第198話 瓊宮と肉山脯林(2)
こうして新しい宮殿は完成しました。八階建てで、屋根にも外観にもいたるところに宝石がちりばめられ、天下の芸術家が施した最高の美術彫刻が、その美しい姿をきらきらに輝かせていました。
一足先に宮殿の中を見て回った
最上階からの眺めも立派なものでした。地平線が見え、太陽に照らされる初夏の田園がとても美しく見えたものでした。
「すばらしい。実に素晴らしい。この宮殿を
柵を握って身を乗り出して、夏后履癸は興奮して叫びました。
「これは確実にこの九州で最も高い建物だ。わしはこの九州を手に入れたのだ!今、九州の人民がわしを見ている!」
そうやって腕を広げる夏后履癸に、担当の人は「おそれいります」と丁寧に頭を下げました。が、隣りにいた妺喜はため息をつきました。
「どうした、妺喜。何か至らぬところでもあったか?」
「あそこに見えるのは何だと思うか?」
妺喜が指さしたのは、地平線と瓊宮の敷地に挟まれてうっすらと見える領域‥‥夏后履癸がつい先ほど見て見ぬふりをしていたもの。税金やら肉やら絞れるものをすべて搾り取られ、ぼろぼろになっていた建物の集まりでした。
「この瓊宮は美しい宮殿じゃ。庭も大変美しい。そして向こうにある地平線も美しい。じゃが、その中間に見苦しいものがあって景観を台無しにしているのじゃ。この景色に美しくないものは必要ない。そう思わぬか?」
「ああ、確かに一理ある。おい、誰か呼べ」
「ただいま」
すぐそこに控えていた
「あの薄汚いゴミを全部燃やして、代わりに美しいものを何でもいいから置いておけ」
「はい、ただいま」
羊辛は兵を率いて火を放ちました。
◆ ◆ ◆
今後の政務は瓊宮で行われることになりました。これまで使っていた古い宮殿はあらゆる荷物が取り払われ、閉鎖されました。
夏も盛り上がる頃に、瓊宮に家臣や諸侯が集められ、盛大な宴が催されました。
「
「まあまあ、中傷する手紙を出していないだけまだいいじゃろう。それより商伯と薛伯の2人は後で呼び出しておく必要があるのじゃ」
集まってきた諸侯たちの名簿を見てそうやって話し合った後、夏后履癸と妺喜は諸侯の前に現れました。宴の場は壁やドアが取り外されて大きく庭の方に開放しており、庭園には美しい池が見えました。その池からは甘い匂いがします。さらに、その池のほとりに無数の肉が干されて吊るされています。おいしそうな肉の塊がいくつも積み上げられている皿も無数に置いてあります。
「あれは酒を入れた池だ。そして、この肉はあちこちから取り寄せた最高のものばかりだ。女も用意している。これはこの
家臣や諸侯たちは次々と乾杯しますが‥‥夏后履癸はたまたま目に入った苦い顔をしている人を見逃しませんでした。
「おい傭伯、何を苦い顔をしているのだ?あの肉がおいしそうに見えないのか?」
怒鳴るように声をかける夏后履癸に傭伯はぴくっと背中をのけぞらせて反応しますが、すぐにそばにいた妺喜が声をかけます。
「やつは夏をなめているのじゃ。夏が用意できるのはたかがこれだけかと軽蔑しているのじゃ。将来反乱を起こすに違いない」
「間違いないだろう。傭伯は狂っている。あれだけ豪華なものを見て感嘆すらしないのは、反乱の兆候そのものである。おい誰か、こいつを解体してあそこに干せ」
「ご、誤解です、私はそんなことは決して考えておりません!」
その傭伯の言葉を無視して兵士たちが集まってその体を引きずっていきます。
「おい、どうせならあの庭で解体しろ。ちょうど
「はい」
兵士たちは「あなたには人の心がないのですか!」と叫ぶ傭伯を庭に引き擦りだして、服を脱がしてその場で生きたまま解体します。この光景にすっかり慣れていた夏の家臣たちはともかく、諸侯たちは夏后履癸に顔を見られないようにただただその解体光景のほうを向いて酒を飲んで、隣の人と歓談しているふりをしたり、酒に酔ったように肩を動かして楽しんでいるように見せかけたり、様々でした。
傭伯だったものが干し肉として池のほとりに吊るされたのを見て、夏后履癸は諸侯たちにうながします。
「さあさあ、いつまで室内にいる。池の酒を飲み、肉を食べて楽しもうではないか」
待ってましたとばかりに全裸の女たちがぞくぞくと庭園へ入ってきます。諸侯たちは生きた心地がしませんでした。自分を偽って、とにかく酒を飲み、顔を赤くし、女をいじり、肉をむさぼり、いかにも楽しそうに笑うしかありませんでした。
肉はどんどん食いつぶされていきましたが、傭伯の肉は誰も食べなかったので妺喜が羊辛に食べさせました。
◆ ◆ ◆
宴も終わり、夏后履癸は後宮の部屋で大きないびきをかいて寝ています。
夏后履癸はともかく、宴の幹事を兼ねていた羊辛は狂うように酒を飲んでいなかったので、そろそろ酔いが冷める頃です。妺喜はそんな羊辛を自分の部屋に呼び出します。
「羊辛よ。陛下が商伯と薛伯を殺そうとしている」
「分かりました。私が刑吏に引き渡しますか?」
「いや」
妺喜が首をふると、羊辛は首を傾げて片足を後ろにそらします。
「商伯には生きてもらわねばならぬ。そうでないとわらわの計画が成り立たない」
「では陛下をいさめるのですか?」
「いいや。子履は‥‥商伯は、徹底的に痛めつける。そこから商の国まで生きて帰るためには、薬が必要だ。わらわの魔力がしっかり入った薬だ。その材料を集めて欲しい。おぬしは身分が高く多くの人手を使える。おぬしにしかできないことじゃ」
「分かりました」
否応もなく、羊辛はあっさりうなずきます。妺喜に仕えることのできる歓びを現しているかのようでした。
羊辛が部屋を出ていくと、妺喜は人知れずふうっとため息をつきます。頭を抱えて、地面にへたり込みます。
「‥‥やりすぎた」
「‥‥じゃが、わらわはここで止まることはできない。これは必要な犠牲なのじゃ。そうじゃ」
絶対に。
絶対に、この夏の国を滅ぼしてみせる。
跡形もなく滅ぼしてみせる。
そのためには、どうしても子履には生き残ってもらわなければいけない。
あの夏台から生還してもらわなければいけない。
「子履よ。わらわはおぬしをも利用してやる。最低の女じゃ。夏や陛下とともに、わらわも
その目からは、ぼろぼろと大粒の涙が溢れていました。
握りしめた手には汗と涙が混ざり、べとべとに、地面に落ちていきました。
「わらわは夏をほろぼす。そして――わらわも、夏と運命をともにする」
◆ ◆ ◆
薛の国では、王の政務で忙しい任礼嬦を手伝うように、その伯(※長女)である
机にたまった書類をとにかく読んで、とにかく書いて、処理します。薛の国の各地から集まる陳情の決裁、そして人民からの提案。最近は冷害が何年も続いており、食糧難で飢えに苦しむ人民が多いのです。食料庫からどれだけ出せるか、よその国からどれだけもらえるか。
薛の国にも食料の要請は来ていました。他の国に食料を要請すればするほど、自分にも要請が来る。皮肉な話です。任絶伯はそれすらもきちんと決裁しなければいけません。
ふと、前方に人の気配を感じます。任絶伯はぴくっと反射するように立ち上がります。そこには、白い服を着て、耳の周りに白い毛を生やし、白いひげを生やした男が立っていました。
「あなたは‥‥?」
ドアが開いた音もしませんでした。足音もしませんでした。この人は
「わしは
「真人‥‥?真人が、この私に何の用ですか?」
「わしがこれから言うことは口外無用だ。誰かに言うなら、今すぐにでもお前を殺す」
任絶伯はこくんとつばを飲み込み、テーブルの端を握ります。
「お前の母――任礼嬦は、来年の早いうちに死ぬだろう」
「それは‥っ」
「そして、お前は薛伯になり、一週間ほどで死ぬ」
休む暇もなくどんどん話してくる広萌真人に、任絶伯は答えることができませんでした。思わずテーブルから手を離し、座り込みます。
「それは‥本当ですか?」
「間違いはない」
「なぜ‥言い切れるのですか?あなたは
「黙って聞け。いいか。お前の妹に仲虺がいるだろう」
「はい‥‥」
「お前の死とともに薛は滅ぶ。仲虺は何があっても絶対に死なせるな。お前の命をもってでも、仲虺を死なすな。それが、薛を復活させるための唯一の手段だ」
「この薛が‥滅ぶ‥‥」
石のように固まった任絶伯が、かろうじてわずかな力で口を動かします。
「口外無用だ」
言葉ひとつだけをぽつんと言い残して、任絶伯の目の前で、その老人はふっと消えました。
あとには、机からぼろぼろ落ちた書類に囲まれた任絶伯があるだけでした。
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