第183話 風兄弟の処刑(3)

馬に乗って戻った風普ふうしんは馬を適当な場所に隠すと、兵士たちの隙を見つけて裏門から屋敷に入ります。西洋風の一般的な屋敷なので、柵をよじ登って入るのは難しく、必然的に出入り口は門に限られるのです。屋敷にはいくつかの門がありますが、それを十分にカバーできるほど十分な兵士が揃っていないようで、外から伺う分には楽に入れます。

屋敷から少し離れたところに祖廟そびょうを見つけ、風普はその中に入ってせきに手を付けます。祏は1人で持ち運ぶこともできなくはないですが、兵士たちの監視がある中では困難でしょう。風普は舌打ちをして祏の蓋をあけると、中から位牌を取り出します。細長い木の平らな棒のようなものです。


さて、位牌を取ったら取ったで、この屋敷から逃げなければいけません。風普は屋敷の中から様子をうかがって、兵士たちの隙を見つけて門から走り出します‥‥が、すぐに「止まれ」と声をかけられます。気づくと、兵士たちに囲まれていました。

そこへ馬に乗った男‥‥おそらくこの兵士たちのリーダーでしょうか、その人に怒鳴り込まれます。


「何をしている」

「自分の家に戻って自分のものを取っただけだ」

「どこへ行く?」

「お前に教える義理はないだろう」


しかし兵士たちは包囲を解きません。この馬上の男は、さらに「ここから逃げるつもりだろう」と聞きます。


「逃げる?なぜ家から出るだけで逃げることになるのだ?私は特に罪を得たわけでも、罪人をかくまっているわけでもないだろう」

「何が何でも、お前をここから出すわけにはいかない」

「へえ」


こうなってしまっては仕方ありません。不作法ではありますが、魔法を使うしか手はありません。風普は呪文を唱えます。周りにあった水蒸気が集まって、一本の槍を作ります。それがさらに膨れ上がって、凍ります。氷の槍が馬の頭に向かいますが‥‥途中でぽきっと折れます。


「なに!?」

「悪いな、俺はの属性だ」


男がそう言うやいなや、粉々に割れた氷が次々と地面の土の中に取り込まれてしまいます。同時に地鳴りがしたかと思うと、風普を取り囲むように周りの地面から土の壁が、音を立てて盛り上がります。


◆ ◆ ◆


その3日後、妺喜ばっきとべたべたとはいえ珍しく朝廷に姿を現した夏后履癸かこうりきは、面倒そうに家臣たちの提案を次々と決裁していました。そこに夏后履癸の意見は一切ありませんでした。これまでは、たとえいくら面倒でも一口二口挟んでくるものでしたが、今日は一度もありません。家臣たちはさすがにそれを訝しむのですが、原因は大体分かりきっているのでそれ以上は何も言いません。

朝廷も後半にさしかかったところで、今度は罪を犯した貴族やその家族の処遇をどうするかというところにきました。


「3日前に風普が逮捕され、処分待ちです」

「おう、あの反乱者の弟か。殺せ」


風䅵ふうしゃくが理不尽に処刑されたという噂は家臣たちみな承認していましたが、すでに刑を執行されたということは、その疑惑は正しいものであると公式に認められたようなものであるので、この処刑を今更否定するのは、罪人がよほどの人徳者でもない限り反乱者に加担すると見なされても仕方のないことです。誰もそれに口を挟むことはできませんでした。

‥‥しかし、1人だけ口を挟んだ人がいました。夏后履癸のすぐ隣にいる妺喜ばっきです。


「陛下、待て」

「どうした。妺喜、あの反乱者に同情するのか?」

「いや、同情ではないから申し上げているのじゃ。確かにあいつは重罪人であるから、大辟たいへきがふさわしいであろう。じゃが、ただ普通にくびきりにするつもりなのか?」

「というと?」

和弇かかんは朝廷を襲撃し、終遷しゅうせんは簒奪を企てた。ここ最近、立て続けに事件が続いているのじゃ。これまで通り大罪に見合わぬ優しい方法で処刑すると、さらに新たな事件が誘発されると、そう思わぬか?」

「確かにそれはそうだ」


ここで妺喜は、大きく目を見開いて、デブで汚らわしい夏后履癸の顔をじっと見つめます。


「他の者が反乱を起こす気が失せるくらいの方法で処刑せねばならぬ」

「確かにその通りだ。で、どの刑にするのだ?腰斬ようざん(※腰を切断する。受刑者は即死せず、数分にわたって苦痛を受けたあと失血死する)か?醢尸かいし(※生きたまま体を切り刻まれ、ひしおと呼ばれる、食用のために肉を塩漬けにされた状態に加工される。凌遅と似ている。しゅう伯邑考はくゆうこうの話が有名)か?車裂しゃれつ(※受刑者の四肢を逆方向に向かう馬に縛り付け、体を引き裂く。しん商鞅しょうおうの話が有名)か?」

「それはこれから考えるのじゃ」


妺喜はそう言いつつ、夏后履癸の懐に頭を預けます。そのかわいこぶりと天使のような笑顔は、小悪魔のようなものでした。

そして、ちらっと家臣たちを見ます。家臣たちは意外と驚いた様子もなにか懸念を抱いている様子もなく、平然とすました顔で立っていました。まるで、女の考えることだから斬首よりも軽いものだろうと言わんばかりの顔つきばかりでした。むしろ妺喜にとっては良都合です。


◆ ◆ ◆


もちろん妺喜には、今の自分への抵抗がないわけではありません。自室にこもって机に座り、刑罰の内容を竹間にしたためている間にも、「やめるのじゃ」という自分の声が聴こえてくるような気がします。そのたびに妺喜は筆を止めます。筆を走らせて、止めて、走らせて、止めて。

妺喜はことんと筆を置くとため息をついて、机の引き出しを開けます。そこには髪の束が入っていました。妺喜はそれを握ります。


喜鵵きつ喜㵗きびょう喜比きひはあのあと乱雑に土の中に埋められましたが、兵士たちの手際が悪かったのか、土の山から誰かの頭が露出していました。その話を聞いた妺喜は、今は嬴華芔えいかき帝丘ていきゅうまで送って戻っている最中であろう従者の頭を操って取りに行かせました。それが3人のうち誰のものであるかは、妺喜にはすぐには分かりませんでした。喜比の髪の毛であればさらさらしていましたが、この髪の毛はちぢれて天然パーマがかかっています。喜鵵も喜㵗も同じような髪型です。喜㵗の髪の毛なら少し薄いのですが、比較対象がないので喜鵵とどちらかなのは分かりません。

もしかしたらあの3人のものですらないかもしれません。しかし、刑死した親の遺品を持っていることが知られると、蒙山もうざんの国に未練がある、反乱を企てているなどと家臣たちに邪推されてしまうかもしれません。妺喜が今持てるものはこれしかありません。


妺喜はぎゅっとその髪の毛の束を握りしめます。やめる必要はない。このまま書き続けていればよい。これを書くわらわを悪魔と非難するならば、わらわを作った岐踵戎きしょうじゅうや夏后履癸はもっと悪魔ではないのか?みな、わらわのことを見守ってくれる。わらわは正しい。そう何度も自分に言い聞かせて、こくんとうなずくと、また筆を手にとって走らせます。


ノックもせずドアが開きます。それを許可された人は、この世でただ1人。妺喜の事実上の夫であり、唯一体を許した相手であり、そして殺したいほど憎んでいる男です。


「妺喜、酒に付き合ってくれ」

「うむ。わらわもちょうど、陛下の抱擁が欲しかったところじゃ」


そう言って襟をどかして鎖骨まわりの肌をちらっと見せて、妺喜は立ち上がります。

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