それを子主癸も了承したはずです。しかしその夏休みから半年経って、あの斟鄩を襲ってきた竜を撃退した事件の後で冬休みに入り、子履も帰省したというのに‥‥子履は自分の属性がこうであることをいまだ子主癸に伝えていないのです。子履は光の属性に戸惑いを持っているのか、それともまだ気づいていないのか、あるいは光の魔法に何か負い目でもあるのか。

子主癸が子履から属性の話をされていないことは分かりました。事情は子履から聞きたいのですが‥‥子履から子主癸へ直接話してもらうほうがいいでしょう。


「お子様の将来に関わる大切な話なので、私から申し上げられることは何もないです」

「先生なりのお考えがあるのですね。履はすでに自分の属性に気づいていて?」

「‥‥兆候はあります」

「そうですか」


答えを濁した務光先生の意図を知ってか知らずか、子主癸は今度はちゃんと矢を取り出して、向こうの動物を仕留めます。


「あちらのほうに穴場がありますよ」

「あら、ぜひお連れください」


子主癸は務光先生の案内に従って、先を進みます。


この道から横にそれた木の根の少し向こうに、罠が仕掛けられています。馬が一度目に通ったときは何もありませんが、二度目に通ったときに落とし穴が作動します。そして、半年くらい気分が悪くなって何か病気にかかったと錯覚してしまうようなこうもその穴の中に充満しています。体の調子が悪くなり重い病気にかかったと思いこむだけで、実際に病気にかかっているわけではありません。それでも務光先生の良心が傷付くものであることは確かでした。

子主癸に重病を患わったと思わせて、子履を商丘しょうきゅうに帰らせる。子履を斟鄩しんしんに入れないためにはそうするしかない。それが2人の計画でした。


それでも自分の感情を後ろにいる子主癸に悟られないように、務光先生は「多くの獲物を仕留めなければいけません」と言いながら深呼吸して、ゆっくり馬を進めます。

馬は木の根っこを器用に飛び越え、問題の箇所を踏んで、進みます。


「では商伯さまのどうぞ。木の根が大きいので気をつけてください」

「ありがとうございます」


そうやって何も知らない子主癸は木の根っこを越えて、そして‥‥。


◆ ◆ ◆


子履、伊摯いし及隶きゅうたいは馬車に乗って、斟鄩学園に入りました。授業が始まるのです。2年生!新学年!と普通なら喜ぶところですが、あたしも子履も重い顔をしていました。


「‥‥妺喜ばっき


子履が馬車から降りるなり、すぐそれを口にしました。道中でも狂ったように繰り返していた言葉です。


「妺喜を夏王さまから助け出さなければいけません」

「でも、夏王さまと謁見する機会なんてそうそうないですよ」

「ですから、夏王さまと親しい家臣から順に切り崩していくのです。私は商丘からここへ来るまでに作戦をずっと考えていました。法芘ほうひとも相談しましょう。始業式は6日後でしたね?も一緒に来てください」

「でもあたしはバイトが‥」


子履の考えることはいつまでも変わりません。少しうざったいですが、それでも妺喜を助けたい気持ちはあたしも同じです。

確かに妺喜のせいで夏が滅ぶかもしれませんが‥‥あたしにとって妺喜は友達です。終古しゅうこという彼氏のためにも、なんとかして救いたい気持ちでいっぱいです。

でもあたしにもいろいろ都合はありますし、妺喜以外にも考えることはたくさんあります。そもそも勉強のために学園に来ているのですから。


そうやって翌日に法芘の屋敷へ行くのですが、「せっかくだが、いま、夏はそれどころじゃないんだ。よう右相うしょうが左遷されて、内政問題が積み上がっているんだ」と説明されます。


「羊玄がの国に行ったのですか!?」


テーブルを叩いて、子履が立ち上がります。


「羊玄はときに夏王さまに叱責することもあるとお聞きしていました。そうですか‥‥それで、他に夏王さまに意見できる人はいるのですか?」

琬琰えんえんさまがいたんだけど‥‥もう離婚してらくむらに行っちゃったね」

「他には‥‥?」

きさき(※正妻)ならできるんじゃないかな」

「后に話を通してもらうことはできますか?」

「善処するよ」


そのようなとりとめのない返事をもらって、あたしと子履は学園の寮に戻ります。道中、子履は「どう思いますか?」と尋ねてきます。


「羊右相がいなくなるのは意外でしたね‥」

「そうではないのです。夏の大黒柱である羊玄があっさりここを去るとは考えづらいのです。妺喜が何か始めたのかもしれません。妺喜のせいかもしれません‥」

「そんな、履様、考えすぎですよ」

「そうでしょうか‥」


2人で学園の寮の廊下を歩いていたところで、後ろから「お待ちください、殿下、殿下!」と大声で呼び止められます。振り返ってみると、使者のようでした。顔が青ざめています。一体どうしたのでしょうか。

あたしと子履の前にはいをした使者は、「しょうから参りました」と言います。使者は荒い息をなんとか半分くらい落ち着かせると、用件を伝えます。


「申し上げます。陛下が危篤です」

「えっ?病気ですか?」

「はい。破傷風はしょうふうです」

「破傷風!?」


今度は子履の顔が青ざめました。

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