第187話 悦酔の刑
その親戚も正月の宴会で不在です。空っぽの屋敷の中で、由崇は迷わず關均を自分の部屋に通します。
「どうしたどうした、關均も親が恋しくなったのか?」
「お前が言うと冗談にならないからやめてくれ」
岐倜よりは話しやすい間柄です。由崇は親の死から立ち直ったらしく、気丈に振る舞っています。しかし足音はおぼつきません。父親は重罪人のため、葬儀も祭祀も許されず、その表情にはどこか闇を漂わせていました。
「お前は妺喜様についてどう思う?」
「妺喜様って、あの最近
「そうじゃない。あの妺喜様が来られてから、陛下はおかしくなられたんだ。無実の罪で家臣を殺し、あまつさえあんな刑罰まで。お前は妺喜様が原因だと思うか?」
「なんとも言えないな。陛下の素行にも前兆はあっただろう」
「確かにそれはそうだが、妺喜様が来られてから急速に悪化しておられる。やはり何かが影響しているに違いない」
それを聞いて、由崇は黙って考え込んでしまいます。
「俺にそんな話をしたところで、具体的に何をどうするのだ?」
「ああ、実は岐倜からこの話を聞いて、気になっていたところなんだ。よかった、私が間違っているわけではなかったんだ」
關均はそう言って帰ってしまいましたが、今度は屋敷に残った由崇が面白くありません。だいいち、由崇は親を
もともと由崇にも、妺喜に対する疑義はありました。父親が鋳腑で殺されたと聞いて、斟鄩を離れたいと願ったこともありました。親戚に押し切られる形で斟鄩から離れることはできませんでしたが、ずっと不満がくすぶっていました。朝廷のときにも妺喜はずっと
賄賂を使って刃物片手に後宮に忍び込み、使用人たちの目を避けて廊下に置かれている樽に隠れようとしますが‥背後の曲がり角からも足音がしてきたのでとっさに樽の中に入りました。しかしすぐに、悲鳴とも歓びともおぼつかないような声が聞こえてきました。酒が入っていたのです。
すっかり酒ぴたになってしまった由崇は、關均や岐倜のこと、手に持っていた刃物の使い道について簡単にしゃべってしまいます。使用人たちはそれをすぐ夏后履癸に報告します。
「子供のやることだ、そんなものはどうでもいいだろう」
食卓の席に座っていた夏后履癸は一笑に付しましたが、隣りにいた妺喜がすかさずツッコミを入れます。
「もしその子供が成長しても変わらず恨みを抱いていたら、大変なことになるのじゃ。由崇ももう物心のついた歳じゃ。子供と思って油断すべきでない」
「確かにその通りだ。大人と同じ刑罰を適用しよう」
使用人は「はい」と言ってその場を離れようとしますが、とっさに妺喜が「待て」と言います。
「子供が酒樽に入っていたと言ったな?」
「はい」
「いいことを思いついた。陛下、どうじゃろうか。わらわは楽しい見世物を思いついた。どうせ死ぬのなら、娯楽にしても一緒ではないか。あさってまで待ってくれ。そうすればわらわがとびきりの余興を提供してやろう」
夏后履癸は「わかった、わかった」と笑顔ですんなりうなずいてしまいます。
◆ ◆ ◆
そして2日後、後宮の庭には池が掘られ、その中が酒でいっぱいになり、そして關均と由崇が入れられていました。胸までつかるほどの深さです。2人とも剣を持っていますが、酒のせいで足元がおぼつかない様子です。
ちなみに岐倜は、夏后履癸のお気に入りの家臣である
「お互いで決闘をして、生き残った方を無罪にしてやる」
池のすぐそばに立派な椅子と食卓を据えている夏后履癸が、高らかに宣言します。食卓には食事が並べられ、夏后履癸も妺喜もそれをおいしそうに食べています。
2人の殺し合いが始まりました。足元はふらふらしていますが、酒に理性を奪われとにかく突っ刺します。声にならない声を上げて、体を刺されても痛みを感じる素振りも見せず、笑いながら、泣きながら、狂ったように刺します。酒が血で赤く染まりますが、それでも2人は笑いながら楽しそうに、お互いの体を突き刺します。
「酒はおいしいのじゃ」
食事を進めて酒を少し飲んだ妺喜が夏后履癸に言うと、「ああ、おいしい」と笑いながらうなずきました。
「世の中にこのような余興があったとは。ただの剣舞や戦場ではこのような戦いは見れないだろう。生を賭けた、命の殴り合いというものだ。妺喜はよく素晴らしいものを思いついたな」
「恐縮なのじゃ」
「おらっ、刺せ!もっと刺せ!」
夏后履癸も興奮してあおります。言われなくても2人は、記憶なんて全部忘れて、わははと笑いながらお互いの胸や腹を刺します。
やがて片方が死んだようで、池に浮かびました。もう1人も「やったー!」と楽しそうに叫んだ後、池から出ようと歩きますが足元がおぼつきません。おっと、転んだようです。顔が酒の中に入りました。そのまま溺死したようで、ぷかーっと池に浮かんでいます。
「どうじゃ。片方を許すと言っても、死闘のあとにはこうして勝手に死んでくれるのじゃ。われわたちは手をかけることなく、この余興を楽しめるのじゃ」
「酒に強い場合はどうするのだ?」
「わらわに薬のアイデアがある。この薬を池に混ぜれば、酒を飲むよりも遥かに強く酔うことができる。受刑者にそういう人がいたら混ぜるようにしよう」
「分かった、分かった。これは実に素晴らしい余興だ。もっと見たい。なあ、この刑はどういう名前にするのだ?」
「
真っ赤になった池を指さして、夏后履癸は笑いながら酒を飲みました。
◆ ◆ ◆
一方の岐倜は屋敷で謹慎していましたが、使用人から2人の死に方を聞かされます。
「鋳腑か‥‥悦酔?何だそれは」
使用人から説明を受ければ受けるほど、岐倜は背筋が凍るのを感じます。使用人を部屋から追い出した後、岐倜はただ1人、冷や汗をかきながらつぶやきます。
「あの2人がそのような刑を受けて私だけ生き残ったとなれば、私は永遠に人々から恨まれよう」
そう言い残してそこにあった短剣に手をかけますが、その時に後ろから急に「待て」という声がします。父の声ではありません。振り返ってみると‥‥完全に知らない男が立っています。しかし白い服を着ていて、見たところ仙人か何かのようでした。
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