第201話 務光と卞隨の悩み

さて、このころのにはまだ羊玄ようげんが健在でした。年末年始の慌ただしさもまだ続く頃、建寅けんいんの月(※グレゴリオ暦2月相当=この世界では建寅の月が正月である)の上旬に、務光むこう先生と卞隨べんずい先生は宮殿のいち部屋で、羊玄に報告していました。


「なるほど。わしは直接この目で見れなかったか、本当にあれはこうの魔法か?」

「はい。私どもはそう確信しています。通常の魔法は媒体を必要とします。例えばの魔法は火や何か燃やせるものを媒体に発動します。すいの魔法も、水分を持つものを媒体に発動します。子履しりのそれは、何も存在しない空中に、火竜を現しました。火竜を通常の魔法で作ることはできますが、相当の分量の媒体を必要とします。間違いなく、あれは発動に媒体を必要としない光の魔法です。子履の魔力が続く限り、五行ごぎょうにかかわるあらゆるものを創造できるでしょう」

「例えば、洪水や山火事のような災害も自在に操れるということだ」

「はい、そのとおりです」


羊玄は「ふむう」と顎に手を当てます。そして一言、言い残しました。「危険だな」

2人はそれにぴくっと反応します。


「子履は夏に忠誠を誓っています。強力な力は敵となると手怖いですが、味方に引き入れれば夏を大きく発展させるものになるはずです。間違った決断は‥‥」

「いい、いい、わかっておる」


羊玄は何事もなかったかのように「ご苦労だった」と言いました。


◆ ◆ ◆


宮殿を出てからも、2人はどこか納得の行かない表情でした。門を出て人々の行き交う通りに出た後、ぽつりと卞隨先生が口を開きます。


「報告してよかったのでしょうか?」

「私達は夏の臣です。気づいたことはこまめに報告するのが義務です」

「そうはいっても‥‥」


務光先生の冷静な返事に、卞隨先生は口をつぐみます。務光先生は冷静を装いますが‥日陰で薄暗い曲がり角で立ち止まります。


「私も私で、あのような返事になることはあらかじめ予想すべきでしたね。今のところ夏は冷害で多くの民が苦しみ政情も不安定で、大きな力のうねりに対応する力はありません。あまつさえ、先日のあの竜の襲撃により、国が乱れていることを民に強く印象付けてしまいました。確かに子履を味方につければ強力ですが‥‥内政の責任を背負っているよう右相も自信をなくしているのでしょう。子履とは面識もあり、特にトラブルもなかった印象でしたが‥‥生徒の命を失うことは私も本意ではありません」


そう言って、小さくほほえみます。


「でしたら‥‥!」

「ええ。あれは羊右相の一時の迷いです。その迷いのせいで子履を失ってしまっては、彼は一生悔やむことになるでしょう。これは裏切りではなく、夏を救うためです。子履には竹簡を送りましょう。退学扱いにします」


その一言で、卞隨先生はまた表情を曇らせます。


「どうしましたか、ずい

「‥‥喜珠きしゅはそれでも無視してこの斟鄩しんしんに戻りました。ことに子履はその喜珠を助け出すことに腐心している様子です。私たちが連絡しても、無視してここに戻る動機も可能性も十分にあります」

「そうね‥‥」


まずいところをつかれたかのように、務光先生は片手で頭を抱えます。そのまま、長い髪の毛を揺らしながら歩きます。


「‥‥そうですね。それでは、しょうの国にとどまる理由を作らなければいけませんね」

「何か案があるのですか?」

「商伯を重病にさせるのです」


卞隨先生は「えっ」と言って、立ち止まります。しばらく務光先生が歩いているのを呆然と眺めていました。務光先生もすぐ気づいて立ち止まります。


「大丈夫です。死なせはしませんし、本物の病気にすらさせませんよ。病気になったと思い込ませて、周囲をちょっと騒がせるだけです。子は親の危篤においては、必ず国に帰らなければいけません。それくらいやれば、子履もここには来れなくなるでしょう」

「何もそこまでやることは‥‥」

「他にいい方法があるのですか?」


その逆質問に卞隨先生はまた口を閉じて、ぽつんと立ち止まります。「決まりですね」と、務光先生もまた力なくうつむきながら言います。


◆ ◆ ◆


こうして務光先生と卞隨先生は子履の母にあたる子主癸ししゅき陽城ようじょうまで呼び出しました。ちょうど子主癸は朝貢ちょうこうのために夏にけい(※大臣)を送る予定があり、どうせ務光先生と卞隨先生に会えるなら自分が代わりに行っても、と乗り気になっていたようです。

しかし陽城で準備している間に、斟鄩からとんでもないニュースがとびこんできました。和弇かかんが反乱を起こして殺され、羊玄が自ら申し出ての国で謹慎することになったのです。


「今なら子履を学校に通わせても、殺されることはないのでは‥?」


陽城のはずれに用意した、2階建てで小さいながらも立派な屋敷のある一室で、卞隨先生は心配そうに務光先生に尋ねます。


「羊右相も用心深い方ですので、あらかじめ誰かに伝言しているかもしれません。そうでなくても、子履が喜珠について深掘りしすぎて夏の役人に殺される可能性もあります。なにより、私たちがここまで準備してしまったのです。やらないわけにはいかないでしょう」


務光先生も心ここにあらずというように、白いカーテンをめくって窓の外にある山を眺めていました。


すぐに子主癸の乗った馬車がロータリーに到着しました。2人は子主癸を屋敷の中に迎え入れ、あらかじめ準備していた宴会をやるために食堂に通します。

円いテーブルに子主癸が座るのを待って、残りの2つの椅子に2人が座ります。乾杯して食事もそこそこ進んだところで、子主癸が尋ねます。


「ところでの様子はどうですか?学園で変なことをしていなければいいのですが」

「まさか。彼女はいたってまじめですよ。私たちが勉強になるほどです」

「さすが伝説の魔法使いはお世辞もうまいのですね」


子主癸はふふっと笑いながら薄い酒を飲みます。務光先生は冗談めかした笑顔で応対するのですが‥卞隨先生が気まずそうに割り込んできます。


「その子履のことですが」

「はい。うちの履がどうかしましたか」

「子履は大切に育て、必ず跡継ぎにしてください」

「まあ、あの平和ボケを跡継ぎにするのですか。本来大辟たいへき(※死刑)にすべき人を安易に許そうとし、賊が出ても話し合いだの平和だの抜かします。学園から戻ってきたらしっかりした教育が必要ですね。ええ、ええ、きっちり跡継ぎに育て上げてみせますとも。せん(※子履の妹)やかい(※子履の2つ下の妹)と比べると、履が一番いいでしょう」


卞隨先生はそれに対して何か言いかけますが‥すぐに手を引っ込めます。子主癸がそれに気づいて、すぐ尋ねてきます。


「どうかしましたか」

「いえ。子履を跡継ぎに約束してくれるのなら、これ以上伝えることはありません」

「何か裏があるのですね」


子主癸はそうやってうつむき気味に、不気味に、鋭い目で卞隨先生を突き刺して笑ってみせてから、また酒をあおります。


「聞かせてください。それは夏のためになることですか?」

「いいえ、商のためになることです」

「履はその『裏』に気づいているのですか?」

「ある程度は」


酒を置いて、サラダになます(※生の魚の肉。刺し身に似ている)を乗せて混ぜてから、子主癸は「それは楽しみですね」と答えました。

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