第184話 鋳腑の刑

それからいくばくかたった建申けんしんの月(※グレゴリオ暦8月相当)のある日、これまた珍しく朝廷に出た夏后履癸かこうりきは、「お前ら、これから芸術というものを見せてやる」と言って、そこにいた家臣たちを集めます。

夏后履癸はそんなことを言うような人ではないのですが、またなにか変な趣味に目覚めたのでしょうか。家臣たちは言われるがままに、宮殿の玄関前の大きな広場の隅に連れて行かれます。そこで見たものは、コの形の木の置物に逆さ吊りにされた、全裸の男でした。髪の毛が逆だっていて顔立ちは分かりづらいですが、よく見ると、風普ふうしんでした。その背後には3段くらいの小さな階段が置かれていて、そばにいた兵士たちは、真っ赤でどろどろ溶けている何かに、とにかく火をかぶせて温めていました。


「あれは何ですか‥‥?」

「鉄だ。あれをこの男の穴に入れて、六腑ろっぷ(※胆・小腸・胃・大腸・膀胱、そして架空の臓物である三焦さんしょうをあわせて六腑という)の型を取る。人の体の中に六腑が入っていることくらい分かるだろう。お前たちも自分の六腑の形を知りたいと思ったことは一度くらいあるだろう」(※実際の古代中国ではこの時代に鉄は存在しなかったと考えられるが、本作ではすでに存在するものとして扱う。第1章第20話も参照)


その一言だけで家臣の大半数が一歩くらい後ろに下がります。それでも夏后淳維かこうじゅんいがおそるおそる聞いてみます。


「父上、そのようなことをしたら、死ぬではないですか‥‥?」

「ああ、これは大辟たいへき(※死刑)だ。鋳腑すふの刑と名付けた。だが、生き残るようなことがあれば無罪放免にすると言ってある」

「いくらなんでもこれはあんまりでは‥‥」

「六腑の型が芸術的な位牌として世の中に残るのだから、名誉なことだ。受刑者に配慮した画期的な刑だ。過ぎたことか?お前は皋陶こうようにでもなったつもりか?(※皋陶=五帝であるぎょうしゅんの臣で、公平な裁判を行った人物として知られる)それとも、お前もこれを受けたいのか?」

「いえ‥‥」


さすがの夏后淳維も後ろに下がってしまうと、夏后履癸は何歩か前に進み出ます。そして、逆さまに吊るされた風普に聞きます。


「お前は反乱を企てた。大辟は大辟でも、お前の体の一部が芸術作品として後世まで残るのだ。これはお前の子孫にとっても誉れ高いことだろう。気分はどうだ?」

「陛下、このようなことをしては人心を失いますぞ!私1人のありもしない罪を問うよりも、さらに重大な結果として返ってきますぞ!」

「黙れ。誰がこの国の行く先を知れるというのだ。卜いで国をたぶらかそうとしたのはお前ではないのか?人心を乱した罪を受け入れよ」


夏后履癸がそう怒鳴って、片足で地面を叩くと、兵士たちはおそるおそる、しぶしぶ、鉄を溶かした真っ赤な液体を一気に容器に入れて、持ち上げます。溶かした鉄に耐えられる容器の材質はアルミ、炭化ケイ素がありますが、どちらも製造に電気を使うのでこの世界では作り得ないものです。かろうじてきんの魔法で既存の金属を超強化して作っているのですが、それでも鉄に耐えられる時間は限られています。この刑罰のためだけに容器を用意するのも、金属や資金の無駄遣いに相当するものでした。

階段に上った兵士は、溶かした鉄を風普の肛門に流し込みます。もちろん狭い門にすっぽり入るわけがなく、大部分はお尻や背中を伝います。白い煙がわんざか盛り上がります。風普の断末魔の悲鳴がとどろきわたります。


家臣たちはみな、ぞっと顔を青ざめて、夏后履癸をちらちらと見ながら体を硬直させていました。肛門に入ったかも分かりませんが、入れようとした行為そのものが、断末魔の悲鳴の原因を知るには十分でした。耳をつんざくような激しい声が、そこにいた家臣たちの耳に残ります。唯一の幸いは、白い煙が大量にわきあがったため、風普の皮膚を見ずに済んだことです。それでも溶かした鉄の放つ赤い光は、今それが風普のどこをむしばんでいるかを煙越しに物語っていました。


背中だけでは足りず、腹、胸を伝います。どろどろと流れていきます。悲鳴の声も小さくなりました。それはむしろ、この世のものとは思えないほどの声よりも恐怖を感じさせるものでした。赤い液体が、ぽたぽたと地面にしたたり落ちます。体のどの部分から落ちてきたのか、家臣たちは考えるのをやめました。

悲鳴が完全に止みます。白い煙が晴れます。四肢はまだ人間の形をしていましたが、胴体は見るも悲惨なおぞましいものでした。とんでもない異臭が漂います。鉄はすでに赤い輝きを失い、銀色に光りつつありました。


「どうだ、見たか。わしに逆らったものは、この鋳腑の刑を受けることになる。よく理解しておくように」


夏后履癸は自慢げにそう言った後、「冷やしてからから鉄を取り出せ、遺族に渡してやるのだ」と付け加えました。


◆ ◆ ◆


その翌日、妺喜ばっきのもとに面会に来た人がいました。客間で豪華な椅子に座る妺喜にはいをしたのは、羊辛ようしんでした。


「初めまして。かん左相を補佐している、姓をよう、名をしんと申す者です」

「うむ、おぬしの顔は朝廷で何度も見ておる。おぬしが何の用じゃ?言っておくが、陛下のそばから離れろという話ならできぬ。わらわは陛下に逆らえないのじゃ」

「いいえ、これは妺喜様が自分でお決めになったことに関する話でございます」

「それは何じゃ?」

「鋳腑の件でございます」


妺喜は最初から用件を分かっていました。とぼけるのも大変だと、小さくため息をつきました。


「鋳腑とわらわに何か関係があるのか?」

「あの刑は妺喜様がお考えになったとお聞きしました」

「ああ、そうか。稚拙で軽い刑だからもっと重くしてくれとでも言うのか」

「単刀直入に申し上げます。あれはやりすぎです」


羊辛は、鋭い目で妺喜を見つめます。明らかに、このの国を守りたいという固い決意が込められていました。


「妺喜様も長くこの国にとどまりたいとお考えなら、陛下のご威光が失われないようご配慮いただく‥‥すなわち、残酷な刑罰をやめ斬首その他の従来の刑罰を用いるべきでございます」

「うむ‥‥」


妺喜は椅子の肘置きを使って頬杖を作ると、しばらく考えるふりをします。

羊辛は羊玄ようげんの子として、そして自身も善政を望む素晴らしい家臣として、多くの家臣から尊敬されています。そのような存在は妺喜にとって邪魔です。いっそ羊辛も排除しておきましょうか‥‥いえ、羊辛からは羊玄ほどの強い魔力は感じません。羊玄が強すぎるのです。志は一人前ですが、それ以外は未熟なひよっ子ということでしょうか。妺喜はひとつひらめきます。


「おぬし、これから時間はあるか?大辟について、詳しく考えを聞きたい」

「はい。そんなことであればいくらでも」

「うむ。ではそこ、お茶を持って来い」


と言って、そばにいた従者に目配せします。この従者は妺喜に洗脳されていて、嬴華芔えいかき帝丘ていきゅうへ送ったあと戻ってきていました。

しばらく話しながら、従者の持ってきた紅茶を飲ませます。羊辛はすぐ眠くなったようで、立ち上がって何か言うのもむなしく、そのまま倒れて眠り込んでしまいました。妺喜は従者とともに念入りに、誰かに覗かれていないか確認し終わった後、羊辛に向かって呪文を唱え始めます。

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