第185話 法芘の亡命
さて、
「わしは当人や遺族に配慮した画期的な刑罰をおこなったつもりだ。それが理解できない家臣など必要ない。逃げるものは全員鋳腑に処してやる」
「父上、これ以上やりますと命をとしてでも逃げる人が増えます」
「確かに頭のおかしい家臣は何をやるか分からないからな」
夏后履癸が少し困った顔をすると、妺喜が横から助言します。
「人質をとるのはどうじゃ?人質もみな、当人と同じ鋳腑の刑に処するのじゃ。家臣全員の父親を人質にとり、父のいない者は母親をとり、母のいない者は妻、兄弟や子をとればいいのじゃ」
「なるほど、その通りだ。逃げ出すやつはこれでいなくなるだろう」
「父上、それはもっと‥‥」
「なんだ
「いえ‥‥」
夏后淳維はまた黙ってしまいます。このところ、2人は同じようなやり取りを何度か繰り返していました。
「分かったらこれを家臣どもに伝えろ」
「分かりました」
こうしてこのお触れが出されました。
◆ ◆ ◆
ドアを開けると、父はいつも通り椅子に座って読書をしていました。法芘は、いつもならもっと丁寧に接するところでしたが、このときは突っ立ったまま用言を話します。
「父上。これから
「うん‥‥?俺も行くのか?」
「はい。大切な用事です」
それで父親は本を置きます。
「どうした、旅行か。持病の薬もあるのだから、事前に言ってくれ」
「それは道中で調達しましょう」
「そんなに急ぐことなのか?お前のような一介の家臣が、商にそのような縁があったか?」
「父上。今日中にここを出なければいけません。さもなければ、この夏の王は明日にでも父上を捕まえに来るでしょう。商伯(※
「陛下だろう、陛下と呼びなさい‥‥ああ、分かった」
悟ったのか、父親は立ち上がると本を棚に戻し、「この本も持って行ってくれるのか?」と聞きます。法芘がそばに控えていた使用人に「許しはもらった、始めてくれ」と言うと、使用人が何人か部屋につっこんできて支度を始めます。
「お前は昔からそういう奴だった。普段のらりくらりと過ごしているが、このようなときは強引だ。また変な
「いいえ、これは占卜も少し関わりますが‥‥現実に起きたことです」
「一応、話は聞こう」
使用人が支度しているのを眺めながら、父親はため息をつきます。法芘は説明を始めます。
「鋳腑の刑の話は聞いておりますか?」
「ああ。昨日、
「それによって逃げ出す家臣が続出したのは聞いておりますか?」
「ああ、そりゃ臆病なやつは逃げるだろうな。普段から品行を正していれば問題はないだろうが」
「その対策として、王が家臣全員の親を人質として差し出すよう、触れを出したことは聞いておりますか?」
さすがの父親も少し黙って、じろじろと法芘のなりを見ます。
「それは初耳だ」
法芘はふっと笑うと、父親に向かってゆっくり歩きます。
「でしょうね。もとより王は、気に食わないことがあると簡単に追い出すような人間でした。それが最近はとりわけひどく、些細なことで
「
「あんな遠方にいれば、返事を待っていては間に合わないでしょう。一応手紙は出しますが、我々だけでも先に」
「わかった。好きにしてくれ。ちょうど、お前なんかの親をやっていては命がいくつあっても足りないと思っていたところだ」
「ありがとうございます」
と言って、法芘は頭を下げます。
こうして法芘たちの一行も旅商人たちに紛れて、斟鄩を出ていきました。この一行は
「お前たち、商人か?それとも亡命でもするのか?どこへ行くんだ?」
「あっ、誰かと思えば法芘か。商に向かっているんだ」
「商?なんでまた?」
「なぜもなにも、法芘が俺と商王(※このとき
これを聞いて法芘は内心しまったと思いました。その人と適当に話を済ませて別れると、法芘は「皮肉とは、こういうことを言うんだな」とつぶやいて自分の馬車に戻ります。
一体何人を子履と会わせたでしょうか。悪臣やよっぽとの重臣以外は、斟鄩につとめている人の3割から5割くらいを会わせてしまいました。夏の宮殿で噂になっても仕方ないでしょう。法芘はため息をついて、馬車を進ませます。他の馬車もそれについて、商に向かって進みます。
◆ ◆ ◆
法芘の読み通り、斟鄩を抜けた翌日に夏后履癸は対策を取り始めました。多数の兵士を動員して、屋敷という屋敷から人質を連れ出します。斟鄩の門に何人もの兵士を配置します。翌日以降、亡命する家臣たちはぴたりと消えました。
これを聞いた妺喜は、今度は
「へえ、何か御用でございますか?」
岐踵戎は及び腰でした。実は岐踵戎、あれだけのことをしたものの、なぜか妺喜が自分に恨みを持っているか少し気にして、距離を取っていたのです。ここ最近、夏后履癸のご機嫌を取りに行ったこともほとんどありません。
妺喜はあくまで、何も思っていないとアピールしたいと言わんばかりに、フランクに接します。
「そういえばわらわがここに来てから、おぬしとちゃんと話すのは初めてだったな。おぬし、商取引に興味はないか?」
「商人は金のあるところにたむろしますからねえ」
「人質の商売でも始めたらどうじゃろうか?」
「なるほど」
岐踵戎はいいことを聞いたと笑って、後宮を出るとすぐに手配を始めます。何人かの斟鄩を出たそうにしている、お金を持っていそうな家臣に、手下のものを通して近づきます。たんまりお金をもらうと人質をこっそり解放して返します。また一人、また一人、お触れを出した当日には遠く及びませんが、亡命する人が少しだけ出始めました。
妺喜は窓越しに斟鄩の街を走る多数の馬車を見て、ほほえみます。家臣が減れば、夏は人材不足に陥ります。そのため、あの手この手を使って人を増やそうとします。そこには、賄賂も、
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