第196話 關龍逢の最期

「こんな粗末な宮殿は何だ。わしの家はもっと豪華でなければならない」


夏后履癸かこうりきがこんなことを言い出すのも、家臣のほとんどは予期していました。しかし意見は半分に割れます。他国に亡命した人を埋めるように新たに採用された家臣たちは、身分のために親を人質に出すような人たちです。に忠誠などあるはずがありません。


「ここ数年の冷害で、飢えている民が街角に多く出ている現状で、新しい宮殿を建てるべきではありません。必ず民の反発を買うでしょう」

「ならあなたは1人でも飢えている人がいたら建てるなとおっしゃるので?災害のない通常時にも、金なく飢える人はどこかにいるでしょう。それでは永遠に何もできませんよ」

「大体、材料やお金はどこからとってくるのですか?」

「周囲の国にも協力を要請しましょう」


両者の話がなかなかまとまらないのを見ると、夏后履癸は隣りに座っていた妺喜ばっきに尋ねます。


「とりあえず反対してる奴らを全員死刑にすればいいのか?」

「うむ。陛下に反対する者はみな、夏に不満を持っている反乱分子じゃ。今のうちに始末しておけば夏も安泰じゃろう」

「そうだ、そうしよう」


その返事があまりに軽いので、反対していた人たちは口をつぐみ、じりじりと後退してしまいます。しかし夏后履癸はまた、首をひねりました。


「そういえば、お前‥‥關龍逢かんりゅうほうの意見をまだ聞いていなかったな」


夏后履癸の一番近くに立っていましたが今まで何もしゃべっていなかった關龍逢は、急に話を振られてぴたりと固まります。


「どうした、お前も反対するのか?」

「い、いいえ、めっそうもございません。私は賛成でございます」

「そうか、うむ、よかった。では反対派は全員殺しておけ」


家臣たちが顔を真っ青にして一気に關龍逢に視線を集めますが‥‥關龍逢はうつむいたまま、何も言いません。


◆ ◆ ◆


またテーブルに盃を思いっきりぶつけて、顔を赤くした關龍逢は何度もテーブルを平手で叩いていました。


「また‥やってしまった‥‥」


この家には、給仕以外誰もいません。めぼしい家族は人質にとられるか里帰りし、そして息子も処刑されました。ここ最近の關龍逢は、人を遠ざけ、部屋に1人こもっていました。


楽景がくけいも、由子道ゆしどうも、私が殺したようなものだ。あいつもこいつもみな、私が止めていれば‥‥」


誰に言うでもなく、ただ薄暗くて狭いその部屋で、關龍逢はやり場のない気持ちを吐いていました。しかし吐いたところでどうにもなりません。寂しさと怒りと絶望が加速するだけです。


ふらりと外を歩いてみます。街の大通りにはあちこちに、壁にもたれてくったり座っている人達、立派そうな服を着ている人に物乞いする人達で溢れていました。そして、死体がばらばらに散らばっています。もっとも死体なのか死にかけの人間なのか、よく見ないと分からないレベルの人も多いです。

もちろん關龍逢にも物乞いの声がかかってきました。關龍逢が何も言わなかったので従者が適当に追い返しますが、気晴らしに散歩できるような街ではもはやなくなったことは明らかでした。


散歩を早々に切り上げようと歩く向きを変えた關龍逢に、すぐ目の前の道で倒れていた乞食が、かすれかすれの声で言いました。


「あんたさん、貴族だろ‥?」


關龍逢は返事しませんでした。


「見たところ、貴族の中でも立派だ。朝廷に出ているのだろう?」


また返事しませんでした。


「王になんとか行ってくれよ。わしたちがこんなに苦しんでいるのに王は贅沢三昧だ。毎日食べるおいしいものを、少しでもこっちに回してくれよ」


關龍逢は一切返事をしませんでした。そのままその場を立ち去りました。


◆ ◆ ◆


宮殿の後宮からまたちょっと離れた場所、牢獄のそばに、大きめの建物がありました。ここは昔使っていた建物ですが、今はもっぱら、家臣がに仕えるための人質として連れ去られた人達が収容される場所になっていました。

門番の兵士に金を渡すと、『気を使って』指定した人と面談させてくれます。その狭い一室に通された關龍逢は、テーブルの向かいに座ってきた男を見て愕然としました。以前見たときよりやせ細っていて、無精髭も増え、手も腕も頬もぼろぼろで、衰弱しているようでした。それを気づかせないような笑顔すら、無理に取り繕っているようで痛々しいです。


「食事は?」

「‥はい。最低限はとらせてもらっていますよ。父上」


彼は、關龍逢が夏の家臣として勤める代わりに人質として提出していた、關龍逢の子で処刑された關均の父にあたる人物でした。その身なりを見ても、ここにいる人質たちも同じような扱いを受けていることは想像に難くありません。しかしそれを質問する時間はありません。お金を渡した兵士の『好意の上で』面談『させてもらっている』立場なので、時間も惜しいです。詳しく聞きたい気持ちはありましたが、關龍逢はそれをしませんでした。


「お前はどうしても死にたくないか?生きてまだやりたいことはあるか?」


しかしその答えは意外なものでした。


「父上にはやりたいことがあるのでしょう。なら、やってください。やらなかったところで、私の生活が良くなるわけでもありませんからね」


關龍逢は言葉を失いました。今目に見えている身なりだけでも相当に衝撃的ですが、実は隠しているだけで裏でも何か醜悪なことをされているのでしょうか。笑顔の中にある尖るような鋭い瞳が、それを物語っていました。


關龍逢はそれから先何を話したのか記憶にありません。気がつくと、その建物の外にいました。


「楽景の時はまだ人質などなかったのに。あのときに言っておけば、人質が殺されることなどなかっただろう」


従者にしか聞こえないようにとりとめもない感情をつぶやいて、帰途につきました。


◆ ◆ ◆


斟鄩しんしんを離れる賢臣を何度も見ました。斟鄩に入ってくる悪臣を何度も見ました。ここに賢臣良臣の居場所はありません。しかし關龍逢は、夏后発かこうはつから夏后履癸の補佐を頼まれた身。ここで言わないわけにはどうしてもいきません。

ある時、朝廷に夏后履癸が出席したのを見ると關龍逢は中座し、宝物庫から黄図こうずと呼ばれる、地理や宮殿を記録した地図を持ち出してまた戻ってきました。朝廷では、新しい宮殿をどこに建てるか、予算は、人は、という具体的な話がもう始まっていました。そこへ現れた關龍逢は黄図を広げて、叫びました。


「陛下。夏の版図はこれだけあります。それだけ多くの民を治めているのです。陛下の行動ひとつで数万の人民が死に、もうひとつの行動で助かるのです。今は宮殿を作っている場合ではありません。そのためのお金を人民に回せば、助かる者が多くいるのです。なぜそれをしないのですか?」

「ほう、そういえば夏にはこれだけ広い領土があるのだったな。さっきまで資金や資源で話し合っていたのだが、その手間も省けた。各地から徴収すればいいだろう」

「陛下、聞いているのですか?無駄な宮殿建設は今すぐやめ、心を入れ替えて人民のための政治をすべきです」

「まるでわしが人民のために政治をしていないような物言いだな。わしは人民の上に立つものとして、その威厳を天下に示し、人民は誰に従うべきかを天下に示すのだ。支配者が明確になれば世の中は平和になる。それこそ人民のためというものだ。この乱れた世の中において、わしが強大な力を持つことを示すべきであることは、誰の目で見ても分かるだろう」


夏后履癸はすぐそばの妺喜ばっきを抱きながら、鼻くそをほしっています。すぐに兵士たちが關龍逢を捕まえます。

そこで、そばにいた妺喜がささやくと、夏后履癸は「うむ、そうだ、その通りだ」とうなずきます。


「お前はわしを中傷した。だがお前には、この国に大量の資源があると気づかせてくれた功績がある。それは認めよう。褒美にお前を地図にしてやろう。体を切り刻み、並べ替えて、新しい地図として飾ってやる。体が地図になるのだ。どうだ、もっと喜ばんか?」


關龍逢は生きたまま体を切り刻まれ、肉片を干したものを夏の領土の形に並べられ、地図にされました。心臓は斟鄩に、肝臓は陽城ようじょう(※夏の第二の都市で、斟鄩のすぐ東にある)に、肺は帝丘ていきゅう老丘ろうきゅう(※いずれも夏の東のほうにある都市)に配置されました。その地図は額縁に入って大広間に飾られ、夏の版図と威厳を示すものになりました。

当然のように關龍逢の子も宮から連れ出され、殺されました。

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