第7章 子履、商伯を継ぎ三年の喪に服す

第199話 旅芸人を見物しました

話は、妺喜ばっき夏后履癸かこうりきにさらわれた直後、学園の授業も終わり冬休みが始まったころにさかのぼります。


あたし、子履しり及隶きゅうたい、そして任仲虺じんちゅうきの4人は同じ馬車に乗って移動していました。あたしたちはしょう、任仲虺はせつと、行く先が違うのですが、途中の老丘ろうきゅうまでは一緒です。というわけで、あたしたちの今いる馬車の後ろには、誰も乗っていない空の馬車がついてきています。


「なるほど。さんの前世の歴史ではそうなっていたのですね」

「はい。妺喜と夏桀かけつ妲己だっき殷紂いんちゅうの組み合わせは共通点も多く、とても有名です」

「でも紂に関しては炮烙ほうらくとか、比干ひかんの体から心臓を取り出した話(※『史記』周本紀)が伝わっているものの、桀はただ殺しただけでそれ以上のことは伝わっていないでしょう」


子履は気晴らしや気分転換にお得意の中国史談義を始めましたが、どうも話が三代さんだいに偏ってしまっているようです。あ、三代って・商・しゅうの時代をさすんですよね。耳にタコができるくらい聞かされましたから、あたしもさすがに覚えました。

三代の話に誘導してしまっているのは子履のほうですが、無意識に話してしまっている様子なんですよね。少しでも気晴らしができればいいのですが。


‥‥あ、思い出しました。陽城ようじょう(※現代中国の河南省かなんしょう鄭州市ていしゅうし付近)の宿で、反対側からやってきた旅行客たちの会話を小耳に挟みましたが、この近くのむらに旅芸人の一行がいるらしいです。


「履様、仲虺ちゅうき様、ちょっとあたし行ってみたいところがあります」

「どこでしょうか?」

「この道を北に曲がってすぐのところに、邑があります。そこに旅芸人がいるというので、その芸を見たいです。履様も気分転換にどうでしょうか、ね?」


子履は「ですが‥」とためらいますが、「そうですね、行きましょう」と任仲虺が肩を押します。任仲虺も子履を見ながら、どこか浮かない顔をしている様子でした。きっとあたしと同じことを考えていたんでしょう。


◆ ◆ ◆


あたしたちは邑のはずれに止めた馬車から下りました。その邑はさして大きくなく、すぐにどこが大通りなのか、どこが邑の中心の広場かすぐ分かりました。そして、そこに人垣ができています。

さすがに小さい邑なので、人垣には隙間も多いです。覗くばかりか、人をとがすのにも十分なほどの広さがあります。潜るように3人まとまって前に出ました。及隶はあたしが抱えています。


「お嬢さんたち、旅の途中かい?」


そばの村人が声をかけてきました。


「はい。ここに芸人がいると聞いて、見物に来ました」

「ははは。やっぱりそうか。見てみろ、今年の芸人はうまいぞ」


見てみると、人垣に囲まれた5人の芸人たちが順番に芸をしています。棒をお手玉のように器用に操ったり、蹴鞠しゅくきくをしたり、まるでサーカスのようなテンポで次から次へと踊るように遊んでいます。それがうまいのなんの。この世界にサーカスがあったらきっと儲かるでしょう。

あたしは思わず見とれて拍手してしまいますが‥‥はっと思い出して、隣を見ます。子履の口角が少し上がってます。あたしまでほっとしてしまいます。気がつくと、手が子履の頭を撫でていました。あ、いや、冬ですから髪の毛べたつかないですよね。


ぴくっと驚いて、子履があたしを見ます。目があってしまいます。あたしは思わずそらしてしまいます。


「‥‥ありがとうございます」


子履は一歩だけ遠ざかりますが、頬を赤らめていました。


「よかったです」


あたしはそう言って、及隶を地面におろしました。及隶はあたしと子履の間におさまりました。

多分子履にとっては少しも妺喜の件の解決になっていないでしょうけど、少しでも心安らぐ時間は必要なのです。


は前世から変わっていませんね」

「えっ」

「前世の摯も、私が悲しんでいる時はいつもこうして、明るい場所に連れてくれました」


あたし、前世のこと覚えてないんですが、子履がそう言うなら多分そうなんでしょう。前世と性格が変わっていないということですね。

しばらく芸を見ていて‥‥ひとつ思い出して、子履の向こうにいる任仲虺を見ようとしましたが‥‥いつの間にか、少し離れたところで及隶を抱きかかえていました。あたしは急に恥ずかしくなって、とにかく芸だけを見るようにしました。


「芸もそろそろ終わりでしょうか」


ふと、子履が寂しそうな声で言いました。


「そうですね。次はあの金髪の少年で終わりっぽいです」


こんな時間がずっと続けばいいのにって、あたしも思っていましたからね。どうしてこんな時間はすぐに終わってしまうのでしょうか。それはそれ、これはこれで、あの少年もよく見たら顔立ちが女みたいでかわいいです。

‥‥なんて思っていたら、その少年が突然、何かをぶつぶつとつぶやきました。あたしは思わず子履にささやきます。


「あの発音、呪文では?」

「はい。魔法ですね」


あたしも子履もじっとそれを見つめます。少年の呪文が終わると‥‥風が起こります。たちまちのうちに、少年の持っていた木の彫り物が飛び上がります。くるくるくるくるくるくるくるくると、激しく、でもぶれないようにきれいに回転しながら、少しずつ下りてきます。

邑の人たちは一気に拍手しますが‥‥あたしも子履も黙っていました。


「摯も、の魔法で同じことをしていましたよね?」


子履がつま先立ちになってあたしに耳打ちするので、あたしは膝を曲げます。


「あたしがそう王さま(※姬媺きび)と戦った時(※第37~38話参照)のあれですか‥?でもあれは、土を巻き起こすために、土を媒体に風を呼ぶイメージでした。他にもの魔法で風が起きると聞いたことはありますが、あれは‥‥もくでしょうか?媒体がないと風は起こせないと思います」

「風は五行による直接の扱いはなく、媒体を伴った上で副次的に発生するものでしたね。あの魔法では、風と一緒に舞っているのは木の彫り物だけです。アイテムに魔力を込めることはできますが、既存の五行を越えた魔法は使えないはずです」


あの魔法は、五行のどれを使っても説明できません。光の魔法は威力はともかくできることは既存の五行の魔法と基本的に一緒です。闇の魔法は人の心を操ることができますが、まさかそれであたしたちに集団催眠をかけたのでしょうか‥‥?


「後で聞きに行きましょう」

「でも‥芸のネタを聞くのは野暮ではありませんか?」


子履の指摘に、あたしは「あ‥‥そうですね」と小声で答えましたが、気になるものはやっぱり気になります。


◆ ◆ ◆


邑のみせで簡単な昼食を取り終わる頃には、旅芸人の集団はもう荷造りを始めていました。子履を後ろに控えたあたしが少年に近づくと、それに割り込むようにおじさんがぬっと出てきました。こうして近くで見てみると、平民向けの質素な漢服を着ています。


「どうなさいましたか」


割り込んできた時はどきっとしましたが、おじさんは力の抜けたような笑顔をしていましたので少しほっとしました。


「そちらの少年に聞きたいことがあるのですが‥」


その質問に、おじさんは眉間にしわを集めます。え、やっぱりだめだったのかな。他の人からも風について質問ばかり来てまいってるのかな、と思っていた時のそのおじさんの返しは想定外のものでした。


「あなたたちはまさか、あの少年について知ってるのですか?」

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