第197話 瓊宮と肉山脯林(1)

夏后履癸かこうりきは新しい宮殿の建設責任者として羊辛ようしんを任命しました。誰も反対しませんでしたので、夏后履癸は羊辛にいきなりお金を全部渡しました。

早速羊辛が設計書を持って、後宮に来ました。夏后履癸と妺喜ばっきは、渡されたその設計書を眺めます。


「宮殿は6階建て、金銀を装飾し、天下の芸術家を遠方からも呼び集めて様々な装飾を施す予定です」

「6階では低いのう。8階にできぬか?」

「はい、ただいま」


羊辛がその場で設計図にメモすると、妺喜の次は夏后履癸が尋ねます。


「それで、いつできるのだ?」

「はい、1年もあればできるでしょう」

「1年は長いな」


と言って妺喜を見ると、妺喜は「こんなものなら3ヶ月でできるじゃろう」と返しました。


「3ヶ月はどうかと‥‥せめて半年なら」


さすがの羊辛もそう返しますが、妺喜は首を振ります。


「おぬしは人をどこから集めるつもりじゃ?まさかこのの国の中だけから集めようというのではないか?そんなことはない。諸侯がおるではないか。人員を提供してもらうのじゃ」

「諸侯は確かにわれわれ夏に朝貢ちょうこう(※年一回諸侯が夏に贈り物をし、服従を誓うこと)しているが、夏の直轄の家来というわけではない。そこまで求めることができるだろうか」

「何を言っておるのじゃ。これも朝貢の一種なのじゃ、わらわたちは朝貢の量を少し増やしてもらっているだけなのじゃ。遠慮せずともよい」

「なるほど。だが拒絶する国が出たらどうする?不公平だろう」

「次の朝貢で送ってもらう宝物の量を倍にしてもらえばいいのじゃ。それでも従わなければ、夏に従わない反逆者じゃ。岷山みんざん蒙山もうざんと同じ運命にすればよい(※攻め滅ぼす)」

「なるほど。羊辛、いまのを聞いていたか?早速手配しろ」


こうして羊辛の命令のもと、あちこちの国から人がかき集められ、用地も整備して早速建設が始まりました。各地から質の良い木材、芸術家たちもかき集められました。

人々は1日20時間働かせられ、足を止めると鞭で叩かれ、少しでもよろめくと叩かれ、少しでも休もうとすると叩かれ、ものを落とすと叩かれ、失敗すると叩かれ、動けなくなった人はほしにくとなり食材として供され骨は壁に埋められました。やがて毎週1割くらいが死ぬようになりましたが、不足分は周囲の国からどんどん引きずり出されました。


そんなかたわら、また後宮に羊辛がやってきます。建設は順調という話が耳に入っていましたので、夏后履癸も妺喜も満面の笑顔で宴の用意をして、羊辛を招き入れます。

羊辛をさまざまに褒め称えましたが、羊辛は気まずそうに酒をちびちび飲んでいます。


「どうした?建設は順調じゃないか。お前が気にすることなどなにもないだろう」

「それが‥‥この建設の件について、しょう伯から手紙が来ております。陛下を誹謗する内容でございます」

「何だと?」


羊辛はその竹簡を取り出して読み上げます。


『夏王さま、おそれながら提言します。無辜むこの人民を飢えに追いやりながら豪華な宮殿を建てるのは、死屍に鞭打つようなものでございます。このようなことがあると、夏は人心を失うでしょう。その昔、ぎょうの子に丹朱たんしゅがいました。しゅんはこれに帝位を譲ろうとしましたが私利私欲にまみれた人だったため、諸侯は彼を驩兜かんとう(※四凶のひとつ)と呼んでこれに従わず、ついに放逐されました。舜の時代、縉雲しんうん氏(※貴族の家系のひとつ。炎帝えんてい神農じんのう氏の末裔)に不才子がおり饕餮とうてつと呼ばれましたが、これも人の財産をむさぼり人々を苦しめていたため、僻地に追放され、魑魅ちみ(※山林のよくない気によって生まれる人面獣身、四足の妖怪)と戦わされました。かつてのてつから学ぶことは、夏が困難を克服するために必要不可欠です。どうか思い止まってください。我が国は、人民を殺傷するようなことはできないため、協力できません。その代わりといってはなんですが、伊摯いしを夏の家臣として重用してください。彼女の識字能力は低いですが、私が喪に服している間に努力して克服し、それのみならず内政で功績を上げ周囲を驚かせました。まだ未熟ですが、商で優れた臣の一人です。強い王には優れた家臣が必要です。どうぞご検討‥‥』

「もういい」


そう言ったのは妺喜でした。


「まだ手紙は終わってないだろう」

「だから、もういいと言ったのじゃ。くだらぬ茶番に付き合うほど、わらわたちも暇ではない。そうじゃろう?」

「それはそうだ」


夏后履癸はため息を付いて、椅子にもたれました。


「商伯は陛下を驩兜、饕餮に例えたのじゃ。今すぐにでも商を滅ぼすべきじゃ」

「いや‥‥耳触りは良くないが‥‥」


夏后履癸の様子がおかしいです。歯切れが悪いです。いつもなら怒鳴り散らかすはずなのに、今日の夏后履癸は気持ち悪いほどおとなしいです。もしやと思い、妺喜は羊辛に「それをよこせ」と言います。

竹簡を受け取ったとき、妺喜は目を大きく見開きました。魔力を感じます。あんの魔法ではありません。こうの魔法でもありません。何か‥‥未知の何かが、この手紙にかかっています。妺喜はテーブルにぶつけた手を、強く握りしめていました。


「早くこれを従者に渡して燃やしてもらうのじゃ」

「で、でも、もう1つございます。せつの国からです」

「どのような内容じゃ?」

「同じような内容です」

「構わぬ。読み上げるな。燃やせ」

「は、はい」


羊辛がその手紙を従者に持っていかせて席に戻ったところで、妺喜は「さて」と再び立ち上がります。


「ひとつ余興があるのじゃ。古い民謡と踊りを覚えたのじゃ」

「おお、いいではないか。見せてみろ」


妺喜は民謡と偽って呪文を唱えながら鋭い目で2人を見ます。洗脳が解けかけています。こんなことなど、今までなかったのに。いきなり完全に洗脳すると面倒なことになるので、少しずつゆっくり洗脳してきたというのに、これでは台無しです。もう一度最初から妺喜の意思を覚えさせなければいけません。妺喜は舌打ちをしました。

それにしても、この手紙にかかった魔法。闇の洗脳を解くほどの魔法は、どの属性にも存在しません。光の魔法は他の五行をあわせたものに過ぎず、商伯子履しりにこんな魔法を使うことはできないはずです。一体誰がこんなものをかけたのか。この魔法は一体何なのか。


踊りを終わらせると、妺喜は席に戻って夏后履癸に擦り寄ります。


「それで、商伯と薛伯の2人はどうするのじゃ?このようなものを放って置いては、いずれ他の国も同じように反抗するじゃろう。家臣はともかく、国には独自の兵力もおる。家臣より面倒なことになるのは明らかなのじゃが」

「そうだな。では討つか」


そこで妺喜は首を傾げ、「うーん‥‥」と小声を出して考えます。


「‥‥薛はそれでよいじゃろう。薛の王族はみなごろしがふさわしいじゃろう。じゃが商の罪は五岳ごかく(※道教の聖地。仙人・真人が多い)を超え、五海ごかい(※中国周辺にある5つの海。黄海こうかいもこれに含む)より深いものじゃ。死を超える苦しみを与えるべきじゃ。人民の想像を超える処罰こそが、いま王に求められるものじゃ」

「その通りだ。それで、具体的に何をする?」

「簡単なことじゃ。夏台かだい(※夏の牢獄)に閉じ込めればいいのじゃ。そして‥‥」


妺喜がひそひそと夏后履癸に耳打ちすると、夏后履癸も「それは楽しそうだ」とうなずきます。

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